小説木幡記:難しい話・日本武尊(倭建命)
今年の夏は日本武尊について考えることが多い。カタカナでヤマトタケルノミコトで、日本書紀風だといかめしく日本武尊となり、古事記風だと、倭建命となって幾分和らぐ。今夏に限って、日本武尊を使っておくが、余は若年より倭建命と記してきた。記紀の間に多少描き方の違いがあって、武尊の方が勇ましく、建命の方が少女の床のべに吾が置きし剱のたちと詠ったとき、良く似合う。
さて。
表題に上げたが、余は近頃日本武尊のことを「難しい話」と心底考えだした。ずっと40年近くもっと感性的にぴたりと、武尊のことは分かっていたのだが、今夏は違った。要するに日本武尊の悲劇は神から人への架け橋としての悲劇・悲しみであると言ったとき、一体神から人への架橋とはどういうことなのかと、真剣に悩み出したのだ。
~
ずっと、悩んだことはなかった。
武尊(たけるのみこと)は、半神半人の皇子だった。その方が最後は伊吹山で悪神に打ちのめされて病篤く、亡くなったのだから、悲しくて当たり前と思ってきたのだ。
そこで。
なぜ神であり人であることが悲劇を生むのか、と根源的に考え出したとき、今夏暗礁に乗り上げてしまった、……。
~
「永遠」に憧れ続けたというのが、武尊の悲しみであり悲劇だったのだ、と分かっている。
分かっているのだが、それを論としてまとめようとしたとき、すなわち他に伝えようとしたとき、余は頓挫した。
実に難しいことだ。
また、少し考えておこう。
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