小説木幡記:秋の深まり
季節はめぐり、今年もようやく秋になってきた。過ごしやすい京都や宇治を味わって居る。どれがいつの秋だったかはもう絶対に思い出せぬのだが、それでも季節はめぐり、人生回り舞台、螺旋状に年月が過ぎて変わっていく、その折々のいろいろな情景は、夢の中とか白昼夢とか、あるいは歩いている最中に脳によみがえってくる。
いろいろな後始末をしておきたいし、捨て置きたいという誘惑も感じるが、どこかで決着を付けて置いた方が次のステージに心置きなく立てるという徳用もある。秋だからこそ、そんな考えをひとしきりすることが多くなってきよった。本当は永遠の自転車やコマと同じく、常に走っているのが現実だし、走ることに楽を見いだした方がよい場合もある。走るのを止めたときは、足腰が病んで起き上がれなくなったり、なにもかにも空虚さだけを味わって、食すら採らなくなる危険もある。そうだよ、長距離ランナーの孤独だよな。
さて。
どんな日曜作家になっていくのか。
どんな研究テーマが残っているのか。
大昔の夢に手を付けないと時間切れになるかな。永遠のテキストと文脈問題だな。
そしてまた、近頃はロボットのような列車制御を身につけだした。ハンダごてや配線も少しずつ実用的にこなせるようになってきた。新たなプログラミング言語も習得していくことになる。
~
無尽蔵の図書や電子図書と、そして無尽蔵の遺跡がある。読んだり、経巡るだけで人生が埋まってしまう。
ああ、そうだ。学生達は相変わらずおもろい。
RSは快調に走る。ubuntuの上海は神業にちかずいてきた(笑)。
まだまだ楽しみは尽きぬ。と、そう思った。
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