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2011年8月 2日 (火)

小説木幡記:30x60センチの世界:盆栽か箱庭療法か

Adsc00003 先週からジオラマ工作を指導しておる。今週と来週まで続くから、合計で3週間ある。しかし一人一人はその中から90分単位で15回以上、工作に参加すればよい。各人各様、期末なので受講科目の試験数や形態や、バイトや帰郷やその他で、時間をとるのは綱渡りのようだが、なんとかせっせと通ってくる。昨年は13名、今年は15名の参加だった。そのうち4回生の3名は昨年の継続で2度目の参加だった。

 ルールは単純にした。あとで接続して巨大なジオラマに成長させるモジュラー方式をとっておる。30x60センチ(厚さは2.5センチ)の基板上に、厚さ5センチの同型発泡スチロール(ないし、スタイロフォーム)を貼り合わせ、そこに56センチの長さのレールを一本敷く(長面から17センチの位置をレール中心とする)。それだけのルールで、各人が思い思いの未来の図書館や資料館、博物館で賑わう小世界を造る。曰く、海辺の図書館、曰く海底図書館、曰く駅前図書館~。

 全体工程は、地形作り、石膏保護、全体色噴霧、砂や色粉や植樹による整備。これを最短の場合、一日8:50~17:40までかけて、3日間がんばれば、一応の「小世界」が完成するように仕組んである。丁寧な人は倍以上の時間をかける。人、それぞれである。

 今年の工法で余が驚いた特殊なものがいくつかある。これは受講生達が独自に考え、あみだした手法だ。

1.単純さの美(日本文学4年)
 堅めのスタイロフォームに、噴霧タイプの水性アクリル塗料で、茶や黒や緑や他色を自然に混ざるように吹きかけて、それだけで基板完成。後は、色粉と、レール回りの砂による調整や、果樹園。単純さの中に絶妙の風合いがでてきた。

2.発想の逆転(臨床心理学4年)
 全体を5センチ底上げするのではなく、レール幅として5センチ程度の台座だけを通した。いわゆる築堤といえる。そして川や数カ所の色合いを、水性鉛筆で薄めていた。残余は色粉で調整をし、密集した植樹で森を造るらしい。これも単純さの美に通じる。

3.彫刻(日本文学3年)
 町全体を堅めのスタイロフォームから、カッターナイフ一本で彫り出す手法。これには驚いた。建物や水道橋や道路や教会や尖塔や諸々を、すべて掘り出す、発掘するような様式だ。ものすごい時間をかけておる。これがうまく行けば、積み上げ方式の立体化とともに、新しいジオラマ手法が確立される。

4.工作の神が宿る(日本文学3年)
 桟橋を造るのに、普通の紙を3ミリx10ミリくらいの小片にハサミで切って、これを二本の支柱に十数枚並べるのだが~。一枚ずつに紙粘土を薄くぬって、爪楊枝でいかにも「古びた板です」と見えるように筋をつけ、想像も付かない色づけで「木質感」をだした。これを貼り付けていくわけだ(衝撃だな)。

 以上のように、青春の20代前後は一種の天才性を瞬間的に見せることがある。どうやら本人達も気付いていなかったふしがあって、側でみている余は、昨年夏も今夏も、日々衝撃を受けてきた。おそらくそういう特別な才能は、大成することなく社会に、家庭に、日常に埋もれていくだろうが、その瞬間のひらめきを余は垣間見た。青年期とは無尽蔵な才能の浪費。それでよいのだ。

 まさしく、教師冥利に尽きる夏の初めである。

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