小説木幡記:blogの書き方
たしかに余はblogを2004年3月から開設しているので、すでに足かけ8年にもなる。だからといって、教師癖から「どんな風に書いたら、続けられるか、おせたげるよ」と言うのじゃなくて、余自身のために、「blogはどのように書いてきたのか」という、メモを記録しておくのが、本意なり。
最近は。
とりためた沢山の写真を縮小してblogの胴元(nifty)に送り、それで一件ずつ記事の雛形をつくっている。タイトルやカテゴリーの基本はそのときに入力しておく。だから、思い立ったらすぐに写真いりの記事を投稿できる。
ここで、写真と記事とはまるで無関係なのが、ミソというか、気楽なblog稼業の原則だ。まるで無関係だから、記事はいくらでも書ける。記事休載になるのは、記事ネタがないのじゃなくて、単純に疲れてキーボードを触るのもしんどいからにすぎぬ。
あとで見直したとき、写真は写真で、記事は記事で感慨がわく。
しかし世界ひろしといえども、写真と記事がまるで無縁というblogも、少ないじゃ労農。
以前も今も気持ちを込めていることがいくつかあって、ミステリやSF読み、映画鑑賞、遺跡調査、写真撮影、鉄道模型、DCC(模型のPC制御)、などが主流になっておる。このごろ読書感想文が少ないのは、他人様の書いた小説をほめるよりも、自分の小説をしこしこ書く方が佳い、と気持ちに変化がでてきたからだ。つまり他人様の作品に依存して、自ら造ることを忘れるのは佳くないと思った。
遺跡調査は、邪馬台国が中心だが、この中には旧い寺社仏閣も含まれる。要するに古代史好きなのだろう。
写真撮影は、カメラの目を通してしか現実を見ることが出来なくなったからに過ぎない。ほら、ワープロ使わないと文章を書けないのと同じだ。それが不自然と思う人がいたら、新幹線もスマホも電車も自動車も冷蔵庫も炊飯器も掃除機や洗濯機やTVや水洗トイレもシャワーも使わずに、穴を掘って竪穴住居に住めばよい。余はそんなこと、もうできぬ。
鉄道模型関係はアナログ状態では、山を越えた。というよりも、あまりに骨董的な世界なので無縁と感じたのだ。小さな機関車が数十万円もするのをショーケースでみていると、「余には関係なさそうだ」と、思ってしまった。その点、PC制御は、廉価な車両をプログラムで自由自在に動かすのだから、初期投資は少し必要だが、あとは時間と根気だけの世界だな。
と、いろいろ楽しみはあるので、それをいちいちメモするとなると、MuBlogは無期限に書かれていくだろう。これが、余のblogの書き方じゃね。ああ、言い忘れた。余は口べたの分、文章はなんとなく、ねじくれてはいるが、思考速度並にかけるようになった。要するに、思考がそれだけとろくさいということじゃ。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント