小説木幡記:わがSF
と、タイトルに記したが、余のSF履歴を深く書く気力はない。高校生の頃に小松さんの作品を目にしたが、あのころが我が国SF黎明期だったとおもうと、余もSFやPCやインターネット黎明期の歴史実体験者として、いろいろメモをのこせるな、と思った。
小松左京、光瀬龍、豊田有恒、眉村卓、ちょっと別系統で半村良。
小松さんなら、『果てしなき流れの果に』
光瀬さんなら、『百億の昼と千億の夜』
豊田さんなら、『モンゴルの残光』
眉村さんなら、『引き潮のとき』
そして半村さんなら、やっぱり『妖星伝』かな。
勿論他に、星新一さん、筒井康隆さん、安部公房さん~外国作家と、SF世界の愛読書は多かったが、この世界では、小松、光瀬、豊田、眉村さんの4つの作品が余の世界観を造ってしまった。半村さんは随分のめり込んだが、あの人の作品にはどうにも池波さん描く風の濃厚な年増女性が多々あらわれて、SFとはちょっと違ったジャンルとはっきり区別しておった、脳(笑)。
そこで小松さん。
件の新書には、日本アパッチ族、万博博当時のこと、そして日本沈没の頃のこと。いろいろ詳細に語られていて、いまごろ深く納得する点があった。小松さんは大好きだったが、ときどき文が捻れて錯乱していて、推敲がされていないなぁ、と余も若いながらに心配していたことがある。しかし実情をよく知ってみると、まさしく、てれてれと小説を書いているほどひまじゃなかったんだぁ、と分かった。
小松さんの世界観は、いまだに素晴らしい。
そしてまた、小松世界最後の「神さま」ものが完成しなかったのがなにより残念だ。余もいずれ、この世におさらばするとき、一瞬にして宇宙と空間と時間と人間と、そして神を知るのだろう。その日が待ち遠しい。
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コメント
サイエンス・フィクションのこと
グーグルに聴くと、
(サイエンス・フィクションというジャンルは時代とともにその定義が変遷しており、また膨大なサブジャンル・隣接ジャンルを持つため、定義は容易ではない。
・・・
「オデュッセイアや聖書、日本なら古事記や竹取物語をSFとして読む」ことも可能としている。)
などとありますね。
Mu大兄の読書傾向の幅の広さにはいつも(さすが図書館学の大家)と感服させられます。
本を人並み以上に読まずしては勤まらないお仕事と愚察しております。
もう一つ大兄のお好きなジャンルにミステリーというのもありますよね。
これもおそらく(定義は容易ではない)ジャンルではないでしょうか。
この記事に関連して当方が一冊だけ読んだ本があります。
(半村さんは随分のめり込んだが、あの人の作品にはどうにも池波さん描く風の濃厚な年増女性が多々あらわれて、SFとはちょっと違ったジャンルとはっきり区別しておった)とある半村良の(黄金伝説)です。
(怪光を発して飛び立つ円盤と、縄文土偶とも見える宇宙人を目撃する)シーンには息を呑みました。
この作品に(濃厚な年増女性)は現れたのかどうか・・・記憶が定かではありませぬが。
対して当方などは夏目漱石とかドストエフスキーとかグレアム・グリーンとか池波正太郎とかの平凡な定番ばかり。
チーズで譬えますと、こちらがカマンべール・チーズ派だとするとMu大兄はブルー・チーズ派なのでしょうかねぇ。
映画でも音楽でも文学でもこの両派に分かれるのが面白いところですなあ。
(もっともチーズの話でいうと当方はブルー・チーズも大好きなのですがね)
投稿: ふうてん | 2011年9月29日 (木) 01時54分
ふうてんさん
上等なコメントをいただいて、ありがとうございます。
ちょっとなにやら昼世界が立て込んでいて、夜は夕方過ぎから寝てしまう日々です。
だから、読書もままならないです。
悲惨な話じゃなくて、夏休み疲れが睡眠で解消されつつあるようです。
また近々、読書話の続きを書いてみます。
追伸
最近夕方三条小橋上がるのメナミ前を通ったら、6時前後で、店先に人が行列を造っていました。店内は格子戸からみると満席。
美味しくてお手軽で風情があって、いうことないお店ですが、お食事処が行列するなんて、~腰を落ち着けて食べられませんよ。あはは。
投稿: ふうてんさん | 2011年9月30日 (金) 04時07分