小説木幡記:物語の舞台
以前から小説や映画、あるいは歴史の舞台となった所をうろうろするのが好きだった。虚構や現実の違いはすべてが過去のことなので、虚構と変わりはない。
昔のことは分からないものだから。
身近な宇治橋近くだと、前にも記したことがあるが、このあたりは宇治十帖の舞台であって、源氏物語ミュージアムに行くと物語と宇治との関係に詳しい。そこで話は当時の屋形が今の宇治神社の近くだったとか~いろいろ考え込む内にはっとして「ああそうだ。源氏物語は虚構の小説だったんだ」と気付いて、苦笑いする。
また、うろ覚えだが嵯峨野の広沢池の桜はたしか細雪の娘さん達が観桜し、それから平安神宮に行ったかどうかと真剣に考え出して、そのうち「ああ、これは谷崎潤一郎さんの小説だったんだ」と気がつく。そこからちょっと西の嵯峨野一帯だと、西村京太郎さんの作品に、このあたりに住む女将が登場していたミステリがあったなぁ、とか~。
昔は場所、地名を忌避して、わざわざX町とか、某市とか、AとかBとか言い換えた作品があったが、今となっては風情のないことおびただしい。今度再読してそういう作品を見つけたら、片っ端から焚書しようと思った。地球上のちゃんとした国のちゃんとした場所に人間が動き回るのだから、わざわざ、イメージが固定化されるのを怖れて、AとかBとかに記号化するのは、馬鹿臭いことだよな。大沢さんの『新宿鮫』で新宿をS町なんて付け替えたら噴飯物になる。どなたかの『城の崎にて』をK市にて、としたら、あはは新名作になるだろうか。もっとも、毎朝新聞とか、東都大学とか、慶草大学とか、仮名がいろいろ出てくると、実名と仮名との間の緊張関係やお笑いやをあれこれ味わって、趣きもある。N大学というよりも、那古野大学の方がぐんと佳くなるし。
ということで、当初は関西地方の物語の舞台をいろいろ思い出してメモしておくつもりだったが、話がずれてきたので今朝はこれで終わり。
ああ、Mu氏だなんて、一番の噴飯blogかも~うふふ。
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