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2011年10月30日 (日)

九州2011夏:福岡篇:志賀島遙拝と金印の謎

承前:九州2011夏:福岡篇:太宰府天満宮の九州国立博物館

0.志賀島
 「しかのしま」には以前からあこがれていた。砂州が天橋立みたいになっていて、沖合の志賀島と陸地とをむすびつけていて、その様子は地図でもはっきり分かる。たとえば文末に付けたGoogle地図の「写真」ボタンを押すと自然の不思議が鮮明に見える。またJR愛称「海の中道線」がこの細長い陸地に通っていて、これは実は香椎線の事なのだ。香椎線と言えば、松本清張の点と線、あるいは日本書紀仲哀天皇・香椎宮(仲哀天皇大本營御舊蹟)とつながり、私にとってはすべてが驚異の世界となる。地元の人が聞けば笑うだろうが、遠隔の京都や宇治から志賀島や海中道を眺めると、すべてがいまだに昭和神話、古代神話世界の物語に思えてくる。

1.志賀海神社

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↑遙拝所

 志賀海神社の事の前に、私が一番心打たれた場所は、亀石のある「遙拝所」だった。なにかしら古神道は遙かな彼方を遠望する雰囲気があって気持ちよい。この遙拝所には神功皇后時代の亀さん神話があるが、それとは別に遙拝先は伊勢神宮と(現代ならば皇居)、対岸の大嶽神社と駒札には記してあった。その由緒来歴はさることながら、実際に鳥居の彼方を眺めていると不思議な気持ちにおそわれてくる。その実感こそが現地を経巡る快感の源なのだ。机上では得られない生の空気感といえるだろう。

 さて志賀海神社(しかうみじんじゃ)だが、御由緒の木札には「古来、玄界灘に臨む交通の要衝として聖域視されていた志賀島に鎮座し、『龍の都』『海神の総本社』と称えられ、海の守護神として篤く信仰されている。」と記されていた。つまり海神(わたつみのかみ)が坐します聖域と思えばよい。この神社には神功皇后にかかわる伝承が多く、対岸東へ直線13kmにある香椎神宮での仲哀天皇・神功皇后の古代伝えと合わせて、このあたりの神功皇后伝承には太い芯を感じさせる。

 人影も無かったが、境内を一巡し遙拝所から海を眺めていると、ここに海の神々が祭られたことが自然に思われてきた。神社は、聖なる地に祀られることが大半で、人為効率によって成されることは比較的すくなかった。余った土地に社(やしろ)を定めるのではなくて、そこが聖地だから社を置き、神々を鎮めたと考えるのが正しい。

志賀海神社01
志賀海神社02:案内板
志賀海神社03
志賀海神社04:石造宝篋印塔案内板
志賀海神社05:石造宝篋印塔
志賀海神社06
志賀海神社07
志賀海神社08
志賀海神社09:志賀海神社略記案内板
志賀海神社10
志賀海神社11:遙拝所
志賀海神社12:亀石案内板
志賀海神社13:亀石
志賀海神社14
志賀海神社15
志賀海神社16

2.しかのしま資料館

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↑ジオラマ 玄界灘/博多湾

 しかのしま資料館(設立母体不明)は島の北端「勝馬」にある。というよりは国民休暇村の付帯施設のように見える。だからこの島を訪れたほとんどの人はこの資料館に立ち寄るだろう。私は記念に、金印のキーホルダーと、「謎とミステリーだらけ:志賀島の金印/岡本顕實」とをここで購入した。勿論この二つは、福岡市なら他でも入手できるだろうが、記念品とはその地で手にした方がよいものだ。

 立地条件としては、玄界灘を一望できる。地図でみると壱岐、対馬が北西にあり、そのまま朝鮮半島に向かっている。風光明媚な国民休暇村の中にあるから、将来に充実した展開が可能となる。また金印が発見された南の金印公園は敷地もせまく、今後金印に関する豊富な解説や関連資料を展示していくには、こちらの「しかのしま資料館」が妥当と思った。

 なお金印現品は福岡市博物館にあり、この資料館には精巧なレプリカが展示してあった。感想は、非常に小さい判子だということだ。国宝金印のイメージは私の脳の中で中学生くらいからずっと肥大し続けた来たようで、少なくとも掌くらいの大きさに思えていたのだが、実際は印判面が縦横2.35mmで、高さもそのくらいのものだ。

 後述の金印公園とは別に、金印がこの資料館近くの「中津宮(なかつぐう)古墳」の竪穴石室(積石塚古墳)に埋められていたのではないかという説も、手にした岡本氏の小冊子には書かれていた。島の北端に位置する遺跡なので、立地としては見晴らしの良い場所で、納得するところがあった。

しかのしま資料館01:休暇村案内板
しかのしま資料館02
しかのしま資料館03:ジオラマ・玄界灘/博多湾
しかのしま資料館04:民具展示
しかのしま資料館05:金印解説展示
しかのしま資料館06:金印届書の案内
しかのしま資料館07:金印レプリカ

3.金印発掘遺跡
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↑金印公園

 「漢委奴国王」金印については発見時からの紆余曲折があって、小才には道筋すらつかめない。そもそも印字内容がよく分からない。私が高校生くらいに笑って考えたのは、漢(という国)が委せた奴隷国王(に下げ渡したしるし)だった。国辱的な解釈だが、中国は3世紀当時すでに三国志時代であり、その前には、伝説の夏、史実的な殷(いん)から封神演義(笑)の周、そして春秋戦国時代を経て、秦の始皇帝、前漢、後漢~と、とてつもなく古代史が豊かな大国だったから、卑弥呼以前は弥生時代とか縄文時代とひとくくりでしかいまだ説明できない我が国と比較して、「奴」などと小馬鹿にされてもしかたないというあきらめがあった。

 そのような大国中国の、後漢の光武帝から下げ渡された純金印がなぜ志賀島に埋もれていたのか? 発見の経緯は私が資料館で入手した岡本氏の小冊子にも詳しく、また以前には書評『「漢委奴國王」のまぼろし/三浦佑之』をMuBlogに記したこともあった。

 話を本筋にもどそう。この記事は国宝金印の贋作問題を論じたのではなくて、邪馬台国時代にさかのぼり中国や朝鮮と親交の深かかった博多湾、玄界灘に位置した志賀島の歴史から、現代の風景を見ることにあった。そこで、件の金印が発見されたと思われる位置を現代人が定め、ここに金印公園ができた。

 今金印公園に立って、歴史遺物や遺跡の断域、断代を考えておく。
 金印の断代として、制作年は後漢書によれば後漢の光武帝・建武中元二年(西暦57年)、九州に持ち込まれたのも同じ頃だろう。発見年は江戸時代・天明四年(西暦1784)、つまり江戸では田沼意次が権勢を振るい(失脚の数年前)、長谷川平蔵が火付盗賊改方長官になる数年前のことだ。ついでにフランス革命は1789だから、その数年前の日本の九州の話だと考えれば、世界史的考察となる。
 断域が、上述したように志賀島と言っても、この金印公園あたりと決定しているわけではない。しかし志賀島であることに変わりはないから、この国宝金印の出所、つまりは断域、断代はほぼ確定していると言える。
 しかるに。
 ~
 謎はつきない。

金印発見01
金印発見02
金印発見03:元寇史跡・蒙古塚
金印発見04
金印発見05:蒙古塚案内板
金印発見06
金印発見07:金印公園
金印発見08
金印発見09
金印発見10

4.九州紀行2011夏の終わり

 こうして平成23(2011)年夏の、北九州・博物館/資料館/図書館/文学館の周遊は終わった。旅の実際はこの記事の志賀島から始まったのだが、後から写真や記録を整理して、この志賀島で始まり、そこで終わったという感慨が深い。大部分を同行してくださった古代史のJo氏解説もあって、各地でその歴史を堪能した。特にJo氏が残した海部、安曇族に関する考察は年季が入っている。北九州に限っての感想では、どこもかしこも海に関連する歴史や神話に満ちあふれていると思った。その意味で志賀島が始まりで終わりの終始一貫した2011夏となった。

参考
  金印偽造事件:「漢委奴國王」のまぼろし/三浦佑之(MuBlog)
  志賀島の金印:謎とミステリーだらけ/岡本顕實<郷土歴史シリーズ;2>
  築紫紀行(1) 志賀島を目指す (安曇族のルーツ)~築紫紀行(8)(JoBlog)

地図:志賀島

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2011年10月28日 (金)

小説木幡記:おりおりのこと

Img_2105 毎日がゆったりと過ぎていく。つまり日々猛烈に細かなことが沢山あって、せかせかとすごしているのだが、そういう全体は毎年同じなので、少し目線を高所からにすると、せかせかしている自分の姿も含めて、蟻のように動いている情景が、今年も今日もゆったり見ることができる、という、そういう理屈である。

0.人が亡くなった
 北杜夫さんが亡くなった。80歳をすぎていた。
 また、昨日卒業生の母親が亡くなった。50歳をすぎていた。
 お二人の年齢差は30年ある。ながくに生きても、短く生きても、人生に変わりはない。
 余はしばらくしこしこと、日々を楽しみ、生きていく。
 死する日まで生きることが大切である。

1.ハンダ付け
 小学校高学年ころにハンダごてを手にしてから、長きにわたり触らなかった。この一ヶ月ほど、どうしても使わざるを得ないことが生じて、老眼鏡の二重合わせで視力を確保し、細かな線を狭いところで、お互いにショートしないようにくっつけて居る。

 いずれ、DCCもの(digitrax社のBDL168&RX4の組み合わせ記事)で披露していくが、アメリカ流のおおらかさにはほとほと感心しておる。我が国では絶対に商品として商売にならないようなむき出しのパーツが、実に深い味のある設計思想によって造られている、とそういう事実が分かってきたのだ。

2.村上春樹さんのインタビュー
 新聞で、村上さんがNYタイムズのインタビューを東京で受けたと書かれていた。どんな場合も、話の信憑性は右にゆれ左にゆれるものだから、そのまま受け取るのは危ないし、まして余の考えでは作家は相手に会わせて話を創作する、相手が求めることについて、上手に(つまり非線形的に)答える仕事と思っているので、本当のところは、ご本人に聞いてもわからぬものだろう。
 人の心は浮き草よ(笑)。

 さて、こんな引用があった。
 「われわれはどのようにして幸せを手に入れるか考えねばならない。それはお金や効率性ではない」
 これに関して余のコメントは。
 村上春樹さんは効率的なシステムをお嫌いのようだ。しかし、この半世紀以上生きていて感慨深く思うのは、お金と適性なシステムなくしては、現今庶民・今の幸せはえられなかった、ということだ。煩瑣には記さぬ。要するに、適切な衣食住たりてこその人生さ。人の住まいし生きる世界や国や町に、適切なシステムがなければ、どれほど悲惨か。

 村上春樹さんは、自身を政治的な人間であるともらしていた。
 そうかもしれないし、そのままいくなら、どこかのノーベル賞・人権派作家のようになるのかもしれない。しかし、文學・物語に政治性を入れれば入れるほど容易に書きやすく人を惹きつけるが、それがどれほど物語を薄くし、作家の晩年をやせこけたものにするのかは、~。別に近代文学を読まなくても、現代文学でもありありとわかる。
 だから、余はミステリかSFしか、よまん。作家の政治的世迷い事を読むくらいなら、ハンダ付けに専念したほうがリアルなのじゃ。

 SF/1Q84の4が待ち遠しいが、さてさて出版されるまで、余が生きておるか。30年以内にはハルキ先生に上梓していただきたい。と、心待ちにしておる。私事ながら、あと30年は生きている予定なのじゃ(爆)

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2011年10月25日 (火)

小説木幡記:blogの書き方

Mudsc_0015 たしかに余はblogを2004年3月から開設しているので、すでに足かけ8年にもなる。だからといって、教師癖から「どんな風に書いたら、続けられるか、おせたげるよ」と言うのじゃなくて、余自身のために、「blogはどのように書いてきたのか」という、メモを記録しておくのが、本意なり。

 最近は。
 とりためた沢山の写真を縮小してblogの胴元(nifty)に送り、それで一件ずつ記事の雛形をつくっている。タイトルやカテゴリーの基本はそのときに入力しておく。だから、思い立ったらすぐに写真いりの記事を投稿できる。
 ここで、写真と記事とはまるで無関係なのが、ミソというか、気楽なblog稼業の原則だ。まるで無関係だから、記事はいくらでも書ける。記事休載になるのは、記事ネタがないのじゃなくて、単純に疲れてキーボードを触るのもしんどいからにすぎぬ。
 あとで見直したとき、写真は写真で、記事は記事で感慨がわく。
 しかし世界ひろしといえども、写真と記事がまるで無縁というblogも、少ないじゃ労農。

 以前も今も気持ちを込めていることがいくつかあって、ミステリやSF読み、映画鑑賞、遺跡調査、写真撮影、鉄道模型、DCC(模型のPC制御)、などが主流になっておる。このごろ読書感想文が少ないのは、他人様の書いた小説をほめるよりも、自分の小説をしこしこ書く方が佳い、と気持ちに変化がでてきたからだ。つまり他人様の作品に依存して、自ら造ることを忘れるのは佳くないと思った。

 遺跡調査は、邪馬台国が中心だが、この中には旧い寺社仏閣も含まれる。要するに古代史好きなのだろう。
 写真撮影は、カメラの目を通してしか現実を見ることが出来なくなったからに過ぎない。ほら、ワープロ使わないと文章を書けないのと同じだ。それが不自然と思う人がいたら、新幹線もスマホも電車も自動車も冷蔵庫も炊飯器も掃除機や洗濯機やTVや水洗トイレもシャワーも使わずに、穴を掘って竪穴住居に住めばよい。余はそんなこと、もうできぬ。

 鉄道模型関係はアナログ状態では、山を越えた。というよりも、あまりに骨董的な世界なので無縁と感じたのだ。小さな機関車が数十万円もするのをショーケースでみていると、「余には関係なさそうだ」と、思ってしまった。その点、PC制御は、廉価な車両をプログラムで自由自在に動かすのだから、初期投資は少し必要だが、あとは時間と根気だけの世界だな。

 と、いろいろ楽しみはあるので、それをいちいちメモするとなると、MuBlogは無期限に書かれていくだろう。これが、余のblogの書き方じゃね。ああ、言い忘れた。余は口べたの分、文章はなんとなく、ねじくれてはいるが、思考速度並にかけるようになった。要するに、思考がそれだけとろくさいということじゃ。

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2011年10月24日 (月)

小説木幡記:葛野の様子

Muimg_50071.感動的学生生活
 余は極めて早朝に葛野に入る。想像をぜっする時間らしい(笑)。で、学生は余の一限目の授業には定時8:50分に教室に入ってくる。通学バスの関係もあって、まとめて一杯入ってくる。
 今朝。某学生と8時すぎに屯所で出くわした。驚愕の早朝出会いであった。
 余の授業とはいえ、遅れたり欠席すると余が容赦なく、「じゃ、また来年ね」と怒りもせずに、にこにこ笑って安易なばかりに採点不可を出すことが、一部識者(笑)には知られているらしく、眠い目をこすってでも、絶対に遅れない時間帯に、屯所で待機している。その心映えに、余は感動新たにした。

 また、別の学生はいわゆる屯所「日記」にどういう記事がお好みですか、と聞いてきた。余はその者実家のある地方の風物詩がすきなので、そのように答えると、後刻そういう日記が掲載されておった。実に、うてばひびくような感動的学生感性ではないか。うむふむ。

2.映画「2001年宇宙の旅」
 事情で、未来の世界をつかんでもらうために、半世紀前の映画を学生たちに見せた。
 400万年前に月にだれかが黒い石板を埋めたという想定である。しかし、映画ではすでに地球で原始人(猿人だな)がうきゃうきゃしている真ん中に、黒い石板(石柱かな)が突然にょきにょきとはえている場面もあった。地球史で見てみると、400万年前だと、猿と人とが別れて、猿人(あうすとらろぴてくす)が動き出した頃のようだ。これ以降、人は人としていろいろ枝分かれしたのだろう(と、専門書を読まないと正確には分からない)。

 さてそこで。
 時代は2001年、月でも石板が見つかったのだが、そうすると400万年前に地球に現れた黒い石板は、一体どこに埋もれたママなのだろうか。この原作も見、映画も数回みておるが、この地球の石板がその後どうなったのかは、余は覚えておらん。そのうちに分かるだろうか?

3.葛野の掃除
 葛野研を少しは小ぎれいにしようと思って午後、ほんの数時間、掃除し出した。なにかを抜き去ると、上から書類や本や模型がどかどかと落ちてくる状態だったので、怪我をしそうになって、整理整頓を始めることにした。Nゲージ機関車なら、皮膚をこする程度だが、HOゲージの電気機関車だと、頭蓋骨陥没程度の重さがあるからなぁ。
 ほとんど小ぎれいになる前に夜になったので、続きはまた冬休みにでも、と思って帰還した。
 うむ。
 本気で、掃除しましょう。

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2011年10月23日 (日)

小説木幡記:雑記帳

Mudsc_00451.ヘリコプター
 このごろおもちゃ屋さんによると、模型の電動ヘリコプターが沢山売られている。室内用、室外用とあって、とくに数千円の室内用は赤外線を使って操縦するから、室外だと紫外線の影響があって、飛ばせないと書いてあった。

 欲しいなと思ったのは、1万2千円ほどで、空からビデオや写真を写せるという、昔余が夢に見たラジコンヘリだった。借金するほどの価格でもないので、何度も、「では一つ買いましょうか」と思ったが、なにかしら思いとどまった。事情は、1万2千円もあれば、ガソリン代が2~3回分浮き、あるいは昼食代を20日分ほどこなせるというせこい貧相な考えからだが、~実は、「そんなもの、空から写してなんになる」というまことに現実的諦観によるものだった。

 人の家など不法に撮せば問題も生じるし、禁中・天皇陵を撮して公開したら逮捕されそうだし(笑)、それは実に現実的老成した正しい判断とはおもいながらも、心の一部では「余も、おもろいことをするだけの元気がなくなったなぁ。つまらぬ」という思いだった。

 しばらくおもちゃ屋には顔を出さないでおこう。
 なんとなく、今度こそ、もし立ち寄ったなら両手に抱えて持ち帰っているような悪い予感がする、のう。

2.タイムマシンと光速
 そのうち猿でもわかる漫画解説本がでるだろうから、それまで量子科学について放送大学へ入学するようなことはしないし、わざわざ受験勉強をして理学部へ入学する気も起こらぬが、それにしては近頃ニュートリノとかいうものが光より速いという噂をきき、それだけなら「それがどうした」で、すませていただろうが、なにやら、もしも光よりも速いものがあると、時間をさかのぼることになるから、タイムマシンが理論上できあがるという、とんでもない噂を耳にして、震えがでた。

 まさか、一部みて感動したドラマ「仁仁:じんじん」のように江戸時代にもどって、坂本龍馬にであったり、ペストを治したり~それは嘘の話だろうが、今回もし、もしも生きている間にタイムマシンができたら、どうしましょうと、本当に悩み出した。

 疑問1:光速より速いかどうかはどうでもよろし。なぜ光速より速いとタイムマシンができるのか?
 疑問2:もしタイムマシンができたら、不死を得る可能性もある。これは困ったことだな。余のエイリアスというか、身代わりが方々の時代に生きることになる。その考えは、すべてが等価なエイリアス(仮象・身代わり)であり、実体というものはどこにもなくなる。各々が自分を実体と思い込んでいるにすぎない、そんな世界が普通になる。
 こわいな。
 疑問3:余の存命中にタイムマシンができるかどうか。あはは、気の早い。無理だね。

3.相変わらずの古代史
 最近、森浩一『天皇陵古墳への招待』(筑摩選書)を買って半分ほど読んだ。傑作だな。特に、世界遺産が話題になっている仁徳天皇陵についての、森先生のお考えがわかりやすく丁寧に書いてあって、ふむふむと思った。森先生は、大山古墳と呼ぶことの正しさを唱えてきて先生だ。

 論中、明治時代に三重壕を造ったというところに、物事の見方の自由さが大切と思った。現代の仁徳天皇陵は壮麗な三重壕だが、その現況と原型とは異なる事。こういうことをキチンとする人が学者なのだろう。
 なお、余はそれでも仁徳天皇陵と呼んでおく。(それでは、森浩一先生を理解していない、とはおっしゃるな。人には事情があってな)。

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2011年10月21日 (金)

小説木幡記:小説を読み、書くことについて

↓撮影 副長07 「AngkorWat」曙 2009/09
0909angkorwat028 自分自身が書いてきた、書いている小説と、世の中で話題になったり、多くの人が好んで読んでいる小説とは、違ったところが多いと考えている。
 小説を作る上での技巧が上手でツボをついて、面白いとか面白くないという話も、余に限るならまるで世評と合わずにがっくりしたり、喜んだりしている。
 
 余にとって一番良い小説は、読み終わって数年して思い出して「そうだったのか」とか「そういう風なものか」と感慨にふけることが出来るような作品だ。その点では凡百の作品はほとんど役にたたない。読んだことさえ忘れている事が多い。後者は暇つぶしでしかなかったと反省している。というのも、暇つぶしに活字を読むのは、ものすごい浪費だ。歩いたり旅行した方が身体や心によい。

 これはしかし余の授業でもそうで、昨日学生達が話しているのを側で耳にして、苦笑した。つまり、余の昨年の授業や前期の授業内容をまるで思い出せない、何があったのかも記憶にない、といういささか大問題発言を隣で気軽に話しておった(笑)。

 それには別のオチがあって、「自分達で組み立てた(共同)課題達成授業」のことで心が一杯になって、他のことは全部忘れたという、そういう話の流れだったのだ。余が毎年行う一定の座学・パワポでの講義は随分時間がかかり、講義もまさか寝ながらするわけにいかぬから、労力もかかって居る。他方、学生達の課題達成授業は、余がねころんでいても、日月がたつと、自然に(爆)成果ができあがってきて、余はそれを品定めするだけで良い。気楽な授業なのだ。

 にも関わらず、学生(これは読者と考えるとわかりよい)達は、余のお気楽な授業には血道を上げて終了後の数ヶ月間は夜ごとの悪夢に襲われたり、達成感に酔いしれるのに、余が疲労困憊になるほど労力かけた授業は、まるで頭や心にその内容が残っておらん、と。

 世間によく読まれる小説と、まるで世間の興味を引かない小説というジャンルわけが余の心中にあって、余はその違いを分析したこともある。一般に、世間ではやるものは余の琴線に触れぬものが多い、というのが今の心境なのだ。余はむしろ後者、他に読まれないものに読み浸り、読後も長く余韻に包まれ、折に触れて思い出すことが多い作品がある。その二者が截然(せつぜん)区分できぬことも多いが、一般に流行ものはあまねく人の気持ちを惹くために、それは結局余の血肉になることが極めてすくない。単純な暇つぶしにすぎぬからだ。

 まさか。
 余が小説内容に教訓や実利や情報を求めているわけではない。余がその作者や作品世界で、どれだけおもしろおかしく心を自由に動かせるかの、つまりは未知の好奇心を刺激されて、冒険できるかあるいは冒険したか、それが余にとっての心にのこる良い小説なのだ。だから上手すぎる小説というのも、ひっかかりなく一過的にスムーズに余を通過するだけで、読んだ値打ちがない。

 そしてまたあらためて今朝思った。
 余は余自身にとって最良の小説をかくべきなのだ、と。余が思い出して「そうか、そうなのか」と思えるような作品を書くのが一番よいと思った。

追伸
 中谷孝雄さんという作家が昔いて、余は20代のころに数冊読んだのを今でも鮮明に覚えて居る。おそらく余にとって大切な小説の、ひとつの典型は中谷さんが書いたような作品なのだろう。『招魂の賦』とか『同人』がそれにあてはまる。心にのこる典型的な作品だ。余はこういう感性傾向の作品を書けぬから書かぬ。しかし佳いことは事実だ。

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2011年10月20日 (木)

小説木幡記:苦手な不慣れな人生だよ

↓撮影 副長07 「BengMealea」 2009/09
0909angkorbengmealea367 年齢に応じて人は変わるものだと、痛感しておる。自分自身が素直になってきたことと、いろいろなあきらめと、そして面倒だと思う気持ちが入り交じって、他人は知らぬだろうが(笑)、随分世間への対応が違ってきたのだ。

 事実は余が人に倍して苦手なことや不慣れなことや、能力不足で人生を悩みながら今にいたった。だから、いまだにそういうことが少なく見える多くの人達をみていると、羨ましく思える。ただし、その優秀な人達と人生を交換しようとは思わない。この人生にも言い尽くせぬ、佳き点があったのだ。

 それにしても苦手不得手不慣れ、「ああ、嫌だ、嫌だ」が多かったなぁ。
 だからこそ、自分が変わったと思って居る。要するに、たとえば学生たちへの叱咤激励が少なくなったきた。大抵のことには、「よい、よい」と済ませるようになってきた。そりゃ、我が身とくらべると、苦手、不得手なことは老いも若きも同じ苦しみがあるだろうと、他人の気持ちを忖度できるようになった、そういうことだ。
 いつまでも繰り言を書いてもしかたないので、具体的にメモを残しておこう。

1.字の下手さ
 とてつもなく下手くそな字しか書けない。だから人前で筆をもったり、板書したりする場面が怖い。本当に恐怖で冷や汗がでる。(よくしたもので、その分「巧言令色少なし仁」のうち、巧言は比較的すらすら口を出る(ぎゃはは)) 
 だからレポートで、とんでもない下手な字を書く学生がまれにおるが、比較的寛容であるぞ。

2.漢字を書けない
 これは、面倒なので詳細は省くが、中学時代に気の良い国語教師の御蔭で、相当な虎馬が残ってしまった。「いやだ、わからない」というのに、市内の漢字選手権にむりやり派遣されて、最低点を取ってしまった。
 さても、特にワープロが普及しだしてからは、もう普通の漢字も手書きが不可能になった。自分の住所氏名くらいしかまともに書けない。(よくしたもので、その分、戦前の旧漢字でも、すらすら読めて、意味がつかめる)
 だから、レポートで簡単な漢字をひらがな書きしている学生がいても、寛容だなぁ。

3.会議が怖い
 これは、数時間でも黙っている時があるから、余計に辛いのだろう。まず、他の人が言っていることが、すらすらと頭に入ってこない。ほとんど「一体、この人は、何を言いたいのだろう」と、その疑問符ばかりがうまれてくる。おそらく、人の気持ちや言葉遣いを理解する能力に欠けて居るのう。で、わからないのが連続すると、怒りが湧いてくる。だから、ときどき爆発的な発言をして、会議をめちゃくちゃにする。だから、可能な限り、会議にはでない。職場の会議は、もう、こりゃ、税金だから、死んだふりして出て居る。
 だから、ときどき変なことを言う学生がいても、実に寛容である。


 とまあ、列挙し出すときりがないのでこのくらいにしておく。要するに長年自分自身を苦しめてきた、苦手意識、不慣れ意識をくっきりと客観的に見られる年齢になると(若い内は、それを認めるのが敗北につながる恐怖に陥る)、自分にも、他人にも、寛容になる。よしよし、の世界観が生まれるのう。それはきっと、最後の自己保存機能発動なのだろう。まずよしよしと、自分を認めてやらないと、明るい余生を送れないではないか。他を認めるのは、その方が機嫌が良くなると、経験則でわかっておるからじゃ。

 人は、変わるものだ。パンタレイ(万物流転)の一種じゃな。
 お互いに、寛容の精神でいこうではないか。

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2011年10月19日 (水)

小説木幡記:心とロボット

↓副長07 「TaProhm」 2009/09
0909angkortaprohm266 京都はすっかり秋らしくなった。自分の造った小説世界で、日が落ちた秋・山寺の情景がまざまざと浮かんでくる。世界を考えたとき季節を求められるなら、余は「秋」とする。どんなときも転機は秋に訪れた。それらの発端は、余の内奥の動き、ひらめき・きらめきに過ぎぬが、それでも秋に考えたことや始めたことがいつも人生を動かしてきた。

 余は春四月に生まれたので、死するは秋がよいと思っている。今は十月だが、秋真っ盛りの十一月がよい頃合いだろう。そう願って居れば、やがてそうなってくれるのが、嬉しい人生だ。生も死も、一つの大皿に盛られたご馳走のようなもので、食べれば消える、生きれば死に近づく。実に単純な理(ことわり)であるぞ。

 そこで。
 生と死と二項を並べたが、実は限りなく「生」だけある。余はどのように死のうとは思っていない。古武士のように死に場所や死に方を考えもしない。死はどこからか訪れ、それを受け容れる用意だけしておくわけだ。他は、ひたすら生きることにある。つまり、死ぬまで生きるわけだ。

★ 心のこと
 ミンスキー先生の『心の社会』を読了したのは2007年3月上旬だった。感動はしたが難しい読書だったので理解は仕切れなかった。だから、いつも同じ疑問をもってしまう。
 心は人間の脳や身体にどのように埋め込まれているのだろう。
 そして世界・現象、その前後関係、因果関係、時系列を把握するのは人間の心だけなのだろうか。
 あるいは、人間以外には心と呼べるものがあるのだろうか~。

 うちのハルキ猫君に心があるのだろうか?
 しかり、たしかにある。
 どんな意味においても、ハルキ猫君に心があると、ずっと観察してきた。
 ずっと対話してきた。
 いまでは表情を読み切ることができる。彼には表情に心があった。

 そこで。
 人が過去の記憶をどのように格納し、引き出してくるのか、ミンスキー先生のモデルで会得した気持ちになったが、まだ余は理解仕切れていない。
 多分心のフレーム(枠構造)が何重にも重なっているのだろう。スタックみたいに。いや、逆スタックかな。
 下から差し込んでいき、旧い記憶がどんどん登ってくる。だから、人は大昔のことを鮮明に覚えており、さっきの短期記憶をすぐに忘れる~
 と、心理学なのか、脳科学なのか、人工知能科学なのか。宗教なのか。難しい。

★ Robo Xero(ろぼぜろ)
 こんどこそ少年司書ロボをつくろうと思って、今年の3月ころからRobo Xeroをつくりだした。最近ようやく30号まで造ったので、残りはあと同数近くになった。いや、たしか70号をこえるのか? 
 気の長い話だ。
 このロボットに心を持たせるのは難しいが、人工知能事始め程度には、それらしくなる。楽しみだ。

 毎回ネジは一本余るようになっておる。これはこの30回まで使ったことはないが、安心感はうまれた。初回にドライバーが一本あって、使い勝手はよいが、やはりドライバーは別途持っていた方が良い。ごくまれに、PCのハードディスクを締め付けるほどの力を込めるプラスドライバーが必要になる。まんべんなく数本の極小ネジを巻き締めるには、専用精密ドライバーがあったほうがよい。
 そして支えにラジオペンチも必要だな。

 慌てず騒がずに、一冊ずつ丁寧に開梱して説明通りに組み立てれば間違いがない。たまった数冊のパーツを一挙に開梱すると、どれがなにやら分からなくなる。一回分の平均は30分間かかる。その程度にしておくと疲れがでず、失敗がゼロとなる。余はこの30回、ミスがなかった。

 このRoboXeroにはSDカードが組み込まれ、そこにPCから結線して、記憶や行動倫理(笑)を記憶しておくようだ。数回前から雑誌にはこのコントロール・ソフトウェアの使い方が断続的に始まった。形在る物が人の心を慰める限り、こうした形に心のふるまいを装わせるのが今後の課題なのだろう。

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2011年10月16日 (日)

鉄道模型のPC制御:(08) JMRI→DP1cs(南福岡急行)→DP1(永末システム)→DF50(KATO)

承前(DP1 ):鉄道模型のPC制御:(02)赤い箱・DP1と南福岡急行の話
承前(先回):鉄道模型のPC制御:(07) 廉価なDCC組み込み車両(HO)とアドレス設定

今回の概要
 国産のDCC制御機器DP1(赤い箱:永末システム)を、南福岡急行鉄道blog「DP1cs:DP1 Command Station」のネットワーク機能を用いて、JMRIで操作する実験(の準備)。

 ☆このことによって、JMRIが持つJythonによる鉄道模型・自動制御の可能性が広くなる。
 ☆Windows、MAC、LinuxなどによるJMRIでの共時・遠隔列車制御が可能となる。
 ☆ネットワーク機能はWiFi(無線)利用が可能なので、DP1csの媒介で様々な模型運用が考えられる。

08-00 小型車両が似合う赤い箱(DP1:永末システム)

Mudsc_0058
↑JMRI制御のDP1cs経由DP1で走るNゲージ・ディーゼル機関車DF50(KATO製+DN163K0a搭載)

 鉄道模型をコンピュータ:PCで自由に制御したい時、それは一般的にDCCと言われる仕組みで可能と知った。ある列車(たとえば図書館列車)がある駅(たとえば、中央図書館駅)から別の駅(隣町の博物図書館駅)へ行って、そこで図書館利用者を降ろして、また別の客を乗せて、別の町の植物園図書館駅に運びたい~。そういう「物語」を自動制御したい、……。と思ったわけだ。

 そんな物語の断章を目で見るためにときどき小さなジオラマを造る。超小型のジオラマ(レイアウト)のことをパイク(pike)と呼ぶらしいが、過去数点造ったので手慣れてきて、最近は30センチX60センチの基板に5センチほどの厚さのスタイロフォーム(堅い発泡スチロールのような)を載せて、そこにコルクシートを貼っただけのものを造った。回りは幅広いカラービニールテープで補強し、ジオラマ上には建物模型を数点並べただけのものだ。レールは、この場合はTOMIXの超小型レール(半径14センチとか、10センチ程度)を組み合わせている。

Mudsc_0060

 動力車はNゲージなので、DCCに不慣れな場合には、HOタイプよりもやっかいな改造だが、KATO製の車両には比較的気楽なものもあって、車両専用デコーダを載せるだけで走るものがある。写真のディーゼル機関車はDF50と言って、そこにDN163K0aというほぼこの車両専用のデコーダを載せた。KATO製NゲージではDD51の方がもっと気楽にDCC化できるのだが、それはそれでこのパイクを曲がりきれない。そしてまた写真の詐術というか、内周の半径10センチTOMIXレールでは、DF50も走れず脱線する。だから、ここを走るのはMODEMO社製の江ノ電(1000形)を普通のDC(直流)で走らせている。この場合、TOMIXのダブルクロスポイントは選択配電なので、外周の交流と、内周の直流とはぶつからない。

 と、このような細部は今回はよくて、要するにパイクと呼ばれるような小型のジオラマDCCには、最初から使っているDP1という赤い小さな箱が一番似合っている。下部写真の机中にあるDP1の実寸は、横65mm、縦55mm、厚さ20mmの小さく真っ赤な箱である。USBに接続するだけで動力車を動かせるが、写真の様に付属の別途電源を挿入した方が力強く走る。

08-01 南福岡急行鉄道の開発システム(DP1cs:Dp1 Command Station)媒介による駆動

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↑机上ひきだしの中のDP1(SNJPN:赤い箱)

 永末システム製のDP1は、付属ソフトウェアが付いているのでそれだけでPCによる列車制御が可能である。また南福岡急行鉄道(個人)が開発したDp1CommandStationは、DP1をより容易に使うことが可能である。これらのことは本シリーズの(2)、(3)、(4)に記した。

 しかし一方、DCCシステムの汎用性は処理言語JavaやJythonを使うJMRI(無料)によって確かなものがある。少なくともインターネットを見る限り、Jythonによる列車の自動制御システムの事例が豊富である。このことから、DP1という優れた国産のDCCデコーダ・プログラマー機器とJMRIのような国際的な開発システムとがまとまって使えれば、安心であると考えてきた。どのような場合も複数の可能性を残した方が、将来に向けての良質な進化や安定性が高まる。

 しかしこの数年間、JMRIからDP1を制御して、模型車両を運用する方法を取得できなかった。ところが最近、かねがね使っていたDP1cs:Dp1 Command Stationが、実は優れたネットワーク機能を持つことに気がつき、実験し、良好だったのでこの方式を使うことにした。

 利用者PC→JMRI→
 DP1cs(南福岡急行鉄道)→DP1(永末システム)→レイアウト(列車等制御)

 この方法の全体システムとしては、開発システムJMRIとインターフェース機器DP1との間にDP1csをはさみ、それを媒介にしたネットワーク上でDCCレイアウトを運用することになる。つまり利用者からみると、JMRIから「DP1:赤い箱」を通して機関車を操作しているような形になる。

08-02 設定(DP1cs: DP1 Command Station)

Op DP1csの設定は ツール/オプション/ネットワーク、この窓でネットワーク機能を有効にし、ポート番号を「1234」とするだけでよい。これで完了といえる。
 ただし、IPアドレスはメモしておくと、他のマシンからこのDP1csサーバーに接続するとき役に立つ。

 コンピュータ名や、IPアドレスはDP1csが自動的に設定してくれる。またこのIPアドレスがネットワークを通した他のJMRIが走るマシン(Windows、Linux、Mac等)のJMRI上で、サーバーマシンのアドレスとして設定する値になってくる。このことで、WiFiなどの無線上運用が簡便にできる。

 そして最大接続数とは、私のシステムでは「8」以上は無理だったが、このネット上でのDP1csサーバーの許容接続数と想像している。

 この画面に関連して、DP1csの主画面での注記には以下のようなことがある。
 DP1csでは、列車アドレスを割り当てない方が、あとでJMRI上でスロットルによって列車割り当てを行うときに、問題が生じない。おそらく、JMRIとDP1csとで、同じ車両番号を当てはめるとぶつかりが生じるのだろう。よって車両のスロットルによる割り付けは各マシンのJMRI上で行うのがよいと考える。
 ただし、DP1cs上で、一つの列車に対して、右ボタンで「共有」を与えると、数台のJMERIマシンからスムーズに一台の機関車を制御できるようになる。これは、まだやり始めたところだが、面白そうだ。

 DP1csはサーバーシステムだから、これを最初に起動し必要な設定を確認するというシーケンス(順番)を守った方がよい。各JMRIは、その後で起動する。

08-03 設定(JMRI)

Settei JMRI自体は、PanelProないしDecoderPro上段の「編集/設定」窓を開き、そこでいくつかの設定を行う。なおJMRIの仕様によっては、以下の設定以外のことを求めることがあるが、基本的にdigitraxの手法を援用していると考えておけば、スムーズに行える。
 
☆接続方式は、「LocoNetOverTcp LbServer」とする。これはDigitrax社が普及させたLocoNet(ロコネット)と呼ばれるDCC共通バス(通信線)に、外部からネット経由接続するための方式である。
☆<Server Host Name>欄にDP1csが動いているIPアドレスを入れる。最初の内は、DP1csとJMRIとは同一マシン上のことが多いので、「localhost」で済ますことが出来るが、両者がLAN上での別のマシンならば、DP1csサーバーが起動しているIPアドレスを設定する。
☆<TCP Port Number>DP1csと同セットで1234とする。
☆<Command Station Type>これは「LocoBuffer(PS)」を選択する。

 他のチェック項目はこのJMRI仕様では必要とされない。
 以上を下部の【保存】ボタン押下で設定し、JMRI(PanelProないしDecorderPro)を再起動すれば、JMIRIがDP1csを経由して、赤い箱(DP1)を駆動し、線路上の列車を走らせることが出来るようになる。

08-06 プログラミング事始め(Jython)
Jython01

 上述の08-05までがうまく設定できれば、あとはJMRIの画面上でいくつかのスロットルを呼び出し、そこに線路上の機関車の番号を設定すれば、数両の機関車が同時に自由に動き回ることができる。JMRIで指令を出す分には、レールにつながっているのがKATO社(デジトラック社)提供のDCC機器であるとか、永末システムのDP1であるとかを気にしなくてもよい。

 しかしここからが大問題である。ここで終わってしまっては、わざわざJMRIを持ち出して、「プログラミング(Jython)事始め」と記した意味がなくなる。実はこれまでの記事はDCCをJythonなどで自由に操作し、列車を知能あるかのごとく振る舞わせるのが目的であった。そしてその道は近くて遠い。とりあえず、今回は大きな画面にいくつかのプロセスをまとめ、その解説をもって次のプログラミング世界への序章としておく。

☆左上のPanelPro画面では、中央に「localhost経由でLocoNetOverTcp LbServerに接続しました」と出ている。これがTCP/IPの仕組みを利用した、今回のJMRI操作の要点である。わかりやすく言うと、このJMRIはDP1csに接続しました、とメッセージを出しているわけだ。だから、エレガントで小さな国産DP1を、いくつものJMRIからネットを通して駆動できるようになった。つまりレール上のDCC車両を自由にうごかせるようになった。

☆左側中央の二つの小窓、「スクリプト入力」と「スクリプト出力」がJMRIの利点で、この入力欄にJython様式で命令を書けば、結果が出力欄に表示され、同時にレール上の列車がその命令内容に反応する。

☆左側下のDP1CommandStation画面は、参考に載せたが、このDP1csだけで列車を駆動させるには、左側の山見出し「(1)51」表示のように、目的車両番号をこのDP1cs内で割り当てる必要がある。直接駆動をせずに、他のJMRIから動かすには、この割り当てはしない方がよい。たとえば、右側の列車名50でアドレス50の車両は割り当てていないので、左側山見出しに出ていない。これがJMRIで割り当てられると、アドレス50→50、というように斜め文字に変化する。

☆画面右側の濃青小窓はJMRIが提供しているサンプルJythonプログラムを編集しているところである。実はこのサンプルは編集しなくてもJMRIの、パネル/スクリプト実行、を押下しそこで、LocoTest.py を選べばなんの問題もなく、画面に右上の小窓「Data entry」が出現し、そこで線路に置いた任意の機関車のアドレスを入力すれば、自動的に行きつ戻りつし出す、というわかりやすいJythonサンプルである。この場合は50番を入力している。

★Jythonプログラミングを、JMRIの中で統合的に効率的に開発する方法は、実はまだよく分からない。おそらく将来にJMRIの仕様が上がっていけば、「スクリプト入力窓」がもっと使いやすくなるだろう。現状は、事例のように他のテキストエディタで編集し、入力窓にコピーして動かすか、あるいは直接実行させるかどちらかしか、まだ経験していない。

08-05 まとめ
 「赤い箱」というしゃれた小箱でDCC仕様の鉄道模型を動かすことがこの一年の願望だったが、これまで見つけられなかったDP1csのネット機能を使って、それが出来るようになった。勿論DP1csのインターネット機能は、私が知らなかっただけで数年前から稼動していた。

 このインターネット経由でDP1を駆動出来ることで、最近の無線LANの向上、いわゆるWiFi形式でおよそJMRIの動くPCを数台までは、同時に扱えるようになった。Windows、Mac、Linuxと、多様なOSを扱えるので、様々な面での自由度が一挙にあがった。

 Jythonについては、特別な世界では普及しているだろうが、一般人としては未知の言語に属する。しかし鉄道模型制御の一つの潮流「JMRI」がインタープリターとしてJythonを使っているのだから、それに親しむのが早道だと思っている。教科書もでているので、格別複雑なことをしない限りは、歴史的な手続き型言語の一種なので、宣言型言語のように、考えが一変するわけでもない。というか、旧来の見方でみても、必要なことは理解できるという点で、取っつきやすいと言えるだろう。

 というわけで、次回は、列車線路上検知・センサー問題としてデジトラック社のBDL168やRX4の入門部分に入る必要があるが、なかなかにハンダ付けに手間取る、いわゆる原始的な世界である。

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NHK江(40)休載通知

 事情でしばらくの間、大河ドラマ「江」の感想掲載を休みます。
 勿論、毎週私が「江」を鑑賞することに、変わりはありません。
 ではまた再開した折りにはよろしく。
再見

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2011年10月15日 (土)

小説木幡記:アップル祭り

↓撮影 副長07 「BengMealea」 2009/09
0909angkorbengmealea452 昨日は授業も無かったが、校務で定時に某所に集合し、何人かの若い新人と一人一人、話をした。おもしろきことがいろいろあったが、職務上知り得たことは漏らしてはならぬので、筆おくなり。
 さて。
 極めて性狷介(笑)な面も少しくあって、大切な仕事をした分、自分の研究読書調査時間が喪失したので、多少機嫌が悪化した~。それと時間が中途半端になったので、日頃できぬことをし始めた。
 えいやっ! と三つのOSを新版に変えたわけじゃ。

●Lion(MacOS)
 Macの羽根のように空気のように薄く実体のないマシンに、Lionという新OSを投入した。これはAppleIDとかいう記号入力で一騒動起きた。要するにそこら中のメモを探し求めて、余がどういうIDを使っていたかをさがしたわけだ。意外にパスワードは日頃毎晩旧iPadで使っているので問題はなかった。iPadはマシン自体がIDみたいなものなので、聞かれた記憶も設定した記憶もなかった。
 AppleIDは新OSの代金支払い(2600円)のために、airMacから必要になったのだ。
 ところが、iCloudという雲上人の世界に入ろうとしたとたん、またしても「君のメアドは登録されていない」とかなんとか愚痴を言い出したので、腹をたてて、iCloudは放念した。新システムの利権の数割をすてたことになるが、これは辛抱強くなったころに、再度試してみる。
 ほんまに、Apple世界で生きると、相当に辛抱強くなるなぁ(笑)

注:新Lionになったとたん、画面がめちゃくちゃにこわれたので、これはまた些少変更を追加せねばなるまいのう。

●Ubuntu 11.10
 UbuntuのJMRI上でのJython開発記事を読んでいる間に、「どうじゃ、新ヴァージョンだよ、変えないか?」とubuntuの記事に出くわしたので、あっさりOKを出したら、これまた延々とダウンロードをし始めた。ほんまに性懲りもなく沢山のダウンロードだったので、Lionと同時変更で、イーサネットが溢れたのじゃ無かろうか(笑)。
 しかし、Linuxは素性がよいのか、金を出せ、なんて一言も云わずにきれいさっぱり新OSに代わってくれた。

●iOS5(iPad)
 これは木幡の昨夜に行った。葛野でApple祭りに熱があがって、余熱が下がらずに、そのままiPAD も新OSに替えた。これは無料だったが、相変わらず自宅別マシンに接続しての更新やったのう。これからは他のPCの助けなしで、独立システムとして動くのがウリの一つだったが、なんのことはない、変身するには他のマシンが必要じゃった(当然だな。変身する前は、前のiPad、OSやから)。

 これはiCloud(いつでもどこでもマシン選ばず無料で5GBの雲上倉庫)が魅力やったが、更新がうまく行った後も、さてiCloud は? という状態じゃね。きっと意識しないですでに使っておるのじゃろう(笑)。
 どうなのか、我慢強くなったころに調べてみよう。200箇所以上に変更があったと書いてあったが、昔のままの旧iPadに見えるが。もしかしたら、途中で変更を止めたのかもしれない。

○などどアップル祭り
 これは若い痴人がどこかのblogに書いておって、それにうかれて、余もAppleの新OSを二つ同時に、さらにubuntuも変えたということで、一種の破滅的祭りに身を投じたようなものだ。
 まだアンドロイドをiPhone4sに変えないだけの自制心というか、冷静さは残っておった! 人はときどき、悪酒悪食悪?に酔うといえば、apple党のひんしゅくをかいそうじゃ。

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2011年10月14日 (金)

九州2011夏:福岡篇:太宰府天満宮の九州国立博物館

承前:九州2011夏:佐賀篇:吉野ヶ里遺跡

1.太宰府天満宮
Muimg_6541
↑麒麟:キリン

 太宰府天満宮に早朝に到着し、麒麟像を眺めたとき、『月の影 影の海:十二国記/小野不由美』を思い出した。この長編シリーズでは「麒麟」は一国の宰相を意味し、実に重い役割を持っている。そしてまた魅力的な設定なので、ときどき思い出す。日頃はビール会社のマークでしか眺めないが、こうして間近にみてみると随分荒々しい動物に思える。昨日の授業で、空想動物の分類というテーマが学生から上がっていたが、こういう空想動物にはキメラが多い。麒麟だと、龍と馬との合体かと想像した。で馬は現実だが、龍はまた空想の物だ。歴代中国では龍とは皇帝をさしているから、空想がいつのまにか思想になって現実と虚構の垣根を越えてしまっている。

 天満宮に祀られている神さまは菅原道真(すがはら・みちざね):菅公で、藤原家との政争に敗れ、ここ九州太宰府に左遷されたお方で、歴史上実在した人が神様になっておられる。なぜ太宰府に来ることが左遷なのかは、都を中心にして考えると、都からの距離によって中央政治での権力に強弱が生まれるのだろう。本当は、太宰府は第二の都といわれるほど当時の日本にあっては格式の高い地域だったが、政治の中央ではないから、頂点近くまで上り詰めた菅公が、九州へ行くと言うことは、後のない懲罰人事を受けたことになっている。藤原氏専権のよい事例であった。

 さて、菅公といえば、京都の北野天満宮を親しく思い出す。というのも、高校時代の友人知り合いの多くがこの北野の天神さん地域から来ていたからだ。京福電車(嵐電)でいうと北野白梅町駅が通学路の起点になっていた。天満宮は、太宰府天満宮、北野天満宮、大阪天満宮などを代表として日本各地に沢山天神さんが祀られているが、現代は学問の神様としての性格が強い。往時は、菅公の祟りを鎮める意味が強かったらしい。そんなこともよく知らないままに、北野の天神さんの市に出かけた記憶がある。祖母が毎月25日の天神市を楽しみにしていたから、何度か一緒に行ったのだろう。そして、友人達の家へも遊びに行っていた。~

 だから、九州太宰府天満宮は、まるで、本当に親戚の家を訪ねるような親しみを持っていた。遠隔地だから、今回は三度目のお参りにすぎないが、鮮烈な記憶や、疑似記憶に包まれているので、毎年お参りしているような奇妙な思いにひたって、今年の夏も訪ねた。
 その境内から、十年近く前に開設された九州国立博物館への経路、歩くエスカレータが造られていた。

太宰府天満01
太宰府天満02:御神牛
太宰府天満03:天満宮鳥居
太宰府天満04:太鼓橋
太宰府天満05:重要文化財・志賀社
太宰府天満06:志賀社の由緒
太宰府天満07:楼門
太宰府天満08:本殿
太宰府天満09:本殿
太宰府天満10:キリンとウソ

2.九州国立博物館
Muimg_6581
↑一階のエントランスホール

 九州国立博物館について、同行のJo氏は手厳しい評価を参考にあげたJoBlogに残している。で、私はその説に賛同する。しかし理屈で賛同するのと感性で愛着を持つのとは、別のことだと思った。たとえば、天満宮から博物館に至る長大な歩くエスカレーターや建物は、まるで往時の箱物行政の悪弊、バブルの残滓に近く、批判は当たっている。あたっては居るのだが、一方「常にいつも世間から無駄と思われる図書館や博物館に、これだけの資金をかけ、思いを込めている」というプラスの評価を私は持つ。

 本当は、建物を立派にし、芸術家である建築設計者の意図を尽くすほど、後日膨大な水光熱費に税金を投入せざるを得ない実情もよくわかる。しかし、貴重な税金を図書館や博物館に浪費することに、私は国の成熟を味わう。本当に貧しければ、人は米やパンにしか目がむかない。図書館や博物館が順調に開館している間は、その国にとっては「平和」があると考えて良い。
 ~。
 様々な思いにひたった。Jo氏のいう「レプリカが多い」という話も、実情はそうなのだろう。後発の博物館としては、時が必要なのだ。東博や京博や奈良博が秘蔵の国宝を、たとえ九州にゆかりがあるものと云え、九博に管理替えするとは想像も付かない。実情は分からぬが、九博は一人孤独にお宝を集める苦難を背負って誕生したといえるだろう。
 ~。
 などとすべては想像にすぎない。
 想像でないのは、相変わらず撮影禁止が多かったことだ。これこそ、Jo氏とともに憤怒の思いで早々に館をでた原因だった。多くの人は自分の目で見て対象を味わい確認する。私はすでにカメラファインダーを通してでないと対象を把握できない慣性にある。つまり、カメラでみないと物を把握できないのだ。その私にとって、肉眼でしか見ることを許さないという措置は、ばかばかしくて話にならない。国のお宝を国民や訪れる者が記録に残せないというのは、一体どういう了見からなんだ!? カメラ・フラッシュがレプリカを傷めるって? 販売パンフレットの売り上げが落ちるって? 
 あははは。
 ~
 もうよそう。

九博01:麓の入り口
九博02:案内板
九博03:エスカレーター
九博04:歩く歩道
九博05:偉容
九博06:正面入り口
九博07:タクシー乗り場
九博08:人影
九博09:銘板
九博10:ミュージアムショップ
九博11:巨大な吹き抜け
九博12:水城(みずき)造成模型

参考
  JoBlog:築紫紀行(9) 太宰府天満宮
  太宰府天満宮
  JoBlog:築紫紀行(10) 九州国立博物館
  九州国立博物館

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2011年10月13日 (木)

小説木幡記:充実していること

↓撮影 Nagai副長2007 「AngkorWat」夕景
0909angkorwat311 世の中を斜めに見て構えているだけでは、面白くない。気付かないうちに悪循環に陥っていることが多いものだが、それでも、人知れずうっとりと経費もかからず充実していることもある、~。と気付く。だから、人生はすてたものでもない。

1.プログラミングとDCC
 まだMuBlogできっちり公開はできないが、雰囲気だけは近いうちに記事を書く。というか、余生はこの世界が大きな柱になるのだろう。
 ちかごろJythonというプログラミング言語を使って、実体を持つ鉄道模型を制御することに少しずつなれてきた。いわゆる、昔取った杵柄というか、往時のプログラミング開発の高揚感を今更ながら少し味わえるのが充実感をもたらす。自分の書いたコードで、眼前にある模型が動くのは、生の現実感をもたらす。

2.松本清張や北森鴻
 お二人ともすでにこの世にはない、いわゆる旧い作家である。こういう旧い作家のしっとりした短編を読むことにはまって居る。
 これも、生の充実を味わうところだな。
 清張さんは、宮部みゆき責任編集の傑作短編集を文庫本3冊で、きままに読んでおる。順番とか、その他人為は加えずに、上中下のどれか手に触れた文庫のうち、自然に開いた所の短編を読むわけだ。読み終わってから、宮部さんのおもしろい解説を読み直す、……。
 北森さんは、最近、目に入る手に入る文庫を集めて居る。と言っても、まだ8冊程度だ。気がついたら、その8冊は読み終わっていた。北森さんの佳さは、清張さんほど知られてはいないので、MuBlogでもいずれ感想文を書いてみよう。ともかく、北森さんの短編はどれもこれも超長編にできるほどの中身で、読み終えるたびに「これだけの準備をして、これだけに圧縮する。ものすごい贅沢だ」と思うものが多い。そこに、深夜ひっそりした読後感を味わい充実するなぁ。

3.歩く充実
 この一週間は風邪で伏せっておったが、それにしても歩くことの快感を味わいだした。大体電車で一駅分だから、往復で4キロ前後の歩行に過ぎない。しかし無心になって京の町中を歩くのは、角毎に日々変化があるので、飽きない。
 大体、ジグザグが多い。よくあるパターンは、京阪三条まで行って、そこから三条通りを西に行き、終点は四条烏丸の阪急駅である。西に行くとき直線をとらず段々状に南下しながら歩くのだ。だからどの路の角で南下して、また西方浄土に向かうかは、その日の気分で幾通りもある(笑)。
 これがえもいえぬ充実をもたらすなぁ。


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2011年10月12日 (水)

小説木幡記:風邪とともに去った休暇

↓撮影 Nagai副長2007 「Thom」 2009/09
0909angkorthom156 先週末(金)から昨日(火)まで余と大学の双方の都合で合計5日間の休暇をとれた。しかしながら、そのうちの四日間はまれな風邪で寝込んでしまった、一体何をしていたのか、まるで思い出せない。
 (長き人生も、そうなる可能性が高い(笑))

 もう書き散らしたことだが、おそらく余は花粉症という症状に似た状態で呻吟しておった。世間の花粉症の方達の長きにわたる闘病の苦しみを漸く味わったという、貴重な経験をした。それぐらい、滅多に風邪を引かない、花粉症にもまだならない(今回のことで、絶対になりたくない! と誓った)。
 
 一般に人は他人の苦しみや悲しみを味わうことはできぬ。極端に出来ぬ人は、精神・心理的症例として話題に上がる事も多い。しかし他人のことが分からぬ方がよいことも多い。あまりに分かりすぎると金縛りにあって外にでたくなくなり、他人と接するのが辛くなる。もちろん逆に、他人の気持ちを分からぬ故に失敗を重ね、ついには外に出たく無くなる場合もある。

 ただ、横臥している間に思った事は、あまりに考えることすら面倒になってきたので、「もう、いいよ!」と内心叫び続けた、ということだ(笑)。つまり、これまで他人の風邪や花粉症の辛さを知らなかったことで、随分他人に惨い対応をしてきた自責を思い、「もっと、人の事をかんがえてあげなくちゃ」と極端に振り子がふれて、返す刀で我が身を切り刻み(なにか、話がねじくれてきたぁ)、結局のところ、人のことを考えても考えなくても、この数日の風邪症状は辛かったので、「もう、いいや!」と、なった次第である。

 さてさて。
 人生は、「もう、いいや!」と叫んだところで、新たな始まりがある。昨日は回復し、大学は休みなのにでかけて、あれこれ雑務をし終わった。結局、雑務に終日手を取られる人生哉、とも思ったが、回りを見渡すと数名の同僚達も部屋におったようで、「あああ、みんな同じように、人生にあえいで居る」と、承伏した次第なり。

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2011年10月 9日 (日)

NHK江(39)運命の対面 :風邪にて不快・休講

承前:NHK江(38)最強の乳母:苦労人同士の確執

 恒例大河ドラマ講釈、一週間のご無沙汰でしたが、本日休講します。
 鼻が出て、目がしばしばして、喉がかれて、脳が風邪薬でぼんやりしています。
 話に聞く花粉症とはこういう状態なのでしょうな。
 ではまたいずれ。

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2011年10月 8日 (土)

小説木幡記:風邪引きとは

 木曜日の夕方ころから心身がふらついて、昨日金曜日は終日横臥した。
 めずらしいことであるが、風邪を引いたようだ。
 食もすすまなかったが、今朝起きてみると、昨日よりは楽になっておった。
 楽とかだるいとか、頭が霞むとか、喉が痛いとか鼻づまりをするとか、……。それぞれ人間の身体の反応は面白いな。特に「だるい」というような灰色感覚は一体どうやって感じ取って居るのだろうか。
 まだまだ不思議が一杯ある。

 そうそう。
 昨日は半分、まどろみながら、『狐罠(きつねわな)/北村 鴻(きたむら・こう)』(講談社文庫)を読んでおった。まだ6割しか読み終えておらぬが、ほとほとこの作家の早世を惜しんだ。49とか50歳でなくなられたようだ。上品なミステリである。

 そうだ。49歳で早世とは昔なら間違い用法といわれるだろうが、今や、余の感覚ではジョブズの56歳ですら早世に見える。
 さて。
 まだ出歩くほど復調しておらぬ。
 また、一眠りして考えよう。
 風邪引くと、ちょっとたそがれじゃなぁ。

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2011年10月 6日 (木)

鉄道模型のPC制御:(07) 廉価なDCC組み込み車両(HO)とアドレス設定

承前:鉄道模型のPC制御:(06) DCCのスターターセット(HOとKATOのD101)

07-00 廉価なDCC組み込み済みのHO車両
Muimg_7254

 この写真の車両はBachmann社の動力車でDCCデコーダがあらかじめ組み込まれていて、「GE70t LOUISVILLE & NASHVILLE #99 DCC(3680円)」と手頃な価格である。客車は同社の「Open Sided Excursion car yellow(2210円)」で、日本では見られない斬新なトロッコ車両である。この二つの、いわゆるNゲージよりもひとまわり大きいHO車両が、動力車と客車をあわせて5890円で入手できることに、驚いた。

 こういう少し変わったDCC車両を素っ気なく気安く通信販売しているのは、「Models Shima」という、もともとはGスケールの専門店である。私がここを知ったのは、以前に、鉄道模型愛好家(兼作家)の森博嗣さんが、まだGやHOスケールの電気式模型を主に扱っておられたころに記された、「DCC関係車両をおそらく日本で一番安価にそろえるお店」という記事紹介を見たからである。

 本当は、この車両一式2両が6000円以下で入手できることについて、もっと記したいのだが、できるだけ技術情報を中心に置きたいので、社会評論家のまねごとは止めておく。ただし、日本国内ではひとけた異なるDCCのHO世界が特殊過ぎることはメモしておく。

Bach01:GP40-サンタフェと、GE70t
Bach02:DCC動力車
Bach03:Santa Feマーク
Bach04:ディーゼル機関車:HOスケール

07-01 車両のアドレスを整える
Op99address

 DCC車両には、内部コードとして最初の車両アドレスが「3番」に設定されている。DCC世界で単純に車両を動かすなら、「3」として扱えば問題はない。しかし複数の動力車を一本のレール上で自在に扱うには、各車両を識別するために、それぞれの車両アドレスを設定する必要がある。

 国内で普及しているKATO社のDCC入門セット(D101)はアドレス設定などのすべてを簡便に行うことができて、普通は細かなことを考えなくて済む。詳細はマニュアルや、よき解説書『DCCで楽しむ鉄道模型/松本典久』に詳しい。

 ところが今回入手したBachmann社のDCC組み込み車両は、KATOの入門セットでは車両アドレスを設定出来ない。これはKATOとかBachmann社のどちらかに非があるのではなくて、要するにアドレス設定方式が10進数でできるか、2進数(16進表記)直接扱いかの、そういう技術的仕様の違いにすぎない。標準仕様であるDCCも、まだまだ微妙な違いが出てくるわけだ。

Kato+Bach01:アドレス99のGE70t
Kato+Bach02:アドレス(3501番)済みのGP40
Kato+Bach03:Bachmann製GP40Santa Fe

07-02 DCC世界での汎用ツール:DP1
 すでに鉄道模型のPC制御:(02)(03)で、DP1というツールを紹介した。

 このDP1を使えば、Bachmann社の廉価な動力車のアドレスを自由自在に調整できる。
 私はこの点において当初大きな誤解をしていた。DP1を入手したのは、いわゆるDCCで鉄道車両を走らせる、つまり走行制御するために入手したのだが、DP1本来の仕事は各車両に搭載されているデコーダの性質を編集するツールだったことに気付いたわけである。

 DP1にはそれを扱うアプリケーションが付随していて、写真では「DPx:DccPgm3」となっている。
 まず車両をDP1接続のレールにおいて、このアプリケーションを起動し、左側窓の[マルチファンクションデコーダ→Generic]を指定すると、画面が変わり、右側窓の上部左端の[CVLIST]、その右下[読出し]の押下によって、デコーダの内部情報が速攻で分かる(このスピードはすさまじく速い)。

 車両のアドレス変更は、CVリスト列挙の上部に「マルチファンクションデコーダ」という欄があるので、この「●主アドレス(cv1)」をチェックし、右側に希望する番号(事例では99)を入力し、[更新]ボタンを押下する。4桁の長アドレスの場合は、○拡張アドレスをチェックする。

DP1-01:DP1(赤い箱)によるアドレス設定
DP1-02:DP1を上部から見る
DP1-03:DP1
DP1-04:長いアドレス「3501」のDP1での設定

07-03 まとめ
 国内では特殊扱いされているDCCだが、外国製車両にはデコーダが組み込まれている車両が多数あって、それは国内でもおどろくほど容易に廉価に入手できる。
 そのアドレス設定は汎用的なツールDP1を使えば簡単にできる。少なくとも、Bachmann社の車両を標準アドレス「3番」で走らせるのには、なんの操作も必要ない。DP1を使えば、変更操作は自由自在と言って良く、廉価でおもしろい車両を国内でも愉しめる。

 と、このような経験から、今回私がDCC処理扱いの基本方針として定めたことを以下にまとめる。
 ・DCCはHOスケールが良い:KATO社動力車は8ピンのデコーダ受け口を備えている。
 ・外国にはDCC 組み込み済みの廉価な動力車が流通している。それを国内でも気安く入手できる。
 ・KATOのDCC入門セット(D101)によって、国内でもDCC世界が扱いやすくなった。
  しかしDCC世界にはアドレス設定など未調整の部分があるので、汎用ツールDP1などが必要となる。

 本シリーズのPC制御については、一応指針はできている。
 ・BDL168 などのセンサーは必須であり、これは「錦林車庫」のオンラインショップ・DCCパーツ部門で入手できる。
 ・実験レールには、KATOの半径43センチ・16.5mmゲージのレールを使うことで、広さ、ギャップ対応、センサー設定がやりやすい。
 ・ポイント装置については、KATO社の提供するDCC対応装置の使い勝手がよい。
 ・鉄道模型制御汎用アプリケーションとして、無料のJMRIは素晴らしい。
 以上については、今後記事にまとめていく予定である。

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小説木幡記:夢の彼方のアップル・ジョブズ

 米国アップル社の創業者、スティーブ・ジョブズが56歳(膵臓癌)で亡くなった。アメリカ歴で、2011年10月5日が命日となる。謹んで弔意を表する也。

Steve Jobs Dies: Apple Chief Innovated Personal Computer, Created iPad, iPod, iPhone

 30年ほど昔、余がMDB11という簡易RDBシステムを8ビットマシンのOKI-BASICやFM-BASICやその他マシンで開発していたころ、知り合った若者がAppleⅡの愛好者で、カラーのゲームを見せてもらい、触らせてもらった。その前後、ダイヤモンド社の編集者二人と知り合いになり、彼らと相談があって上京すると、まずなによりもアップル話に花が咲いた。当時AppleⅡが出てしばらくして、世界中の、日本のちょっと気取った、濃い人達(20~30代かな)に、アップルマシンはすでに一つの文化になっていた。

 さて、そのスティーブがiPhone4sの発表と同時に世を去った。
 異国の、話したこともない人だが、悲しみに襲われた。それは余が我が国PC黎明期のまっただ中で、まだいまよりはずっと若かった夢の世界で見た、遠くに輝いていた星を、不意に喪った悲しみだな。

 ものすごい偏屈なところもありそうな人だから、一緒に仕事をしたり、部下にしたり、部下になったりするのは嫌だが、数日間旅行して、「どや、スティーブ、iPadの次は」とでも言いたかったな。あるいは「おい、蔵にあるAppleⅡを一台かしてくれや。葛野の授業で、若いもんらに見せちゃるから」と、言ってみたかった。

 異国の異人にして偉人。
 君の死によって、余のPC黎明期は少し暗さをました。
 余は、もう少し生きて、PCやiPadの行く末を見てみる。
再見

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2011年10月 4日 (火)

マチュピチュとナスカ鳥:旅の写真をいただいた

承前:大沢池(大覚寺)の桜:20070403

 このMuBlogでは以前から、旅先の写真を沢山受け容れてきた。というよりも、気に入った写真はお願いをして掲載し記事にしてきた。最近なにかの縁で葛野図書倶楽部のNagai副長2007と連絡がついた。この方には在学中も写真を撮ってもらったことがある。ときどきカメラを忘れたり、歩き回るのが辛いこともあって、そういうときは同行の人達に撮影を頼んで、後でいただいたことが多々ある。さて、撮影者のNagai副長は旅行が好きで世界中を旅しているようだ。その旅行記は、Truthという機関誌にもエッセイをいただいたが、抱腹絶倒の愉しさがあった。

Nasa20110912_4581_2
↑古代都市・マチュピチュ(2011年9月)

 2000mの高山にある空中都市。ペルーのインカ帝国の太陽神の神殿跡らしいが、よく分からない。こんな高山に建築物を造ったのは、秘密の建物か、あるいは天空の神々に近づけるからか、あるいは空気清浄な高山での天文台なのか、……。よくわからないことが多いが世界遺産であり著名な所である。そこの写真をいただいて、ありがたいことである。合掌。
 なお、別にペルーの列車や、ワイナピチュという山から取った写真もいただいたが、省いて、いつか私も現地を見てみたい。

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↑ナスカの地上絵(2011年9月)

 Nagai副長はマチュピチュに行った時に、別途6人乗り観光セスナ機でナスカ上空から地上絵を見たようだ。私は昔、これは確実に宇宙人との関係で描かれた絵と思っていたが、現在の解釈ではそうではないらしい。とは言っても、世界遺産になったが、本当のところこの絵が何なのかは、昔の人の気持ちにならないと分からないだろうな。
 そういえば。
 あれだけくっきり明瞭なエジプトのピラミッドも、考えれば考えるほど、謎が深まるらしい。だから、ナスカの地上絵も、単純に宇宙人に絵を描いて見せてあげたとは、言い切れない(笑)。なるほど。

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2011年10月 2日 (日)

NHK江(38)最強の乳母:苦労人同士の確執

承前:NHK江(37)千姫の婚礼:伏見から当時を偲ぶ

 江さんも少女期、苦労しましたが、今夜の福さん(のちのお局さん総代:春日局)も、逆賊明智光秀一統の家老・斉藤利三の娘として、そしてまた関ヶ原寝返り筆頭小早川秀秋一統の家老・稲葉正成の妻として、26歳のこの日までへこたれそうな人生でした。

 しかし苦労人名を借りて、人の赤子をさらう鬼子母神じみて見えました。福を演じている女優さん(富田靖子)の演技が上手すぎるのか、目がすわって怖かったです。とくに江にむかって、

 福「私は、父を磔にした豊臣を許せない」
 江「娘の千姫が嫁ぎ、姉が豊臣にいると、知ってのことか?」
 福「そういえば、お方様は、豊臣の養女でしたね、……」

 いやぁ、怖かったです。ドラマでは安易に女同士の戦が始まるというてましたが、私はそういうことじゃなくて、祟りが始まる、という怖さが強かったですね。それに江の義父(家康)が福に味方しているのですから、なんともはや、江が気の毒になりました。一説に、家康と福とは仲がよすぎたようなので、嫁の江に勝ち目はなさそうです。家康は後家さんがお好きだったようで、なんともはや~。

 さて、秀忠将軍職の受諾ですが、江の「太平の世」という背中押しで、秀忠が納得したようでした。たしかに、秀吉亡き後、さらに石田三成が敗れてからは、豊臣には実力の家臣団がいませんから、秀頼が成人しても天下が麻のごとく乱れるのは目に見えております。残酷な歴史ですが、付き従う全国の武士達も、家康の経験の前には頭を下げざるを得ません。

 というわけで、ますます辛くなりますね。

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2011年10月 1日 (土)

小説木幡記:ゆで卵のコロンブス

Img_2074 今朝はタマゴ日和なのでゆで卵を造って一個食した。実に美味いが、こればっかりは一日おきにしておる。生来タマゴ好きなのだが、ここ十数年のなにかと中性脂肪数値からみて、一日おきに一個のゆでタマゴと決めて居る。

 結構ルールは破るほうなのに、自分で決めたことは守ることが多く、ラーメンは一週間に1回以上食べぬとか、ゆでタマゴは一日置きに一個とか~普通の国道は何が何でも時速60キロ以内に収めるとか、授業日は午前7時までに葛野入室とか~自分で決めると守れる。人に強いられると、1割程度しか守れない。
 さて。
 ゆでタマゴ。
 これを美味しくいただく方法を知ったのは、ここ二年ほどのことだ。それまでは、タマゴによっては不味く思えたり、なによりも、殻がうまくむけずに、嫌な思いがした。
 そうだ。
 それから思うと、花屋町通りのほそかわラーメンゆで卵は絶品だね。外れがなかった。すぱすぱと皮がむけて、口にふくむと、これぞゆでタマゴの味がした。冷えているのもよい。他のラーメン屋では、めったに食べぬが、50円~100円もするのに、ゆで卵は大抵失敗する。要するに、ほそかわラーメン店以外の人は、ゆでタマゴの作り方をもっと勉強しないといかぬなぁ~。

 さて、余が二年ほど前に、ゆで卵で開眼したのは、NHKためして合点番組でのことだった。そこで学んだことは多かったが、このゆでタマゴ造りだけは未来永劫、生ある限り忘れず、一日置きにその製法通りにゆで卵を造るであろう。
 と。
 ここで、記事を止めるつもりだったが、それでは読者にストレスがたまるだろうから、メモしておこう。もちろん、ためしてガッテン関係者は良い顔をせぬだろうが、まあ、仕方ない。

1.タマゴの丸い方を下にして、コツンとたたいて、若干殻にひびを入れる。
2.沸騰したら火をとめて、数分余熱を当てる。
3.冷水に入れて、完了。

 ゆで時間を計る必要もない。冷水もやけどするから冷やすだけのこと。コツは1にある。これこそが、秘伝ゆでタマゴ造りの、最深奥である。
 皮はすぱすぱむけて、味わいは豊潤。ゆで卵の王者となる。

 なお、この話は以前にも書いたが、今朝もあまりの美味さに感動して、またしてもゆでタマゴ一筆啓上、也。

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