小説木幡記:とりとめもなくブロッグ休みを繰り返しておりました
おちついて物を考えたり、熟睡したり(最近は分割熟睡睡眠が多い)、物をよくかみしめて味わったり、幾人もの友達のことを深く回想したり、接した物語(小説、映画、芝居、体験など)の数々を想起し、その佳さをなんども思い出そうとするのだが、それを邪魔するように、こちゃこちゃと日々が慌ただしく過ぎ去り、落ち着きのない後半生じゃ脳。
人生の華やぎは過ぎ去り老境が深く身にしみてきた、このごろじゃ。
記憶が途切れ、目もかすみ、耳も遠のき、財布も軽くなり、いつもぼんやりしては、回りからせかされて遅い仕事に取り組んでおる。
~
最近の成績管理はやたらと遅い。
最近の会議の内容をほとんど記憶できぬ。
教員の名前と姿が一致しない。
学生に同じことを何度も問いただす(名前は? どこから来ている? 何年生?)
~
若いもんら(研究者達)が書いた同業論文を殆ど読めぬ(なぜかは、言わぬ)
学生達の書いたレポートを日本語として判読するのに数秒かかる。
RSのアクセルを時速60キロ以上に踏み込めなくなった。
近所のメシヤへ行っても素麺ばかり食べておる。
卒業生と在学生との区別が付かなくなった。
~
そうそう。
文字はまだ読める。毎晩長大なSFを数頁ずつ読んでおる。
帰路、宇治川沿いの京阪電車(江戸町付近)を撮している人達を車窓から眺めて(男性3人組。離れたところで女性1人(女性はカバンにでっかいペットボトルを入れておった。無謀な無帽だった))、あの男ら、昼日中から仕事もせずに京阪電車を撮しておるぞ、そんなんいつでも走っておるのに、あほちゃうか、と明晰な判断をくだすだけの客観的知力はまだ残っておる。そういえば、空の鳥もいつも飛んでおるのに、双眼鏡でながめるだなんてぇ~あははは。
またメシヤでは素麺が三種類あることも正確に弁別し、日々、異なった物を食べておる。
~
かくかくしかじか、余は老境なのか、観察眼が鋭すぎるのか、よく分からなくなった。
さて、今朝も仕事じゃ。
葛野の冷房は28度Cにしても、よく冷えるのう。寒いぞ。
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↑撮り鉄&鉄子らが京阪電車を撮しておった地点(2011年8月10の午後4時すぎ)
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