小説木幡記:現代型うつ病とはなんなのか
今夕のNHKはクローズアップ現代で、現代型うつ病なるものをテーマにしていた。
症状は上司や会社が悪いから出勤できないと言って、長期病欠となる。無断欠勤もあるが、大抵は届け出欠勤で、大きな会社になるとその数がばかにならない。病欠になってしばらくして訪ねていくと、本人は仲間と酒を飲みにいったり元気に遊んでいることもあるそうだ。いわゆる古来「仮病」というのだが、それを言うと本人はますます苦しみ、医師は「現代型うつ病」と名付ける。
その世界観によれば、悪いのは上司であり、会社であり、他人なのだそうだ。会社とうまくやっていけないのも、会社が悪いからであり、自分の言い分を少しも聞いてくれない、理解してくれない、けっこう神経にこたえることを言うのが、まわりであり、他人であるそうだ。
つまり、自分自身が、それでは他人にとってどういう存在であるかがよく見えない病気。
こういった症状は、現代の若者に多いらしい。
(これまでの中高年鬱は、自責し、引きこもり、自殺に走るのが多い。現代鬱病も鬱なんだから、自殺に近づくだろうが、ニュアンスが異なる。つまり、悪い上司や組織を離れ、仲間内にいると元気になる。これは明るい)
たとえば無断欠勤が生じた。
本人に確認すると、先週確かに伝えたとのこと。
本当は、それは嘘なのだ。
余は思った、嘘でもなんでもよい、そんなことよりも正しい考えは「自分が考えるようには他人は考えない。相手が理解してくれないのじゃなくて、相手を理解させるにはものすごい練習、努力、誠意が必要なのだ」つまり、「欠席」すると正しく相手に伝えるには十重二十重の作戦を練らないと上手く行かない。そういう事実が人生なのだ!
その努力を怠るなら、現代鬱に逃げざるを得ないでしょうな。
よろしよろし、君は逃げて、そのうち餓死するかもしれないが、努力する辛さよりも餓死が楽でしょう。
生きるとは、しんどいこってすな。
と、ここらで余は笑いだした。
答えはもうでておる。
「そうだよ、貴様が一番悪いのだ。」
「くそったれ!」
「もう、顔をみせるなよ~」
「会社、辞めたけりゃ、辞めろ」
「病気? そんなヤツは左遷なんだよぉ、クビなんだよぉ~」
と、本当に罵倒された経験が少ない人が多いようだ。「書類カバンを無くした? それはよくない。気を付けよう」と、これだけの注意でもパワハラ呼ばわりするのだから、相当に神経が細やかとも言える。幼少時から、まともに怒られる環境がなかったようだ。傷つきやすいらしい。傷つくのがいやだから、他罰にはしり、それがうまくいかないから現代鬱を背中に背負う。
まさに、病気である。
さて。
画面では、これまでの鬱とは異なり、同じ症状の仲間で話し合って、お互いに注意したり、励ましたり、叱責するのが佳くなる一歩らしい。これまでの鬱は励ましてはならないが、鉄則だったようだが~。
余の考えでは。
他人が自分を理解してくれるわけがない。
他人が悪なら、君は、他人にとって他人なのだから、君も悪かもな。
傷つきやすい、という言葉を聞くと本当に爆笑する。余なんか全身傷だらけの人生だよ。傷は鹿の湯に入って癒すか、自分で嘗めて治すか、時の癒しを待つしかない。
おめぇだけが傷つきやすいだなんて、正気か?
余の、NHK番組を見終わった時の結論は。
若者全体、日本全体がそうなっていって、現代鬱病が蔓延し、若者が仕事をすると病気になって、五時過ぎになると元気溌剌、仕事がまるで進まず、上司達はパワハラセクハラと言われないために、会社や組織は猫なで声であふれ、なにも命令せず、若者を相手にせず、ますます若者を疎外し、いつか疎外されていることに気がついた若者はますます現代鬱が深まり、新しい抗うつ剤がはやり、製薬会社や医師はその大量投薬で一息ついて、ますます日本は子供世界に下降し、まともな大人たちはそうそうに死んでいく。なまじまともなことを言ったりしたりすると、訴訟対象にされる。
そうだ。
こんな新世界ではまともな軍は維持出来ないから、戦争のない本当の平和、本当の「たそがれ鬱平和」がくるだろうな。
おお、素晴らしい新世界。
仮病でも、鬱でも、なんでもよろしい。
まともな旧人達ががんばり、やがてまともな人達は死んでいき、世の中は初老の「かつて若者・現代鬱者」で一杯になり、やがて、世界はそれで普通になる。そう、現代鬱が世相の普通。
「おお、お前もようやく現代鬱になったかい。そりゃよかった。やっとシティボーイ、ギャルになれたなぁ。あの会社なぁ、爺さんと婆さんだけになった。もうつぶれるよ。ふん、まともな若者は仕事なんかせぬもんだ。」
そうだよ、そうだよ、君は悪くない、悪いのはみんな回りの大人達なんだよ、あはは、まるで江板下痢音のシンジじゃ~。
ついでに。
コミュニケーション能力は、話し方や対応の仕方ではなくて、頭のなかでいろいろ考えて文章にする訓練をすれば、やがて成熟していくと思う。もちろんついでに、同じ内容であっても話し方や時期によっては、相手が激怒したり、笑ったりする違いは練習して身についていくだろう。
鬱の苦しみは、昨年、余も禁煙鬱で苦しんだ。世界が黄昏れていたな。そのとき余は、「タバコが悪い」と、他罰で窮地を脱した。若い頃の鬱期は、三島由紀夫さんの切腹を見て「そうか、それならぼくは生きていく」と、ものすごい反動で虚空に飛び、鬱期を大きく後にした。
現代鬱にもそういう特効薬があれば、よいのにな。
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