NHK江(35)幻の関ヶ原:歴史の難しさ
昔のことを後からみると、いろいろ講釈たれることができますが、渦中にいたらきっと難しいことが多いでしょう。ずっとおもってきたのですが、もしタイムマシンがあって、主要人物の前におりたって胸襟をひらいて話し合っても、なかなか意志は通じないでしょうね。なぜなら、後世の私が結果を知っていても、当時のキーパーソンや世間はまるっきりその結果を計算に入れていないこともあるし、そもそも博打みたいなもので、先がどうなるかを見通していた人はごくまれなのじゃないでしょうか。当時の人と話し合っても、お互いにケンカになるだけのように思えました。なんとなく徳川家康レベルになるとすべて見越して関ヶ原の戦いに向かったように思えてきますが、そんなにうまくいったとは、実は言えないのじゃなかろうかと、今夜のドラマを見終わって思ったわけです。
2009年の天地人という大河ドラマを思い出していまになったわけです。ドラマ天地人では、そういう脚本になっていました。事実としては、大阪での三成挙兵を知って家康が大阪に向かって反転するわけですが、ほとんど無傷の上杉が後ろから追いかけていたなら、今夜の家康や幕僚達のように「まんまと策にのって挙兵した石田三成」と、笑っている場合じゃないわけです。
一緒に関東までついてきた豊臣恩顧の武将たちも、石田三成が憎くても、毛利総大将で大坂城(つまり秀頼や淀君がいた)を基地した西軍に、みなみなが刃向かう可能性は五分五分だったわけです。逆に、家康が危なかった可能性も大いにあります。少し、家康を神格化しすぎではないでしょうか。むしろ、描かれ方としては秀忠の方がリアルに思えました。3万8千の軍を引き連れた中山道経由の秀忠は、真田との戦いで時間を費やし、結局関ヶ原には、東軍勝利と決着ついた二日後にたどり着いたわけです。
それにつけても大津に城を構える京極高次と初の夫婦は苦衷に陥りました。近畿はすでに西軍に囲まれていましたから、三成に付かねば京極家は亡くなります。かといって、これまでの経緯からすると家康の貫禄や迫力に逆らえるわけがないのです。籠城して、やがて城をあけて高野山に逃れるという策をとったわけですが、こういう板挟みの判断は誰にとっても難しいことだったでしょう。
今夜は久しぶりに、戦(いくさ)の緊張を強いられました。
参考
NHK天地人(37)直江状の背景:戦術義と戦略義
NHK天地人(38)関ヶ原と山形・長谷堂城
NHK天地人(39)関ヶ原の終戦処理
大津城跡
| 固定リンク
「NHK江」カテゴリの記事
- NHK江(46)最終回:希望(2011.11.27)
- NHK江(40)休載通知(2011.10.16)
- NHK江(39)運命の対面 :風邪にて不快・休講(2011.10.09)
- NHK江(38)最強の乳母:苦労人同士の確執(2011.10.02)
- NHK江(37)千姫の婚礼:伏見から当時を偲ぶ(2011.09.25)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント