小説木幡記:不自由なのは、老いか気質か、それは分からぬ
昨夕の産経新聞で、鈴木貴博という方の「仲間と自由は大切『ワンピ世代』:人気漫画の影響力」という文化欄記事をながめた。ここで、ワンピというのは、『ONE PIECE』という連載漫画の省略名のようだ。で、鈴木さんの話は、現代の若者が上代の壮年から理解されがたく思われている事情を解き明かす、コツについてであった。
たとえば40代の人が、<世話になっている会社には勤め続けることが恩返し>、<無能上司でも年長者として一定の尊敬をしなければならない>、<電車内での化粧は他に不快感をもたらすので慎むべき>などと考えるところを、20代のワンピ世代なら、「他人が不快に思うことまでは配慮する必要はない。それよりも自分の考えること、信じることに縛られずに行動することの方が大切なのだ」と、考えているらしい。
ワンピ世代は上代人からは「コミュニケーション能力の欠如」を言われるが、仲間うちでは実に細やかに通じ合っているらしい。これはケータイやスマホの駆使もある。マナー問題も、人前での化粧に対する節度は知っている。ただし、人前とは、「仲間や知り合いの前」という定義らしい。
ワンピ世代は組織に属さず、仲間に属している、というのが鈴木さんの解読のわかりやすさだった。
余は葛野キャンパスという20前後の若者(女子)の中で20年近くすごしてきたので、最近の風潮を、鈴木さんの解釈で読み解くことに、一種の爽快さも味わった。ただし、常に一定の留保はある。
『ONE PIECE』なる漫画は知らないので、何とも言えないが(たぶん、絵もストーリーも、余の好みではなかろう、というのが長年の昵懇の漫画司書たちの解釈である)、TVなどでみるところでは人生を変えるほどの影響を受けた若者がたくさんいるらしいから、相当にインパクトがあるものと想像する。
仲間と自由。
で。
仲間は大昔からあった。20代の前半とは、仲間との闘争、決裂を経験し、孤独を噛みしめる世代である。それを深く経験しないと、いつまでたってもガキのままの、思慮の浅い、人間にとどまってしまう。仲間内であそぶだなんて、そりゃ十代中頃のことまでだと思っておった。それが余の第一結論。
自由への希求は大昔からあった。20代の前半とは、特に大学生活の豊かな現代はモラトリアム時代として、もっとも自由を活用できる世代なのである。しかるに、仲間と一緒にいるとか、仲間同士助け合うとか、仲間と密接なコミュニケーションをとるとか、チンケな仲間相手だけにつうじる常識節度に縛られて、自縛しているような、ものすごい不自由な世代だな、と思う。それが余の第二結論。
ということで、天の邪鬼視点からすると、20代も上代も、不自由邪脳。
なにかしら、今後は講義中に化粧する受講生が出現しても、冷たく言わないでおこうと思った。ただし、つかつかと寄っていって、「君、化粧が下手だね、あはっは」と自己表現するくらいの余の自由は持とう。あるいは組織人として行動しない若者がいたら、ぬっと顔を突き出して、「就活の面接では、不用意に、この会社で自由に働き、自由に休暇をとって、海外旅行します、だなんて言わない方がよいよ」と、くらいは言ってあげよう。そういう憐憫の情を示す自由は、余も持っていよう、人として(う、けけけ)。
さて、一番不自由な男は、余であったなぁ、と長嘆息した。
原因は、老いか気質か、それは分からぬ。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
人間関係のこと
このところ(人生論)的な記事が多いように感じます。
人生論というと硬すぎますかね。
生き方談話とでも言った方が近いように感じます。
今回は人間同士の関係の持ち方における昨日今日明日の話なので、ご参考までに僕の経験をメモさせていただきます。
これまで65年も生きてきて印象的な言葉が二つあります。
一つは中学生のころ学んだ(親友の三条件)というものです。
1)相手に親しみを持てること
2)相手に尊敬できる部分があること
3)相手に侮れる部分があること
僕は特にこの三番目の条件が気に入りました。
もう一つは(人間には三つの関係の持ち方しかない)というものです。
1)自分と自分との関係
2)ペアの関係(二人の関係 広義には家族関係も含む)
3)社会との関係
だからどうなんだ?と聴かれると答えようがないですが、人との付き合いについて、こういうことを意識することでずいぶん助かったなあ、分かりやすかったなあという想いはあります。
この二つの言い方は時代とは関係なく普遍的ではないかと思われます。
(仲間うち)という関係とは何なのか?なんてことを、この二つの言葉とからめて考えてみると暇つぶしにはなりそうですね。
投稿: ふうてん | 2011年8月 3日 (水) 18時58分
さてふうてんさん
このごろじっくり考えたり手を動かすことができない状態なので、せめてblogだけは、人生論風に考えて書こうとしています。
ただ。
丁寧なコメントを何度も読み返しているのですが、おっしゃるように、あるいは仕掛けられたように、(仲間うち)という関係性になんどもなんどもぶちあたって、腰をぬかしてへたりこんでおります。
~
一体、仲間うちの相互関係とはどういうものなのでしょう。ペアでもないし、組織でもないし、かといって個=孤でもないし~
ということで、考え出すとしんどくなるので、止めておきます。
しかし、仲間うちの関係で、大半のことをなしてきたのも事実です。
うーむ。
投稿: Mu→ふうてんさん | 2011年8月 3日 (水) 22時26分