« 小説木幡記:心とロボット | トップページ | 小説木幡記:小説を読み、書くことについて »

2011年10月20日 (木)

小説木幡記:苦手な不慣れな人生だよ

↓撮影 副長07 「BengMealea」 2009/09
0909angkorbengmealea367 年齢に応じて人は変わるものだと、痛感しておる。自分自身が素直になってきたことと、いろいろなあきらめと、そして面倒だと思う気持ちが入り交じって、他人は知らぬだろうが(笑)、随分世間への対応が違ってきたのだ。

 事実は余が人に倍して苦手なことや不慣れなことや、能力不足で人生を悩みながら今にいたった。だから、いまだにそういうことが少なく見える多くの人達をみていると、羨ましく思える。ただし、その優秀な人達と人生を交換しようとは思わない。この人生にも言い尽くせぬ、佳き点があったのだ。

 それにしても苦手不得手不慣れ、「ああ、嫌だ、嫌だ」が多かったなぁ。
 だからこそ、自分が変わったと思って居る。要するに、たとえば学生たちへの叱咤激励が少なくなったきた。大抵のことには、「よい、よい」と済ませるようになってきた。そりゃ、我が身とくらべると、苦手、不得手なことは老いも若きも同じ苦しみがあるだろうと、他人の気持ちを忖度できるようになった、そういうことだ。
 いつまでも繰り言を書いてもしかたないので、具体的にメモを残しておこう。

1.字の下手さ
 とてつもなく下手くそな字しか書けない。だから人前で筆をもったり、板書したりする場面が怖い。本当に恐怖で冷や汗がでる。(よくしたもので、その分「巧言令色少なし仁」のうち、巧言は比較的すらすら口を出る(ぎゃはは)) 
 だからレポートで、とんでもない下手な字を書く学生がまれにおるが、比較的寛容であるぞ。

2.漢字を書けない
 これは、面倒なので詳細は省くが、中学時代に気の良い国語教師の御蔭で、相当な虎馬が残ってしまった。「いやだ、わからない」というのに、市内の漢字選手権にむりやり派遣されて、最低点を取ってしまった。
 さても、特にワープロが普及しだしてからは、もう普通の漢字も手書きが不可能になった。自分の住所氏名くらいしかまともに書けない。(よくしたもので、その分、戦前の旧漢字でも、すらすら読めて、意味がつかめる)
 だから、レポートで簡単な漢字をひらがな書きしている学生がいても、寛容だなぁ。

3.会議が怖い
 これは、数時間でも黙っている時があるから、余計に辛いのだろう。まず、他の人が言っていることが、すらすらと頭に入ってこない。ほとんど「一体、この人は、何を言いたいのだろう」と、その疑問符ばかりがうまれてくる。おそらく、人の気持ちや言葉遣いを理解する能力に欠けて居るのう。で、わからないのが連続すると、怒りが湧いてくる。だから、ときどき爆発的な発言をして、会議をめちゃくちゃにする。だから、可能な限り、会議にはでない。職場の会議は、もう、こりゃ、税金だから、死んだふりして出て居る。
 だから、ときどき変なことを言う学生がいても、実に寛容である。


 とまあ、列挙し出すときりがないのでこのくらいにしておく。要するに長年自分自身を苦しめてきた、苦手意識、不慣れ意識をくっきりと客観的に見られる年齢になると(若い内は、それを認めるのが敗北につながる恐怖に陥る)、自分にも、他人にも、寛容になる。よしよし、の世界観が生まれるのう。それはきっと、最後の自己保存機能発動なのだろう。まずよしよしと、自分を認めてやらないと、明るい余生を送れないではないか。他を認めるのは、その方が機嫌が良くなると、経験則でわかっておるからじゃ。

 人は、変わるものだ。パンタレイ(万物流転)の一種じゃな。
 お互いに、寛容の精神でいこうではないか。

|

« 小説木幡記:心とロボット | トップページ | 小説木幡記:小説を読み、書くことについて »

地図の蠱惑:未踏地」カテゴリの記事

小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小説木幡記:苦手な不慣れな人生だよ:

« 小説木幡記:心とロボット | トップページ | 小説木幡記:小説を読み、書くことについて »