小説木幡記:疲れたので読書していた
余の若いころには今ほど多様な遊び、暇つぶしが少なく、その上いささか性狷介、さらに持って生まれたじゃまくさがりも災いして、友と野球したり出かけたりすることもなく、当時の楽しみといえば、読書かバイクか映画しかなかった。どれも孤高といえば聞こえはよいが、要するに金無し友無し付き合い無しで、一人遊びばかりしておった。
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いやしかし今にいたるも似たようなものだ。
とこう、最近は仕事が詰まっていたので、今日の予定を終えたら急にぐったりして、早々に帰宅しベッドでさらにぐったりしていた。落ち着いてきたので、まずやったことは、PCでもなくスマホ遊びでもなく、ジオラマ操作でもなく~、やっぱり読書だった。
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つまりは、活字を読んで空想していると、旅をしているような浮遊感を擬似的に感じられて、気持ちがよくなり心が安定してくるわけだ。半世紀かけて、とてつもなく読書依存性になってしまっている。治る見込みはまずない。となると、最後まで読んでいたいのだが、以前の文庫や図書は活字・フォントが小さくて目が痛くなる。最近の文庫本は随分読みやすくなっておる。
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だからiPadやスマホは字を大きくできるから便利なのだが、重かったり、メールが来たりして邪魔くさい脳。このごろやけに商品宣伝メルが多い。困ったことだ。
さて、また明日がある。気力を保とう()。
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