九州2011夏:佐賀篇:佐賀県立図書館の朝
現代の佐賀県は県内を一時間程度で行き来できる地の利がある。京都府や滋賀県、奈良県は南北に長く、これは無理だ。奈良県は、いずれバイパス整備で解消されるだろうが、南北の交通停滞が酷く激しく、奈良県庁に会議のために人が集まるだけですったもんだするようだ。だから、佐賀県が小一時間で全員集合できるのは、珍しい。かといって、吉野ヶ里遺跡を見た後では狭い県とも思えない。
ディジタル世界が進んでも、生身の人が住み、移動し、住処や移動した先にそれなりの空間・建物が必要なのは当たり前の事だが、えてして人は世相に浮き足立って、図書館のような建物は不要になると考える人も多い。ネットさえあれば情報を得るのは簡単だと思うわけだ。しかし実際に佐賀県立図書館のある堀端に立って巨大な楠木を実感し、図書館前の広い公園をながめないと、図書館があることの値打ちはなかなか分からない。そこで某Jo氏のように郷土資料室にどっかとすわり、遠い祖先の生きた姿を文献資料からつかみ取らないと、本当の情報収集とは言えない。すぐそばのお城の中にJo氏の父方祖母か曾祖母の実家があったとは、聞いて初めて驚いた話だった。
しかし皮肉にも佐賀県立図書館のおもしろさを知ったのは順逆難しい所だが、ネットサイトの記事中に、『県は一つの大きな図書館(ビッグライブラリー)』なる惹句を見つけたからとも言える。サイトの底部には貴重で大部な資料があった(「図書館先進県づくりのための今後の方策」)。そして、こうやって古びたコンクリートの図書館にたどり着いたとき、私は人間が動き回れることのありがたさを知ったし、さらに遠い昔、昭和38年頃に開設した旧い京都府立総合資料館の二階の閲覧室で旧い雑誌をながめていた自分の姿を思い出していた。京都と佐賀とは離れているが、建物の雰囲気や懐かしさが似通っているのだ。
今度、県立図書館が施設を建て直すのはいつなのかしらないが、現在の趣を残してもよいと思った。それは堀端の巨大な楠木、広々とした南面前庭、そして威圧感の無い低い階層。二階のバルコニーから庭や城域を見渡せる開放感、……。内部の絡繰り・仕掛けはいまさらそれほど気にならない。電脳まみれ、ロボットまみれになってもそれで良かろう。それらは何度でも更新できる。しかし館としての結構は一旦造るとそうそう増改築はしにくいし、バランスを欠いていく。最初が肝心なのだ。
と、20年近く前に佐賀医大(現在は佐賀大と統合したようだ)の図書課長S氏に連れられて吉野ヶ里遺跡を案内されて、その遺跡見学の驚きで心がたまげて、県立図書館をみることもなく帰還した、その申し訳にやっとこのたび訪れる事ができた。葉隠れの国、再訪だった。
追伸
宿泊はJR佐賀駅前のビジネスホテルだった。想像以上に手頃なお値段で、一泊と粥付き朝食バイキングを取った。さらに吉野ヶ里から着いたその夜は、疲れが雲散無償するような鶏肉屋を見つけた。これは、美味しい旅の味だった。JR佐賀駅前の大通りの右側を南一直線に10分ほど歩いた四つ角にあった(笑)。いやはやコースのシメは大きめのツクネに秘伝の甘たれがのっていて、これを串ごと横の黄身に付けていただくものだった。私は中性脂肪を取りすぎてはいけないので、黄身付けは止めた。
再伸
県立図書館で用を果たしたあと、JR佐賀駅にもどりJo氏と美味い珈琲をいただき、それぞれ逆方向の特急に乗った。私は「かごめ」で博多まで戻ったわけだ。
参考
佐賀県立図書館
郷土資料のデジタル化事業について(佐賀県立図書館)
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コメント
お疲れ様でした
私の父方の祖母は明治2年生まれの秀島忠香の三女として赤松町で生まれています。秀島姓は鍋島藩の家老職を務める家系ですから、祖母が周りから御姫さまと呼ばれていたそうです。
ですから、私の父を子供の頃でも面倒見る事はなく誰か乳母が面倒みていたそうです。
Muの旦那と別れたあと、武雄温泉駅に向かい父の子供の頃育った場所を訪問し、ゆかりの味噌・醤油会社の社長さんの家でお世話になりました。
投稿: jo | 2011年9月18日 (日) 12時23分
Joさん
お祖母さんが明治2年うまれだと、廃藩置県の影響を少女時代にうけておりますな。鍋島藩の偉いさん達は、その後、どうなったのでしょう?
ともあれ、ゆかりの地がまだ残っていたことを祝います。あと一代あと(Joさんのお子さんたち)だと、本当になにもかもが霧の中に包まれてしまうでしょうね。
Joさんいたればこそ、海部族のほこりにかけて、ルーツ探索できたわけですから。
さていよいよ次は、安曇族のルーツ探しですね。
暖かいところや、涼しいところと、Joさんのご先祖は本当に寒暖、酸いも甘いも混じったような家系です。
今度は文献資料が残って居るでしょうか。あればよいのですが、……。
投稿: MU | 2011年9月18日 (日) 14時47分