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2011年11月 9日 (水)

小説木幡記:京阪電車でお弁当

Mudsc_0009 駅弁は車内で食べても家で食べてもよいものだ。最近、神戸駅を根城にした「淡路屋」という店の、小さなおにぎり三つと質の高い総菜の駅弁を自宅でいただいて、よかった。揚げ物がみあたらなかったのが、コンビニ弁当や凡百駅弁とは違うところだ。

 ところで昨夕仕事帰りの京阪電車宇治線で中学生か高校生の女子がおもむろに弁当箱をあけて食べていた。うとうとしていたのに気がついたのは、ニオイがしたからだ。禁煙して2年近くになると、自分のことは一向に気にならないが(笑)、レストランや車内や人のニオイが強烈に余を刺激し出した。要するに喫煙時間の40年間に消えたと思っていた臭覚が復活したようだ。この世はニオイまみれだな。特にレストランや料亭のこびりついたニオイは、あまり性にあわぬ。それにくらべて自分のことや家や研究室はあんまり気にならぬ(爆笑だね)。というわけで、ニオイでうたた寝から目覚めて混んだ車中を見渡したら、弁当をつかっている女子生徒を見つけたわけだ。

 さて。この違和感はなんだろう。新幹線や特急車両で駅弁を食べている人を見かけても、ごく普通の風景としてまるで気にならぬ。しかし通勤電車の京阪電車の混んだ中で、だれかがお弁当をとっているだけで、ものすごい違和感に包まれた。この余自身の感性にあらためて驚いた。ふむ。余も相当に世間の常識にそまっておるのか、それともその女子生徒が、常識はずれなのか~。ついに、昨夜眠るまで、今朝起きても、解は得られなかった。ただ、弁当のおかずの強烈な酸味がいまだに鼻を刺激するばかりだ。

 で追加するなら、余はこれまでもこれからの余生も、新幹線や特急車両でお弁当を開けることはあっても、通勤の京阪電車でカップ麺や弁当を開けることは、まずあり得ないだろう。余が京阪電車車内長椅子で、コンビニ弁当を使い出したなら、それは余の人生の一大転機だと、想像。
 ~
 (うむ、実は難しいことだ。余が小学校の頃、國鐵車中はタバコの煙で霞んでいたし、床には吸い殻がころがっておったし、オジキのステテコ姿や旧い女性の下着姿で、車中をうろうろするのは常態だった。まして床に座っておにぎりを食べるなんて、日常の姿だった。世界は変わるなぁ)

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