小説木幡記:変化のない日々今秋だな
今秋はいつになく沈静化した日々だな。何も書くことがないくらいに、日々変化が少ない。これが幸の極みかと思う一方、変化に対して鈍くなってきたのかな、とも思う。さすれば幸とは恒常、あるいはわずかな変化には気がつかない鈍感の内にあるとも言える。そういえばかつては、せせこましい内なる世界にこもって、あれこれ細かく悩んだ時期もあった、のう。
ハンダ付けは見苦しい仕上がりではあるが、44本のピンに付けた細線がそれぞれショートも起こさずに、センサー機能(BDL168&RX4)を発揮しだした。もっと感動すればよいのに、「そうか、思った通り動いたなぁ」が感想となった。
Digitrax社のトランスポンディング(列車位置通知機能)は、古典的な中に味わいがある脳。
Jythonプログラミングはサンプルを少し変えただけで、センサー3つの往復路線を、HO/EF65機関車が笑えるくらい律儀にいったりきたりする様子を見て取れた。絶叫すればよいのに、「ああ、やっぱり。思った通り往復運転システムはすぐにできるな」で、終わってしまった。
葛野へ行くと日々相当にややこしい校務や教務が待って居るが、これも時間をかけるといつの間にか「はい、次」となってしまう。一番の問題は、学生数が徐々に少なくなってきて居ることだが、うむ。これはなぁ。困ったことだ。まあ、そのうち盛り返すことでしょうと、にこにこ。
楽しみと言えば、やっぱり。
相も変わらず読書。
それと意外にもiPad。
それと日々の食事。
さらに日々のちょっとした散歩。
ときどきの車窓風景(電車やRSや)。
人は鈍感になっても、見つけ出した楽しみを繊細に味わう能力は消えないようだ。
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