小説木幡記:静岡のこと
11月のはじめに静岡駅の近くのホテルに泊まった。2泊3日の旅程で同じホテルにとまって2日間仕事をしていた。その間に、正確に半日の時間が空いたので、登呂遺跡と浅間神社とを大急ぎで回った。
時間が限られていてしかも、あまり疲れてはいかぬので、移動はタクシにした。
静岡駅前のホテルから登呂遺跡までは、歩いて十分くらいと思っていたが、実はタクシでも十数分かかって随分海よりだと分かった(1200円也)。海に異変があると大変なことになると、運転手さんも言っていたし余もすぐにそれに気付いた。
遺跡はよく整備されていて、小学校の頃に社会で学んだイメージのまま、眼前にあった。そして、資料館というか博物館には、図書室も併設されていて、よい味わいだった。余はミュージアムショップで、来年の遺物カレンダーを買った。たしか千円でお釣りがあった。
登呂の遺跡から次は浅間神社(せんげん)に向かった。遺跡横にタクシーが常駐していて、運良く乗れた。さすがに距離があって、今度は1900円かかった。浅間神社は家光さんが関係して造られたようだ。異様な姿で、城郭のようだった。さっきの登呂は余の強い潜在意識によって導かれたが、この神社は同僚教授の薦めがあって参った。感想としては、「こういうのも神社なのか」だった。
さっき気になって川村二郎先生の『日本廻国記 一宮巡歴』で駿府の条に目を通したが、「まさに威風堂々、豪華絢爛たるものだが、その分、重たるい感じもないとはいえない」とあった。
たしかに、神韻縹渺(しんいんひょうびょう)という雰囲気ではなかった。武家の神社とはあながち駒札を読んでのことではなく、繰り返すが、「城」そのものだった。どっか空の果てから神さんが舞い降りるのじゃなくて、立てこもると言った方があたって居るだろう。
と、それで終えて帰路はバスが来たので飛び乗った。
ホテル前まで180円ですんだ。そういうものだろう。
静岡は、宇治や京都に住んでいては分からぬ味わいがあった。別の「日本国内」なのだ。あまりに、京に狎れすぎた自分を発見し、別世界に目が行ってよい気分になれた。時々は外に出ないといかぬ、と思った。
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