小説木幡記:昨日今日明日
1.昨日は市内某所で同業他社の寄り合い
終日市内中心部の大学にいた。建物が重要文化財らしく、上等な景観だった。京阪七条からタクシーで西へしばらく、640円。京都駅からは徒歩15分と聞いたが、数日来の足腰不良で、楽な方にした。
会場では、なにやかやと旧知に出会った。どれほど長きにわたり引きこもり症治療をしていても、知り合いはできるものだ(笑)。引きこもりが数十年単位ともなると、おもてだった恨みはうけていないせいか、和気藹々、笑顔ばかりでよかった。
発表など、かわされる話の内容はほとんど理解できた。まだまだ脳は動いているようだ。しかし時々わけのわからない発言に「おや?」とおもって、回りの顔色をうかがうと、げっそりした顔つきを散見した。これは、余の反応が正しいようだ。「あのひと、やっぱり~」と余も衆に陰和する。
発表者や発言者の声音を聞いていて思ったが、「声」は大切だと痛感した。本人も話していたのだが、α波を含んだ声は穏やかな気分にしてくれるそうだ。たしかに二人いたが、随分癒された脳。
余自身は、こういう人前ではできるだけ発声しないようにしてきた。しかしまれにある「悪寒のする声」だと、これはこれで他の気を惹きつけて、発表時なんかはよいことだろう(笑)。
2.今日はまた宿題達
台風前だが葛野であれこれ宿題達をかたずける。
手や脳の遅さもあって、一気呵成に仕上げることは不可能なのだ。だから毎日少しずつこなしておる。
ところで、JMRIやDigitraxのことはスマホで原盤をながめているとよい考えも浮かんでくるものだ。それが宿題達とどういう関係を持つかに付いてだが、余の意に反して生じたり、あるいはなりゆきで、あるいは付き合いで義理と人情で生じた宿題達は、これは一種のストレスである。
ストレスは捨て置くと胃潰瘍とか他の精神疾患をもたらし、悪くすると若死にする。もう若死にの季節ではないが、しかしまだ天命とか、老衰とか、天寿全うとは言えぬ。だから、ストレスを軽減するための工夫が必要だ。
今の余にとっては、世界中の人達が、コンピュータ制御による鉄道模型やロボットをどうこなしているのかを知るのが余生の楽しみだな。ふむ。だから、JmriやDigitraxのサイトを眺めるのがマズイ漫画よりもおもろい。
そうそう、この夏は、まだ漫画を20冊程度しか読んでおらぬ。その分、文庫小説を読んだなぁ。
3.明日は台風と旅行計画
台風12号がすぎたころ旅行予定だ。
博物館や資料館で図書、文献資料をどんなふうに運用しているかを見てくる。一番わかりやすい事例は、たとえば博物館では物自体、遺物自体、時には遺跡自体が0次の情報源である。これに関するオリジナルな調査や分析文献資料が1次資料だ。論文とか報告書だな。それらをひっくるめたものが2次資料で、パンフレットなんかはそう考えても良い。実際にはレファレンスブックなどを2次資料という。その上に3次資料があるわけだが~
さて、お立ち会いの皆の衆(笑)
従来、博物館は0次情報資料源を扱う機関だった。図書館は1次情報資料以上の高次情報を扱う機関となる。
しかし~
そう、このしかしが問題だ。
余は、博物館や資料館でもちゃんと図書室があるのを知って居る。しかし、なにかしら付録扱いも多い。
そうじゃないのだ。
情報資源全体のために、博物館や図書館があるのだよ、……。
ではまた
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント