小説木幡記:充実していること
↓撮影 Nagai副長2007 「AngkorWat」夕景
世の中を斜めに見て構えているだけでは、面白くない。気付かないうちに悪循環に陥っていることが多いものだが、それでも、人知れずうっとりと経費もかからず充実していることもある、~。と気付く。だから、人生はすてたものでもない。
1.プログラミングとDCC
まだMuBlogできっちり公開はできないが、雰囲気だけは近いうちに記事を書く。というか、余生はこの世界が大きな柱になるのだろう。
ちかごろJythonというプログラミング言語を使って、実体を持つ鉄道模型を制御することに少しずつなれてきた。いわゆる、昔取った杵柄というか、往時のプログラミング開発の高揚感を今更ながら少し味わえるのが充実感をもたらす。自分の書いたコードで、眼前にある模型が動くのは、生の現実感をもたらす。
2.松本清張や北森鴻
お二人ともすでにこの世にはない、いわゆる旧い作家である。こういう旧い作家のしっとりした短編を読むことにはまって居る。
これも、生の充実を味わうところだな。
清張さんは、宮部みゆき責任編集の傑作短編集を文庫本3冊で、きままに読んでおる。順番とか、その他人為は加えずに、上中下のどれか手に触れた文庫のうち、自然に開いた所の短編を読むわけだ。読み終わってから、宮部さんのおもしろい解説を読み直す、……。
北森さんは、最近、目に入る手に入る文庫を集めて居る。と言っても、まだ8冊程度だ。気がついたら、その8冊は読み終わっていた。北森さんの佳さは、清張さんほど知られてはいないので、MuBlogでもいずれ感想文を書いてみよう。ともかく、北森さんの短編はどれもこれも超長編にできるほどの中身で、読み終えるたびに「これだけの準備をして、これだけに圧縮する。ものすごい贅沢だ」と思うものが多い。そこに、深夜ひっそりした読後感を味わい充実するなぁ。
3.歩く充実
この一週間は風邪で伏せっておったが、それにしても歩くことの快感を味わいだした。大体電車で一駅分だから、往復で4キロ前後の歩行に過ぎない。しかし無心になって京の町中を歩くのは、角毎に日々変化があるので、飽きない。
大体、ジグザグが多い。よくあるパターンは、京阪三条まで行って、そこから三条通りを西に行き、終点は四条烏丸の阪急駅である。西に行くとき直線をとらず段々状に南下しながら歩くのだ。だからどの路の角で南下して、また西方浄土に向かうかは、その日の気分で幾通りもある(笑)。
これがえもいえぬ充実をもたらすなぁ。
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