九州2011夏:佐賀篇:吉野ヶ里遺跡
この吉野ヶ里遺跡が生きていたのは、紀元前3世紀~紀元後3世紀にまたがる、約600年間ほどの弥生時代で、遺跡対象としたのは、弥生時代の後期後半というから、卑弥呼時代のころのようだ。
遺跡の公式サイトをみると以前から聞いていた「日本最大級の、環濠集落遺跡」となっていた。環濠(かんごう)とは、ぐるりと取り囲んだ壕(ほり)だから、戦国や江戸時代のお城のように、水に囲まれて外界を遮断し、侵入者を防ぐ構造である。今回気付いたのだが、日本100名城(日本城郭協会)でも吉野ヶ里はお城として選ばれている。
なお同時代と思われる奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむく・いせき)は、280mの長さがある前方後円墳「箸墓」が巨大な周壕の中にあったことや(MuBlog:箸墓古墳の大規模周濠確認)、あるいは纒向遺跡全体が水・運河の都市だったという推測もあり(MuBlog:水の都・水上宮殿:纒向遺跡の全貌)、水で結界を造るのは、単純に外敵を阻止するだけではなく、生活や呪術全般にも関係したのだろう、と思った。
最近読んでいる図書『俾禰呼(ひみか)/古田武彦、ミネルヴァ.2011年9月』の9章1節では、吉野ヶ里の溝が土器で埋もれていた事例を、当時の中国「呉」滅亡により、侵入危機を解除できたから壕を埋めたという説があって、興味深く思えた。つまり溝を溝のままに深くしておくと新しい「魏王朝」に敵対することになるから、外堀を埋めたという考えである。なにやら大坂城の外堀、内堀の事を思い出してしまった。
吉野ヶ里は側にJRがあるので、博多や太宰府(九州国立博物館)から行きやすい。
当日は9月はじめだったが、残暑きびしい晴天日だった。しかし空は青の中の深青だった。その秋空のもと、小一時間歩いて展示館もながめた。
主祭殿という、非常に大きな建物が復元されていた。高床式で、高床部分を現代風に1階とすると、人々が集まる2階広間には、現実のガイドさんも一人いた。吉野ヶ里遺跡歴史公園としては、この復元主祭殿に重点的なサービスを行っているのだろう。
中は暗かったが、写真は撮れた。
中心に王さまらしい人がいて(男性)、その前に着物の色の異なる、いろいろな大人(たいじん)や関係者が列んで、王の話を聞いたり、論議したりしている姿だ。近隣の村長さんも参加して話合いに加わっているのだろう。
ただし説明では、その上階にいる巫女さんの託宣を待って、その情報を王がただちに関係者全員に知らせる報告会のような意味もあった。
上階の巫女さんの祭祀復元は、下記写真の3.3後半にある。
巫女さんのイメージは、側に琴を弾く男性も同席しているので、瞬時に、香椎宮の暗黒で託宣を待つ神功皇后の話(MuBlog: 仲哀天皇大本營御舊蹟)を思い出していた。神功皇后は一時期、卑弥呼に比定されるほどに、大巫女度の高い皇后だったわけだ。
そういえば。
桜井の纒向遺跡はJR巻向駅の真北すぐにあり、そこで巨大建物が発掘され、神殿とも想像されていた(MuBlog:纒向宮殿紀行(3) )。さて、はて~。建物の敷地面積は大体分かるが、上階がどうなのかまでは復元できるのだろうか。柱跡の太さで類推出来るようだが、今後が楽しみだ。
3.風景集
3.1 ↓吉野ヶ里入城
3.2 ↓南内郭を中心とする、大人(たいじん)の住居空間
3.3 ↓北内郭を中心とする、王宮と祭祀の空間
4.参考
築紫紀行(12) 吉野ヶ里遺跡その1 南内郭へ(JoBlogの連載です)
吉野ヶ里歴史公園
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受信: 2011年10月14日 (金) 03時49分
コメント
吉野ヶ里と言えば、旧事本紀の国造本紀に記載されている筑紫の米多国(メタ国)ですな。吉野ヶ里を中心とした佐賀平野は、メタ国と言われていた地域。
西暦107年の倭の面土国(メタ国)の師升も、吉野ヶ里あたりにいた豪族かもしれませんね。
投稿: じっこ | 2011年9月27日 (火) 20時16分