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2011年9月20日 (火)

小説木幡記:生きている証

Mubigimg_29452 今日は時間を取れたので、葛野の往復に随分歩きを入れて、約一里(4km)ほど歩いたら、気分が良くなった。ついでに、犬も歩けば棒にあたる、そのままのことに出くわした。

 帰路だった。
 阪急を降りて北へ向かって歩いていたら、河原町のど真ん中に、鉄道模型の中古品店が出来ていて、度肝を抜かれた(大げさな表現だが、あり得ない話だからなぁ)。この世界は本当に細々としていて、いままで繁華街の中心地には出て来たことはないはずだ。京都ならせいぜい寺町四条下がるくらいに以前店があったが、今は撤退してない。四条河原町では、鉄道模型店をまだ見たことがなかった、のだ。

 終日、外は雨だった。
 しかし中心街はアーケードがあって、雨にぬれたのは三条京阪駅と三条河原町の間、そしていつもの阪急駅と葛野の大学間だけは往復濡れた。が、その間、傘を差さなかった。なにかしら、めんどうだから多少の雨や雪や日射には帽子だけで歩く事にしている。

 今日は、もっと外で。
 町でうろうろしていたかったが、まだまだ宿題が続くので早めに到着し、ubuntuを立ち上げずにWinマシンだけにして、しこしこまとめ仕事をしていた。ubuntuは、パターンレコグニションの能力を落とさぬために、ついつい上海をやってしまう。マウスの上級仕様だが、最近はずっと3分10秒以下にならないとベストテンにも入らない。いまのところ、メモがないが、たぶん2分40秒代がトップのはずだ。瞬間で画面全体を見渡す能力は相当に上がったはずだ()。

 しかし、なあ。
 還る直前に不意にアップルを触りたくなった。そこで、iPadが側になかったので2008年の黒をopenして、動画を蓄積している500GBの外付けHDを接続させて、旧い旧い動画の整理整頓を始めてしまった。前世紀、20世紀の動画を次々とながめている内に、写っている者達や自分の若さに唖然とした。まるでみんな別人だね(笑)。

 というわけで。
 日々、まだ生きておる脳。今日も夕飯が美味かった。ありがたいことだ。明日は朝から授業が続き、午後はずっと会議。学生はみんな授業好きで、同僚達は会議好きで、そのどちらにも肩入れできない余は多少困って居るのだ。
 
 

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