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2011年9月 4日 (日)

小説木幡記:上質な政治は可能か

07amudsc_0044 政党政治とは、党なのか人なのかと、時々考えるようになった。戦後の長きにわたり自民党(その系列)が国政の舵をとってきて、それが国民からうとまれだしたので、一昨年民主党という政党が選挙に勝利して、日本の進路を決めだした。
 しかしその党によって選ばれた(党代表)首相の二人が、ルーピー(あほ・かす)と言われたり、ペテン師といわれたりで、散々な結果に終わった。
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 余談ながら、この過去のお二人は余と同年代なので、その苦労や努力や我慢と、逆に狡さや、あほさかげん、ペテン師かげん、そういうもろもろのことがよく分かった。その意味で、政治が身近なものになって余の人生も、ものの考え方が多少変わった。長い間、今も、専門家にたいしては一定の尊敬や尊重する心を持っていたが、「政治家」という専門家は、よほどにきをつけないと、とんでもない人がおるなぁ~という感慨だった。
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 さて。
 だいぶ若返った政治家、野田(現・総理大臣)さんが民主党内で選ばれて、議会で多数をえて、その方が天皇陛下から日本國・総理大臣の認証を得た。陛下の認証を得た首相だから、とやかくはもうさぬが、しかし余は一度も野田さんを選んだ覚えはない。一昨年の選挙で、民主党に所属する人達の多数が国会議員に選ばれたので、こういう結果になったわけだ。
 政治は数の勝負(某小沢氏談)らしいから、たとえ民主党が極悪非道の政治家を代表に選んでも、我々日本人はその人を首相と冠する日本政府の掣肘をうけるわけだ。
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 その野田さんだが。人が思うほどには悪印象は持たなかった。ただし野田さんや新内閣への注文はある。

1.党内融和のためにバランスよく大臣を選んだ~というような内輪の論理は公式には言わないで欲しい。
 党内が分裂している~? それで適材適所?
 そんな話は民主党内部の醜聞だと、腹の底まで味わって欲しい。
 余は民主党が仲良くするために選ばれた大臣達に国政を任せることに、3年目の恐怖を味わった。
 そんな意気地では、来年はそれこそ、近隣諸大国の真性属国にされそうな気がする。
 国民・国益よりも省益と考える官僚制度を憎悪してきた民主党なら、国民・国益よりも党益と考えるのは、止めて欲しい。

2.防衛省の新・大臣が「わしゃ、素人じゃ」と言ったそうだが、解任すべきだ。
 素人に国防ができるなら、余が明日からでも防衛大臣になれる。
 優秀きわまる我が国の官僚制度を破壊しかかった政党が、素人に防衛や外交を任せるとは、まるで発狂した考えではないか。ド素人の大臣、大臣政務官や副大臣がよってたかって電卓やソロバンつかって、維持できるほどの防衛なのか、外務なのか、国政なのか。
 まるでガキの子供王国がまだ続くのかと思うと、げっそりした。
 そうそう、最近の映画でみた。

 警察庁という「庁」だからこそ、玄人の警察庁長官が全国警察組織をきっちり束ねているが、もしも省に昇格させて警察省となると、無知蒙昧ペテン師ぞろいの政治家が警察省大臣になり、日本國の治安は地に落ちる。
 と、ひるがえって、
 そういうお話が、防衛省では着々と進んで居るのかな?
 怖い国だよ、わが祖国。

結論
 というわけで、今後の日本や、あるいは次の総選挙は野田さんの、それこそ世界に向けたバランス感覚によって変わっていく。内輪のバランスは「あんたの勝手です」。
 松下政経塾という、現代の松下村塾出身らしいが、そういう経験を国政に正しく反映されたし。
 A級戦犯問題や靖国神社公式参拝問題だが、余にもいろいろ考えがある。またいずれ、そのことにも触れる。民主党代表という掣肘は野田さんもお持ちなのだから、いずれじっくりとMuBlogで相談しましょう(爆)。

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