小説木幡記:京都の佳さ
余は純粋の京の人Muではない。生国は福井市で、幼稚園に上がる前に右京区嵐山に住み(天竜寺の塔頭で)、しばらくして車折(くるまざき)に遷り、幼小中高大とそこから通い、ついでに就職も京都市左京区だった。勤めて一年目に宇治市木幡に遷り、爾来半世紀に近くここに棲んでおる。その間、勤め先は左京区、右京区が長く、外地に出たのは滋賀県が三年半、兵庫県社(やしろ)が一年間だから、ほとんど京都と宇治とが生活圏だったといえる。
古来住めば都とはよく言われてきた。
たしかにそうなのだが、それにしても京都や宇治は佳いところだと近頃ますます思うようになってきた。
両者ともに観光地だから、世間一般国際的にも風光明媚で歴史の深いところという前提があるにしても、その佳さを棲んでいて実感するのはなぜなのかと、考えるにいたった。
性、もともと歴史好きだから、京都や宇治、滋賀に奈良は日本史の宝庫故にそれだけで、好ましい。
学校が大学を除いて13年間が右京区、勤め先が左京区20年、右京区20年と概略すれば、どこを数えても半分田舎風の所だった。幼稚園と小学校とは嵯峨嵐山だから観光地のど真ん中だが、意外に田舎田舎していた。勤め先も左京や右京は繁華街から遠くはなれているので、これも田舎田舎している。当然住まいの宇治市木幡も、これはまるで田舎だ。要するに、あんまり騒がしくない。余は静かな雰囲気を好む。通夜の深夜のような無人の田舎のような、静かさに安定する。
食物がうまい。京都の生鮮魚を敬遠する人も多いが、大抵の食事処では普通の値段で、そこそこの味と見栄えを提供してくれる。これは和食だと醤油や味噌の洗練度が高いからだろう。特に鴨なんば蕎麦とかビフカツとかラーメンとか湯豆腐で美味い所をみつけてしまうと、他国の野蛮さが身にしみる。これだけ流通が普及しているのに、豆腐や醤油や味噌味だけで、他国を怖れ都を離れることが苦痛になる。
寺社仏閣が豊だな。
京都の観光名所、滋賀県の寺院、奈良県の神社。いずれも人が居ぬころに訪れるのが最高の贅沢に思える。たとえば、桜や紅葉なら、午前7時ころ或いは夕方5時ころ。季節なら、真冬の嵐山や奥嵯峨野。よろしいで。そうそう平日の祭礼のない三輪さん、真夏の滋賀県石塔寺、桜散る三井寺~。要するに観光地で観光客が途絶えた季節や時間帯を自由に操れるのが、地元の有利といえる。
京都御苑の広さは心が豊になるな。宝ヶ池あたりの広さも好ましい。
鞍馬や貴船の深山幽谷ぶりにも感心する。銀閣寺や金閣寺の山裾の眺望は得難い。などと、数え上げればきりがない。
だからこそ、これからは人気(ひとけ)の途切れた名所旧跡を、ひたひたと歩く楽しみがある。
さらに古代史といえば、近江、奈良、飛鳥に纒向。いやはや楽しみがつきぬ。
さて一眠りして、近所を歩いてみよう。宇治は、藤原家の墓所、そして別荘地なのだ。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント