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2011年8月13日 (土)

小説木幡記:放射能を含めてわが祖国

Aadsc00059 京都の五山送り火が宗教行事なのか観光なのか、町おこしなのかはよくわからぬ。なんであれ、理屈じゃなくて人々の感性をくすぐる行事だから、穢れや失態やおぞましい風評が重なると、よくないと関係者の方達は思ったのだろう。

 岩手県の陸前高田市では、被災にあった松に鎮魂をこめてはるばる京都に送ってくださったとのこと。それを送り火関係者達は、最初は純粋の風評で、二度目はセシウムなんとかという放射性物質があるとかで、使うことを断念したとのこと。

 大文字や京都市の対応に、アメリカ映画でみかける感性をちらちら見た。よくある話だが、なんらかの汚染された町とか州を軍で封じ込めて、住人もろともミサイルなどで殲滅する発想だな。ホラー映画やパニック映画でよくみてきた。汚染なのかどうかは知らぬが、穢れや異物を我が一部とみなせず、あっさり切り離す外科療法に似ておる。ただし、脳が汚染されても、首までは切らぬ。そのかわり、脳の一部を切り出す感性もあった(ロボトミー手術)。

 京都の人や、送り火関係者は、かつてのまつろわぬ東北を、封じ込める気持ちが底辺になかろうか。セシウムは怖い。それがたとえば、銀閣寺の裏の通称・大文字山で燃やされると、鎮魂や観光どころか、末代まで放射能が地中に灰とまざって残り、悪評が立つ、とでも考えたのだろう。被災で心もずたずたになっている東北に対して、ものすごく冷淡なことだ。ご当地大切、風評嫌だということで、斯様な仕儀を断行したのは、いかにも京都らしい。もし宗教行事なら、そういう現世の辛さをのりこえて、一緒に背中に負うのが本道だろう。純粋観光だから、嫌だったのだろう。あるいは来年からは、まきをくべたりする送り火裏方に参加しない人が増えるからかな? 

 余は思った。
 そこまであれこれ冷徹にふるまって継承される送り火なんて、地獄の業火と変わらぬ脳。死んでしまえば、みな平等。なのに、京都では弔い送る気持ちさえ、「汚染された東北とはちがう」とでも考えておるのかな? あはは、笑止千万な考えで、京都の五山送り火は今年も来年も継承されるのかい。

 さて、余の近親者には被爆者がおる。
 広島(や長崎)の一木一草にいたるまで、穢れ汚染され、封じ込める対象だったのだろうか。
 おそろしい、魔女狩りだな。
 ああ、日本で狐憑きとか言って村の一部住人や地域を封じ込めた話。きっとその者や土地にはセシウムが蓄積されていたと、村人たちは考えたのだろう。京都の送り火関係者や京都人も、偉い科学者ですなぁ。

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コメント

同感です

 やりきれませんね、送り火の話は。
つまらないコメントは記事の格調を落としそうでやめようと思いました。
しかしやはり書きたくなりました。

 残された者が思いを込めた薪を京都五山で燃して、沢山の人たちと一緒に盛大に送ることで少しでも亡くなった人たちの鎮魂になるのではないか。
そういう想いからの計画だったと思われます。

 中途半端な科学と中途半端な思惑が邪魔をしてしまいましたね。
うちの女房は(同じ日本に住んでいながら、風に乗って渡ってくるかもしれない放射能が、含まれている薪は使えない、なんて。気持ち狭く、寂しいね。)というております。

 たった500本の小さな薪の木。
表皮さえ削れば残る放射能なんて微々たるものだから問題ないでしょう。
京都の(科学者さん)たちにはハッキリとそう断言して欲しかった。
よしんば多少の不安が残ったとしても、Mu大兄の仰るように(罪業の責めは共に背負う)と京都が宣言して大々的に五山で燃やしたら今年の送り火は光を増し見る人の心にも亡き人たちへの思いが募っていたに相違ありません。

 京都五山の送り火の値打ちを著しく下げてしまいましたなあ。

投稿: ふうてん | 2011年8月13日 (土) 11時55分

ふうてんさん
 京都や宇治に住んでいても、今回のことは本当によく分かりません。一体なぜこんな無残なことになったのか。
 どこかで、関係者の中に、視野狭窄の方がおられて、その発言が力をもったのではないでしょうか。

 中止の事情は分からないのですが、想像してみると、潔癖症というか、放射能がちょっとでも東山や他山の土中に残ったり、水に混ざるのがいやだったんでしょうか。あるいは記事にも書いたように、多数の実働関係者(支える人達)の不安を取り去るためだったのでしょうか。

 どんな事情であれ。
 伝統行事を継承することの難しさと、その時代時代の回りの人達の感情のバランスの上に、今後も、祭りや催しや行事は続いていくのでしょう。
 しかし私は、今回のことで、しばらく五山送り火の画面なんかが出たら、TVを消します。
 それは、怒りよりも、ショックなんです。
 つまり、悲哀感ですね。
 数年間は胸張って、世界や、京都以外の知人達に、大文字とか送り火とか、言えなくなりました。忘れたふりをします。

投稿: Mu→ふうてんさん | 2011年8月13日 (土) 16時47分

京都が好きだったから今回は何だかがっかりです。

陸前高田市の方々の気持ちを2度も踏みつけにして、挙句電話で中止万歳の電話までする市民。

2ちゃんねるなどでは陸前高田市長が二転三転することに流石に怒ったら[怒る方が筋違い][京都を汚した東北が悪い]とか[陸前高田市が京都に謝れ]とか…、めちゃめちゃで、またそんな意見が非常に多い。


でも、記事やコメント欄を読ませて頂いて、京都の方々でも、被災地の方々の心情を、きちんとした方々、考えていらっしゃる方々もおられることにほっとしました。

やりきれないですね。
きちんと沢山の死者が快く現世に戻り、帰れる。
生者は、それをどの地域に居ようと亡くなった方々を偲び、心から願う。そんな迎え火や送り火であって欲しいです。

投稿: マッチョ | 2011年8月14日 (日) 14時52分

マッチョさん
 どんなことも、一筋縄ではいかないのが浮き世ですが、いろいろ暗躍する人が左右におったのでしょう。売名とかボロ口とか。

 薪受け容れ拒否の理由に「放射線」としたのが、Muの怒りです。
 もっと、ちゃんとした理由や事情がきっちりあれば、「ああ、そうですか」と、東北の人も関東の人も、Muも忘れてしまったのでしょう。

 「放射線」を国内に作り出したのは、福島原子力発電所と津波が原因でした。その段階で、もう避けられない天災や人災が生じてしまいました。Muの考えでは、許容範囲では、そういう結果を日本中で受け容れる必要があると、その一事です。対岸の災害は、京都では全部遮断するという狭量印象が好かんし悲しい話です。

 また、そういう狭量印象を京都が全国に示してしまったなら、そういう原因は正確に分析しておかないと駄目ですね。

投稿: Mu→マッチョ | 2011年8月14日 (日) 20時52分

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