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2011年9月24日 (土)

小説木幡記:歩く人

Aadsc00011 歩くのが好ましくなってきた。これはクセになる趣味だ。いたずらに靴が減り、足腰が過酷な歩行で痛めつけられる危険性、あるいは交通事故に遭遇する可能性もあがるが、ほどほどにすると金銭的にも気分の上からも、心身全体にわたって気持ちが良くなる。ランナーズハイまでは行かぬが、歩いている内に軽く陶然としてくるのは、何故だろう。てこてこ歩くだけで脳内麻薬がわき出るほど、甘くはなかろうに。きっと、「わしゃ、両足でまだ歩けるぞぉ」という雄叫びがフィードバックして一種の自信を生み出すのだろう。

 今日あたりはよい季節だった。出る時の室温が25度cだった。だから気持ち良かったのだろう。
 思い返せば、
 たとえば9月上旬に、吉野ヶ里遺跡を延々と歩いた。ひとえに好奇心からだった。
 たとえば先週は、京阪中書島~丹波橋まで歩いた。途中の伏見桃山で普通電車を待つのが邪魔くさかったからだ。
 たとえば今週初めは三条京阪駅から寺町通りへ行って、そこから南下して四条通りにでて、そこから四条烏丸まで歩いて、阪急電車に乗った。帰路はさすがに阪急河原町まで乗って、そこから北へ三条京阪まで歩いた。

 そしてたとえば今日は、地下鉄烏丸今出川(同志社大学近所)で降りてから、ブライトンホテルまで歩いて、そこで炫火忌に出席し、濃厚な(笑)フレンチ・ディナーをとって、さてそれからがお立ち会い。ホテルから京都府警の前を歩いて、烏丸丸太町まで出て、そこから東へ向かって寺町通りまで行き、そこから南下して御池まで歩き、さらに三条京阪まで歩いた。

 と、いろいろまだルートを開発中なんだ。
 歩くのは自動車に比べて自由度が高まる。自動車の場合、しょっちゅう警察のネズミ取り位置を思い出しながら、時には駐車場を探しながら、時には国道を真っ昼間横断する高齢者の出現に注意しながら、ハンドルを握る。これにくらべて歩くのは、まるで夢遊病みたいだね~自由気ままがよろしい。

 おそらく年末までは京都の街は歩くに楽だ。碁盤の目だから、東山と北山さえ弁別すれば、絶対に行き倒れにならない。必ず思った通りの場所に到着する。ただし、年を越すと2月末までは寒波が激烈だから凍死危険があり、夏の8月は確実に熱中症になる。残り9ヶ月弱が、歩く人の天国、それが京都だな。

 さて明日は日曜日。
 日曜作家の後は、宇治まで歩るこうかいな。これが10キロくらいあるから、ちょっと靴の減りがきつい。やっぱり昼寝にしようか、と迷う所だ。


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