小説木幡記:夏の葛野日常
夏期に入ってなにをどうしているかの細々しいことは記録に値しない。ただ、先週までの2週間ずっと「未来の図書館ジオラマ制作」を学生16名に授業してきた。そして先日土曜と日曜とは、夏のオープンキャンパス(OC:大学を高校生に公開する祭礼のようなもの)にかり出されておった。今週は盆までずっとジオラマ授業の最終週に入る。
まことに。
貧乏暇無し、夏期論文考察はどこへ行った?
今朝は極早朝に目覚めたが(深夜とも言うらしい)、午前は薬受け取りに医院へ行く。なにか久しぶりの血液検査もあって絶食状態である。(機嫌が悪くなるなぁ)
昨日、一昨日のOCを思い起こすと、例年とは趣向に変化があって、余は2回のミニ講義(高校生にそれらしい授業風景を体験してもらう)と、学生達主催の体験授業に参加した。合計4つのイベントだったが、~集客がままならなかった。ただ、それぞれの行事に関与した学生達(3~4名)の参加「体験」には寄与できた。
要するに、集客があってもなくても、泰然として、定められた方法論に従って、気分よく事を進めていった、そういう感想がのこった。
自分達や、その「先生」のやることなすことに関与して、拍手喝采があるわけでもないし、法外な収入があるわけでもないのに、お祭りの賑わいに溶け込んで、客のこない神社の裏で、もくもくと正しく商いをしているような、そういう哀感漂う妙な明るさを味わった。
人は、人生に、いつも祭礼の中心で踊ったり御輿を担いだりすることばかりではなく、神社の裏でも店をはって、祭り全体の賑わいを高める経験をすることもある。物事の首尾とは、表だったことだけで判断できるものではない。客の来ないミニ講義は「先生」の至らなさというか、講義内容の人気のなさである。流行の中で現代にそぐわぬことも多くある。しかし必要なことを必要に応じて供給することも大切なのだ~。そういうことを体験することも人生なのだ(苦笑)。
というわけで、祭りのあとは疲れるのう。日々午睡をたっぷりとって英気を養い、夏を乗り切ろう。午睡の大切さ、健康への影響は、日本ではあまり知られていないようだ。フランスの政治家ド・ゴールの伝記映画で、当時の英国首相・チャーチルが若きド・ゴールに「午睡しないと身体が持たず、判断も誤る」と諭していたのを思い出した。
付記
午睡と似たことだが、ドライブ中の瞬間睡眠についてひと言。運転中の睡魔はだれにとっても気を付けなければならぬことだ。思い切って車を追突されない場所に止めて、寝ることだ。わずかに、5~10分の睡眠で、人の脳は再生する。恐ろしいほどの判断回復をもたらす。
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