小説木幡記:幸せ一杯、論文や図書を探す
GNHという言葉が近頃とみに聞かれるようになった。最近もNHKのニュース解説でブータン国を取り上げて、熱心に語られていた。餓死者が犯罪などの例外を除いて少ない日本は幸せなはずだが、日々のニュースを見ている限り、心の闇を臆面もなく世間にまき散らす猟奇的な犯罪に満ちて居る。これは経済的に生きていける以上の収入があっても、幸せを感じない事例が溢れていて、その結果が犯罪などに現れてくるのだろう。つまりは、不幸なのだ。
人の幸や不幸についてなら、近所の学生達や同僚達の姿から、なんとなく浮かんでくるものがおおい。一番顕著な事例は、もともとぼんやりした若者達が、まわりの思惑や非常識から、よってたかって追いまくられて焦りをむりやり意識させられて、こころの地獄に追い落とされることだな。典型は就職活動で、もうすこしゆるやかな事例では、余などが関係する授業じゃろう(すぐに落ちるから、おちおち居眠りできない授業であるぞ)。あはは(邪笑)。
もう時代は、余の青年期のような、なんとなく授業を休んでドストエフスキーを読みひたり、「そろそろ、いくか」と夕方終了間際に教室を覗き、数分後に友人たちと「遊びにいくか!」と言っては4年間すごし、知らない間に卒業していた時代とは違って居る脳。
現代もまた、悲劇的なんだ。
そこで余はNHKが話していたGNH:Gross National Happinessという、国民総生産に対峙する国民総幸福が気になってきた。最初は「うん、宗教かいな?」と思ったが、そうではなさそうだ(爆)。そこで、いつもとは異なってNII(国立情報学研究所)やNDL(国立国会図書館)の権威サービスに頼ることにした。つまり「幸福」とか「不幸」を世間一般で探すと、どうしてもトンデモ本や情報にかき乱される思いがしたので、ちょっとはアカデミックな方が、まだ相対的にトンデモ度は低いと、カン働きだな。ところがNDLは原則として日本で発行された物は悉皆所蔵しているから、トンデモ本や猟奇的本も対象になるので、うむむ、と思った。で、今回はNIIに頼ることにした。
まあ、いろいろ細かくいうとそれぞれに問題はあるのだが、WebcatPlusという使いやすいサービスがあって、この画面でGNHといれてみたら、本日は(2011年11月18日早朝)12冊の図書が出てきた。その中で『ブータンと幸福論:宗教文化と儀礼』という写真をクリックしたら、詳細な画面に移った。そこで、どこの大学図書館でもっているかな? と考えて最下欄の「この本を所蔵する大学図書館」を押したら、あはは、余の縁ある大学も含まれておった。つまり余の研究室前の図書館に、その本があるはずだ~。
とそこで論文レベルでも探そうと、かって知ったCiNi(サイニー)を使おうとしたら、なんということか、この11月から「論文をさがすならCiNii、図書館の本をさがすのもCiNii」といううたい文句で、論文も図書も一緒に探せるようになっておった。~しかし、詳細を記すと情報図書館学の教科書じみたことになるので、もう止めておこう。
ところで。
今日の木幡記は説教クサイものになってしまった。今後は自戒しようぞ。
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