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2011年8月31日 (水)

小説木幡記:MuBlogのこと

05amudsc_0039 また少しMuBlogの休みが続いたが、記事を投稿することについて、気持ちを込めて持続しなければならぬ、と思い返す事情があった。

 何の気無しに惰性で書き綴る小説日記でも、読んで興を覚えてくださる方々も居る。いちげんさんだけではないblog世界を再認識した。

☆日曜作家記事はどうなされましたか~と。
 暇になったなら、という言葉は禁句と知っている。暇になったら読書しようと思っていた初老が、定年になったとたん眼病で小さな文字を読めなくなった話がある。だから、その督促話を聞いて、とりあえず9月になったら、また活動を再開しようと思った。
 ずっと何年も第四作『湖底宮』が書き止まって居る。一気呵成に初稿を完成できぬ状態である。500枚はすでに過ぎているのだから、あと200枚程度で全体初稿をまとめればよいのだが~。
 書けない事情はあるのだが、止まっていたら永遠に先にすすまぬ。というわけで、第五作、怒濤のシリーズ完結『嵯峨野』編を先に書き出す用意もしている。
 ああ。
 それにつけても、日曜作家で良かった(笑)。平日作家でこれだけスランプが継続すると、今頃はネットカフェ遊民になって居ろう。

☆ヤマトタケルさんの続きを読みたいのですが~と。
 これは今夏、夏期論文のキモなので、そちらを先に書いてしまわないと、すっきりした気持ちでMuBlogに対面出来ぬ。
 神から人への下降の悲劇は、神聖を剥奪されゆく「人」の主観的悲しみで、よそからみるとそれは、「苦痛」なのだと思う。
 老いた余が、30前後に書かれた非常な才能ある思想家の文章を理解できぬのは、理解する前に、あらためてその才能の深さにふれて驚愕しておるせいもある。あまりに大きな驚きに、余はなすすべがない。
 おそらく記紀に描かれた倭建命が千数百年たっても色あせぬのは、その神と人との架橋を体現した典型的なキャラクターとしてなのだろう。
 皇子である立場も、良かった。
 永遠に双六を上がらぬ未完の立場。
 いや、ロマンとは、やはりそのような悲劇性なしでは成り立たないものと、いま理解した。
 『戴冠詩人の御一人者』は、当時、北村透谷文学賞を受けて居る。当時にあっても、それだけ目立つ内容だったのだろう。

■このごろ読書感想文が少ないが←余の内奥心
 たしかに膨大な文庫小説を読み散らかしている割には、感想文が少ない。
 MuBlogの真骨頂は、読書感想文と歴史紀行文のはずなのに少ない。
 反省しよう。
 ~
 邪馬台国紀行・論説問題は置いたままだし、森氏小説の電脳版作品には言及していないし、なかなかに。
 そういえば、鉄道図書館関係、ジオラマ関係、DCC問題も筆が進んで居らぬ。
 ~
 要するに、心にゆとりがないのう。

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2011年8月28日 (日)

NHK江(33)徳川の嫁:三成という人

承前:NHK江(32)江戸の鬼:秀忠の正体

 石田三成という人は、五奉行筆頭でしたが、加賀の前田さんが亡くなった後、秀吉子飼いの者達から屋敷を囲まれました。三成は頭のよい能吏だったからでしょうか、朝鮮戦役で苦しんだ大名たちからは疎まれ、憎まれたわけです。ドラマでは秀吉の軍師だった黒田官兵衛が三成に「人の心が分からぬ人だ」と言います。

 現代でも一般に頭の良い人に見受けられます。順風満帆、幼少時から青年期をへて社会の中枢にたどり着いた人の中には顕著に見られる一種の障碍です。つまり他人の心、悲しみや苦しみが分からない人です。カニは甲羅に合わせて穴を掘るたとえからすると、秀才は秀才の目線でしか世間も人をも理解できないわけです。しかしわからなくても、能力だけで世間を動かす人がいます。

 この石田三成というひとは、昔から毀誉褒貶、落差がはげしくて、よく分からないところもあります。秀吉にとってはよき相談相手だったでしょう。イノシシ武者ではない三成は、複雑な計画をたてて執行するにはなくてならない人材だったと想像できます。

 今夜、屋敷を囲まれた三成は結局、家康の懐に飛び込みます。この事情はいろいろあるでしょうが、徳川屋敷が現代の乃木神社のあたりで、その南に三成屋敷があったというのですから、塀(さしずめ現代のJR奈良線でしょうか)を乗り越えて夜陰に紛れて逃げ込んだのかもしれませんね(笑)。でないと、屋敷を囲まれたら徳川の居所が遠ければ、そこへ行けません。

 後の関ヶ原の戦いも、西軍として東軍を越える兵力をあつめたのですから、三成がただの嫌みな能吏にすぎなかった、と思うのは早計です。関ヶ原の戦いは、結局、三成・西軍の方に勝算があったのですから、人望がないというのも、割引しないと駄目でしょう。大谷刑部吉継の助力とか、島左近という有能な部下がいたのですから、もしも三成が勝利していたなら、また評価も変わったかもしれません。

 歴史はつまるところ勝利者が記す物です。嘘とかペテンではなくて、勝利者は勝利者の目線から物事をみるということに過ぎません。破れた三成が、なぜ敗れたかは、人望がなかったから、と結論をだすのが勝利者の客観です。

 さて。
 江戸の江さんは、珠という女児を産みます。
 しかし心中は姉の豊臣と、舅の徳川が争う予感にはらはらしています。次姉の京極家では、徳川から城を修復してくださいと、膨大な金子を送られて、初の旦那が困っています。この初の旦那の姉が、故秀吉の側室だったわけです。

 ドラマは、江戸での江のエピソードが当面は秀忠の乳母との争いに終始し、事件もなさそうです。難しいところです。


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↑佐和山城跡

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2011年8月26日 (金)

小説木幡記:難しい話・日本武尊(倭建命)

Aaimg_0068 今年の夏は日本武尊について考えることが多い。カタカナでヤマトタケルノミコトで、日本書紀風だといかめしく日本武尊となり、古事記風だと、倭建命となって幾分和らぐ。今夏に限って、日本武尊を使っておくが、余は若年より倭建命と記してきた。記紀の間に多少描き方の違いがあって、武尊の方が勇ましく、建命の方が少女の床のべに吾が置きし剱のたちと詠ったとき、良く似合う。
 さて。
 表題に上げたが、余は近頃日本武尊のことを「難しい話」と心底考えだした。ずっと40年近くもっと感性的にぴたりと、武尊のことは分かっていたのだが、今夏は違った。要するに日本武尊の悲劇は神から人への架け橋としての悲劇・悲しみであると言ったとき、一体神から人への架橋とはどういうことなのかと、真剣に悩み出したのだ。

 ずっと、悩んだことはなかった。
 武尊(たけるのみこと)は、半神半人の皇子だった。その方が最後は伊吹山で悪神に打ちのめされて病篤く、亡くなったのだから、悲しくて当たり前と思ってきたのだ。
 そこで。
 なぜ神であり人であることが悲劇を生むのか、と根源的に考え出したとき、今夏暗礁に乗り上げてしまった、……。

 「永遠」に憧れ続けたというのが、武尊の悲しみであり悲劇だったのだ、と分かっている。
 分かっているのだが、それを論としてまとめようとしたとき、すなわち他に伝えようとしたとき、余は頓挫した。
 実に難しいことだ。

 また、少し考えておこう。


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2011年8月25日 (木)

小説木幡記:火山噴火は気象庁:桜島はランクA

04amudsc_0036 ネットをみていたら、鹿児島の桜島が爆発したと記事があった。驚いて周辺記事をさがしたところ、なんのことはない、今年は554回目の噴火とあった。つまり、桜島は生きた活火山、日常茶飯のこととして噴火しているわけだ。

 この回数情報は、NHK「桜島噴火情報」でみた。
 そこで「活火山」をさがしたら、気象庁「日本の活火山分布」があって、桜島はランクAだった!

 どの話も日本は火山列島なので驚愕はしなかったが、恥ずかしながら、「おや」とあらためておもったことがある。つまり、火山情報を地元のNHKが整理整頓するのは自然によくわかったが、活火山のことなどは気象庁の管轄というか、責任をもっているようだ。気象庁といえば、即座に「お天気情報」とくるので、それが「火山情報」となると、火山のない京都府南部宇治に住んでいる身には、ちょっと意外な感に打たれた。

 自然現象に関して測候・予報を考えて出すのが気象庁の仕事、だと思った。
 余はいささか、世間知らずのようだ(cat)。
 もっと、しっかり勉強しないと、社会で生きていけぬ脳。


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2011年8月24日 (水)

小説木幡記:うまく行った今日、マツタケご飯

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 昨夜は珍しく11時ころまでミステリを読んでおった。いつも食後すぐに眠ってしまい、脂肪がどんどん蓄積されてきたことに気付き、何が何でも深夜11時過ぎまで起きていようとおもって、堂場さんの『雪虫』を読み出したら止まらなくなった。
 ともかく~食後は3時間ほど起きていないと、ファットになるらしい。

 今朝は、しかしいつも通りに起床して、葛野には7時前に入った。暑いのでさっそく地下におりて茶を買って、魔法瓶(今はなんと呼ぶのだろう)に2/3を入れて蓋をし、残りを口に含んだ。日本冷茶は結構いけるなぁ。さらに珈琲をセットしてスイッチを入れて、さっそく仕事に取りかかった。

 珈琲は熱かった。
 午前10時すぎだったか、昨日まで論文がうまく行かず胃を痛めていたことが、すっと行った。万歳した。ずっと、実はクラスター分析がうまく行かなかったのだ。つまり、デンドログラムの出現が悪い。そうこうするうちに、今日の午前に通った。快哉ものだ。(原因は、パラメタ設定を忘れておった)

 調子良く、論文のフレームを最後まで形成してしまった。つまり、これですべて結論まででたわけである。余ひとりなら、それで完了だ。だが、論文とは誰も読まなくても公開されるものだから、他人が読んで分かるようにしなければならぬ。来た、見た、勝った! ではすまない。
 まあ、よかろう。

 11時すぎに、一人にこにこして、めしやに行って、松茸ご飯やおかず(チキンの白蒸し、揚げ出し豆腐などの小鉢もの)、さらに意に反して味噌汁までたのんで(注文しないつもりだったが、お兄さんが、「マツタケごはんにお味噌汁どうですか」と間の手をいれてきたので、思わず、「わかめ」と言ってしまった)、大枚700数十円もつかった。贅沢だなぁ、と思ったが、『戴冠詩人の御一人者論』のフレームができた、つまりスジが通ったのだから、これくらいはよしとしよう。

 午後は一時まで仮眠し、それから一気呵成に冒頭から書き出した。
 しかし午後4時ころになって、「さすがに疲れるなぁ」と感じたので、筆をとめた(マシンを消した)。
 やおら別室に行き、LGBのレールを敷いたり、部屋の片付けなどをした。約30分でテーブルや片付けやセッティングが完了し、それからGゲージ機関車を走らせた。円周の真ん中には「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」をセットした。したが、~、Gゲージ車両をボール紙やバルサで造って、色を塗って、書庫やカウンターやミニ本を置くとなると、こりゃ、時間を湯水のように使う。来年はジオラマよりも、図書館専用列車モデルを造る算段を、限られた余生の中でじっくり考える必要があるのう。

 というわけで、すべてうまく行ったので、早めに帰還した。
 今夜も『雪虫』の残りわずかを読み切る。日々、忙しい脳。

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2011年8月23日 (火)

小説木幡記:ミステリ三昧、『砂の器』など

承前:点と線/松本清張:TVで観た「新・点と線」

03amudsc_0035 人は重要案件を幾つも抱きかかえると、その重さに耐えかねて、まるで別のことに血道を上げるようだ。余は若い頃、文學に傾倒し、大学受験を何年も棒に振った(笑)。
 さて。
 今夏は一週間ほど休暇をとったことになるが(取るつもりはなかったのだが、結果的にこれをして人は休暇と言うだろう)、その間十数冊の分厚い紙・文庫本を読んでいた。電子読書機、iPad やスマホで読まないところが紺屋の白袴、ひたすら横臥し来る日も来る日も紙の本をひもといておった。
 で。
 良い脳、ミステリは。SFもよいが、江戸の人情本もよいが、海外サスペンスもよいが、やはりお茶漬けの味的ミステリがよろし。そう、松本清張『砂の器』が、良かった。もちろん現代ものとしては、堂場さんという人の<警視庁失踪課>シリーズもよろし、よろし。

 『砂の器』だが。9月上旬に二夜連続でTVドラマ放映がある(らしい)。昔映画で見たときはものすごい衝撃を味わった。昔TVで見たときは、肩すかしを食らった。今回、原作を読み(初読は20代のはずだから、記憶がなく、これが最初と思って良い)、初秋に新しいドラマを楽しみにし、さて~。

 TVドラマについては、いくつか課題がある。

 1.主人公の過去、特に父親の姿をどう捉えるか。余は加藤嘉が父親役をした映画に深い感銘を受けたが、さて今回のTVドラマは、そのあたりのことでどうするのかな。

 2.原作では、犯人とおぼしき人物が二人いて、この関係表現が松本さんの筆致では急ぎすぎた面があるが、どうなんだろう。つまりXとYとがいて、XYの関係を上手に処理しないと、XもYもミステリ風やらせになってしまう(笑)。

 3.松本さんの作品は「点と線」のように、往時の國鐵が大きなウェイトをしめる。さて、現代のJRでそれをどう描くのか、あるいは実写回想でお茶を濁すのか、現地ロケしたのか~いろいろ楽しみだ。

 4.原作での殺害手法(トリック)絵解きは、余が完全にわすれていたほどに、ちょっと外れだ(つまり、そんな特殊な手法にしなくても、原作は名作だ)。ドラマではこのあたりはどう処理するのかな?

 5.通説の社会派だが~。余は松本さんにたいして、そういう大上段に構えたものはもとめていなかったし、そんなことはどうでも良い(笑)。ただ、多くの原作で、警察官の描き方がものすごく気に入っておる。要するにお茶漬けの味わいだな。ちょっと古風な礼儀正しさ、庶民のお父さん的刑事が、しこしこと謎を解いていく。ときどき書面で問い合わせし、晩酌を傾けながら返事を読む。その描き方の丁寧さに感心してきた。
 そういう刑事が、初秋のドラマに出てくるのだろうか? 
 うーむ。現代風味付けかな?

 というわけで。
 ミステリーって、おもしろいなぁ。原作も映画もTVドラマも。まだまだ楽しみが残っておる。

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2011年8月21日 (日)

NHK江(32)江戸の鬼:秀忠の正体

承前:NHK江(31)秀吉死す:醍醐の櫻、難波の夢

 今夜は秀吉亡き後、石田三成が徳川家康を暗殺しようとしている噂が引き金になって、秀忠と江とが江戸へ移る話でした。たしかに本能時の変で信長親子が近くに居たので、明智光秀にまとめて攻められてしまいました。そういえば、大坂城と伏見城とがあって、それとなく秀吉が伏見に隠居し、秀頼が大坂城に居たような印象が残ります。権力者と後継者とは、離れていた方が良いのでしょうね。

 その変形として、徳川の御三家も、内紛の種にはなりましたが、初期にあっては江戸が攻められても、水戸や尾張や和歌山に、徳川を継ぐ縁者が居たというのは、用心深い方法だったのでしょう。

 それで。
 江が秀忠を少しずつ見直すようになりました。秀忠が三成を屋敷に招いて、家康を暗殺するものが出ぬように監督を依頼したり、酒を勧めたりと、政治的な駆け引きを江が目の当たりにしたからです。秀忠は江に「オヤジになにかあれば、わしが後を継ぐのだから、それなりにいろいろ考えて知っておくことがある」と、答えました。

 そういえば。
 隆・慶一郎さんの名作『影武者徳川家康』では、秀忠が徹底的な悪役で活躍(笑)しておりました。関ヶ原の集合に遅れたのも、真田との関係も、いろいろ事情があったのかもしれません。

 ところで。
 江戸には秀忠の乳母にあたる大姥局(おおばのつぼね)がいて、なにくれとなく秀忠の面倒をみます。江にとっては姑みたいなものですね。江の立場にたつと、この加賀まりこさんとか、後日には春日局さんとか、江に対抗してくるおばさん達に囲まれて、正室としての権力筆頭ではあっても、さぞ気苦労が絶えなかったことでしょう。

 というわけで。
 今夜は、江の置かれた立場の複雑さがありありとわかる場面でした。ねねさん、淀さん、初さん、江さんと、この四人の女性が豊臣と徳川と、おのおのの立場のもとで、悩んでいくのがドラマの後半になるようです。
 来週も楽しみです。

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小説木幡記:初秋のような入梅のような京都でスマホ・ワンセグ

Amudsc_0020 木幡でメーターを見ると、温度28度c、湿度78%だった。湿度が高いが、気温が低いのと扇風機のせいか、息苦しくはなかった。ちょっとしめっぽい初秋の雰囲気だな。

 昨日は伏見あたりでスマホの附属品(携帯充電器やデータ転送コード、他)を買ったり、文庫を買ったりで、半日過ごした。録画用BDやDVDも手にしたせいか、出費がかさんだ(と、1万円強(笑))。特に日々スマホを携帯PCと認識して行くにつれて、マイクロSD(記録カード)を増強したり、PCとのデータ転送を考えてUSB接続をためしたり、旅行に備えて充電式電池付きのスマホ充電器を試したりと、寧日いとまなく忙しい。
 ただしスマホ用のHDMI接続コードはなかなか店頭で見つからぬ。もしあっても高額そうだ。一般的なHDMIケーブルはいまだに1mが3千円もする。金メッキで導電がよいのだから、しかたないのか。スマホ用は受け口が極端に小さいから、高そうだ。

 今日は、昨日買い忘れたスマホの外郭・ケースを入手しょうとおもっておるが、auアクオスの売れ具合によってはそういう製品があるかどうか不安邪脳。こういうときはiPhoneの方が品揃えよろしかろうと想像するが、レアものを持つ身の恍惚と思えば、諦めも付く。そうそう、アンテナが隠れていたので引き延ばしてワンセグをみたら、一瞬で入電しクリアな画像を得た。それに気付かなかった先週は、「こいつ、ワンセグが写らぬのう。欺された!」と怒っていたが。ああところで、ディジタルBSは入らないようだ(邪笑)。

 TV朝日でこの9月10,11の土日に「砂の器」がやっと放映されると知って(実は3月11日予定が延期されていた)、昨日土曜日はその文庫上を読んだ。まだ、カメダ話やヌーボー・グループ登場のあたりを彷徨っているが、当時のちょっとすかしたお兄さん、お姉さんたちの日常風俗がおもしろかった。この図書については、AERAムックの「昭和の鐵道と旅」や、太陽の地図帖「松本清張・黒の地図帖」に、「砂の器」のルートやカメダ?のことがあって、よりわかりやすい。

 ということでおっとりと夏が過ぎていく。
 疲労が徐々にとれていく。
 やはり、ぼんやりするのは心身に必要だ。
 (いつもぼんやりしているわりには、おかしいなariesaries

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2011年8月20日 (土)

小説木幡記:ランチ(昼食)考

02amudsc_0033 昨日夕方、葛野をでるときにふと「めしや」の幟(のぼり)広告に目がいった。数週間ずっと、マグロ漬けご飯だったが、それに新たに追加されていた。
 「マツタケご飯、ミニ290円」
 さて、どこの松茸かは分からぬが、今度食べてみようと思った。空を見上げると曇っていた。なぜ見上げたかというと、松茸と聞くと「秋」。秋と聞くと「秋空」を思い出すからだ。案に相違して、空は暗く曇っておった。
 それにしても、京都は昨日、今朝と気温がぐっと秋らしくなった。

 で、昨日の昼食は、高辻天神川あたりの喫茶店に入って、Aランチ、すなわち{上等豚肉のピカタ(卵焼き風)、サラダ、味噌汁(キャベツ)、油揚の副菜、ご飯、珈琲}と。
 食後に、余は莞爾(かんじ)と笑った。
 以前にも大いに気に入ったのだが、実に美味しいわけだ。そのときは串カツだったが、肉が分厚くて、味噌汁もうまかった。で、昨日は豚肉と卵の相性がよく、依然として味噌汁の濃さや温度が最適だった。
 余はこのキャベツの入った味噌汁に降参したわけだな。

 そこは老夫婦と、若い男性(たぶん跡継ぎ?)とできりもりしている自家焙煎珈琲の店だった。昔から、珈琲店のランチには美味しいものが多い。何故かは知らぬが、西院にも「ワニの庭」というおもしろい名の店があって、そこも年配の御婦人が取り仕切っていて、ハンバーグ定食が美味しい。
 そうそう、阪急西京極駅の北にもハンバーガーの美味しい喫茶店がある。

 余が若い頃、勤め先から派遣されて大阪の昭和町にある大学で司書のお勉強(笑)を一ヶ月ほどしていた頃、一番のお楽しみは近所の喫茶店でランチを食べることだった。
 なぜか、随分美味しかった。
 食べ物やさんは、一般に入れ替わりの激しい若い人が調理するところは不味い。そりゃそうだ。若い人はよほどのことがないかぎり、味のデータベース(ふうてんさん風用語)が出来ていないから、味覚が壊れているというか未完成だ。料理は化学実験に似ていて、資質や経験も必要だから、マニュアル操作では出来ない。

 その点、調理については半分素人のような喫茶店オーナーが造るランチは、もともと珈琲にはうるさいのだから、素人ながらに「美味いものを造ろう」という意気込みがある。そして経験年数が1年、5年、10年、20年と過ぎると、他では真似のできないランチになる確率が高いのじゃ無かろうか。
 というわけで、ふるびた専門店、喫茶店のランチは、たぶん日本中どこへ行っても、比較的美味しいものにありつけると、余は想像した。

 さて、今日は。
 あはは、木幡でレトルト・カレーライスでもたべようgeminigemini

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2011年8月19日 (金)

小説木幡記:スマホや夏のキャンパス

Amudsc_0004 昨日は午前中早くにエドルン君を京都駅まで送り、朝食にサンドイッチや珈琲をとった。書店によって数冊ながめ、近くの窓口まで同行した。見ていると東京行きの新幹線・座席はすべて○になっておった。なにやら十分間隔で特急に乗れるらしい。世間は進んでおる。切符はすぐに買えた。

 イノダで珈琲を飲みながら、auのスマートフォーン(スマホ)の話をしていた。使い心地を聞かれたのだが、まだ持っているだけでどういうものか説明できるまでにはなっていなかった。アンドロイドOSは優れたものだから、それはそれでよいアプリケーションが生まれてきてもおかしくはない。ただすべてにわたって、文字の大きさの細かいことが余に辛かった。それが結論だった。基本設定でフォントを調整できるアプリもあるし、iPad と同じく二本指で拡大出来る物もあるが、まだ統一が取れていないなぁ。

 物理的なボタンが二つ以上あって、これがよい。iPad ではホーム(論理階層のてっぺん)ボタンはあったが、一歩手前に戻るのがなかった。auスマホには付いていた、~などと細かなことは気になるが、大局的にスマホがどういう意味を持つのかは、まだまだ余には把握できていない。要するに、クリック一つのアップルマウスか、左右クリックのwinマウスか、あるいは3クリックのunixマウスか~。いろいろ想像して笑えてきた。

 改札で見送って葛野に着いた時、すでに機関誌編集担当者が屯所にいた。余の記事用に写真を一枚送付してもらい、余も別記事用の写真を送付した。忙しいのか体調なのか、それが終わると担当さんはそそくさと帰って行った。

 暑かったが午後の空腹がいやだったので、帽子をかぶって弁慶に行った。ざるそばを頼んだが、700円もしたので、「もったいない」と心中つぶやいた。学食や駅前蕎麦なら半額だから。そこで、なぜ価格がそれだけ異なるかをじっくり考えながら蕎麦を食べた。良い味だ。しかしここはうどんやさんだから、熱くてキンピラが辛い「弁慶うどん」を食べるのがスジだな、と思った。

 休む間もなく熱い茶を入れて一息ついて、8GBほどのUSBメモリをさしこんで同期をとって、「戴冠詩人の御一人者論」の執筆を開始した。他に宿題はいろいろあるが、すべて棄てた。夕方になって秘書さんから連絡があってDCC関係の荷物を受け取った。例の(と言ってもなぁ!)広島の錦林車庫が扱っているディジトラック社製KATO経由のBDL168 やRX4である。要するにDCCでのPC制御を精密にするところの、ところてんパーツである。

 ということで、夏期論文はまだ半ばだが、例年通り、完成するだろう。考えれば考えるほど、この『戴冠詩人の御一人者』には保田世界の珠玉のような論が収まっておる。大津皇子の像、當麻曼荼羅、雲中供養菩佛~一行読み返すたびに余は目を潤ませた。これら論が描く世界は、日本の青春期なのだろう。

 キャンパスが無人になったので、危険を察知して(笑)、五時過ぎそうそうに退室した。
 夜は木幡で読書三昧と思ったが、案に相違して、眠ってしまった。
 taurustaurus

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2011年8月18日 (木)

小説木幡記:古代史の謎

01amudsc_0031 現総理(菅氏)が元・市民運動家と言われたり、自称していたようだが、それはおそらくかつて市民運動家ではなくて、市民煽動家だったのだろう、という想念が今朝渦巻いていた。しかし余は政治評論家でも、社会評論家でもないし、世間との結び付きもゆるくなってきた身なので、どうでもよいという諦めの心が胸に迫ってきたので、考えることをやめた。
 現総理といえども辞めればただの政治家ないし爺さんだし、隣国の大統領や、クーデターが年に数回もある諸国に比べれば、引退後の生活はゆるゆると気楽なものだろう。訴追も投獄も暗殺にも遭わない。だから、もう忘れよう。この2年間の日本は天人災(注:天神ではない)じゃね。

 さて。
 長く疑問に思ってきて、それぞれに一応の解を余の中で消化してきたつもりだが、それでも本当は疑念が渦巻き、これでは早死にできぬなぁという、根源的な問いというか、疑問がある。古代史問題じゃね。

1.倭国の首都邪馬台国はどこにあった。そして女王・卑弥呼は実在したのか、あるいはどこに埋葬されたのか?
 一々論証せぬが、一応は、邪馬台国は奈良県桜井市のJR巻向駅あたり、いわゆる纒向遺跡だった。卑弥呼は実在し、墓所は280mの前方後円墳箸墓古墳である。このあたりは、公理。

2.邪馬台国と記紀に描かれた大和王権、つまり天皇家とはどういう関係にあったのか。連続するのか断絶があるのか?
 卑弥呼という女王を中心にすると、卑弥呼を共立し、卑弥呼の死とともに倭国は再度分裂した。その後壹与が再度共立されたが、おそらく血縁はなかっただろう。卑弥呼の孫弟子みたいな巫女さんと想像する。そしてまた壹与も没し、そのあとは別の王が近畿の諸豪族から立てられたと思う。それが崇神天皇と想像する。
 だから、倭国首都・邪馬台国連立政権と、大和王権とは、同一国内での政権交代だと想像した。よって、万世一系という象徴視点からみると、まるで無縁だが、同一国内の同一地域の政権交代という視点からみると、つながっておる。

3.九州から東遷した神武天皇と卑弥呼と崇神天皇と橿原地域との関係
 いや、じつに難しい。
 余はこの記紀神話と天皇紀と卑弥呼と橿原神宮のことを考えると夜も眠れなくなる。要するに、どうすれば理屈が通るのか、よくわからぬ(笑)。
 一番の早道は、余が宗旨替えして、戦後すぐの進歩学者、史的唯物論学者に変身して、「すべては権力者が都合のよいように、過去を造った」といえば、気楽で良い脳。現代なら、「すべては天武朝のおやとい中国人やインテリ達が、日曜作家になって、過去を書いたのでしょう」と、言いたくなる。

 いやしかし、一番の謎は、すべては権力御用達インテリ達が造ったにしては、まるで、つじつまが合わない。当時のインテリ達は、現代の官僚や御用学者ほどには、勉強が足りなかったのかもしれぬ。

*.謎が解けたら生き甲斐がなくなる
 以上の謎謎が考古学や歴史学によって、きっちり解けたら、なんだか長生きする値打ちが薄まる。そのときは、また別の謎に挑戦すれば、良いのかのう。「宇宙人が建国した日本」とかなcatcat

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2011年8月17日 (水)

小説木幡記:盆休みと言っても

Amudsc_0008 ここ数日葛野も盆休みなので、よき休暇を取れたが、なんとなく気がかりな仕事をつまりは宿題を、しこしこと木幡仕事にしてしまった。それでも一向に進んだ気になれぬのが、余の寂しき人生よなぁ~cat

 いろいろ食べたりドライブしたり見学したり、読書した。
 読書は結局「Yrr:イール」の上中下で長編3冊の一気読みをしたし、それでとどまらず「ジェノサイド/高野和明」を一息読みしてくらくらした。食後のデザートは軽く「天皇の歴史01:神話から歴史へ」をこなしかけたが、過食すると中性脂肪が増えると考え、数章で一旦頁を閉じて、もう少し軽めの山田風太郎さん「明治バベルの塔:万朝報暗号戦」にした。うむふむ。
 ちょっと食べ過ぎたかな。

 気晴らしに琵琶湖の温泉へ行ったり、大原の朝市に出かけたり、京都の北の「高麗美術館」を見学したりと、そこそこ外回りもした。

 そろそろ葛野へ出かけて山積みの宿題をばったばったとかたずけないとなぁ。
 それで、今夜は夏期論文にする。
 これさえ出来れば気楽に調査旅行にも出かけられるのだが。

 というわけで。
 今年の夏も半ばを過ぎた。
 嗚呼。
 小中高時代の夏休みの終わりをいつも思い出す。なにか物足りない、あるいはもの悲しい時期が8月の終わりやった。

 さて、……。と。taurus

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2011年8月14日 (日)

NHK江(31)秀吉死す:醍醐の櫻、難波の夢

承前:NHK江(30)愛しき人よ :伏見城界隈

 豊臣秀吉が生まれたのは1536年頃で、亡くなったのが慶長三年(1598)ですから、満年齢だと61~62歳くらいの生涯でした。信長や芭蕉が49歳、人生50年の世界ですから、長生きされたといえるでしょう。本当に、日本史に完全な刻印を残すほどに波瀾万丈の生涯でした。信長、秀吉、家康の三人をながめてみますと、一番ど派手な人生だったと思えます。人生そのもの、お金も女性も芸術も、どれもかも後世に伝説として残るような黄金色の生涯でした。
 少しだけ振り返っておきます。

 1536年頃 誕生
 1561年  ねねさんと結婚(秀吉25歳)
 1573年  近江の長浜城主 37歳
 1582年  本能時の変で織田信長死亡(秀吉46歳)天正10年
 1583年  大坂城築城
 1586年  太政大臣 秀吉50歳
 1591年  太閤 秀吉55歳
 1598年  伏見城で死亡
 1600年  関ヶ原の戦い

 亡くなられたのは京都伏見城でした。このころ大坂城には淀君と秀頼とが居たのでしょうか。
 今春は醍醐寺へ花見に行きましたが、伏見城と醍醐寺とは直線距離で4Kmですから指呼の近さです。
 辞世と言われている、難波の事もゆめの又ゆめ、は以前から好ましく思ってきました。秀吉の生涯を考えて見れば、ぴったりします。大坂城を難波に造ったのが一代の壮挙だったのではないでしょうか。

 そうでした、秀吉役の岸谷五朗さんですが、ずっと気に入っておりました。特に、若い頃と晩年とが人格変換をくっきりと演じておられて、感心でした。秀吉の「物狂い」を演じるのが、青年期から一貫していたのはすごいことです。


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↑醍醐寺

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2011年8月13日 (土)

小説木幡記:放射能を含めてわが祖国

Aadsc00059 京都の五山送り火が宗教行事なのか観光なのか、町おこしなのかはよくわからぬ。なんであれ、理屈じゃなくて人々の感性をくすぐる行事だから、穢れや失態やおぞましい風評が重なると、よくないと関係者の方達は思ったのだろう。

 岩手県の陸前高田市では、被災にあった松に鎮魂をこめてはるばる京都に送ってくださったとのこと。それを送り火関係者達は、最初は純粋の風評で、二度目はセシウムなんとかという放射性物質があるとかで、使うことを断念したとのこと。

 大文字や京都市の対応に、アメリカ映画でみかける感性をちらちら見た。よくある話だが、なんらかの汚染された町とか州を軍で封じ込めて、住人もろともミサイルなどで殲滅する発想だな。ホラー映画やパニック映画でよくみてきた。汚染なのかどうかは知らぬが、穢れや異物を我が一部とみなせず、あっさり切り離す外科療法に似ておる。ただし、脳が汚染されても、首までは切らぬ。そのかわり、脳の一部を切り出す感性もあった(ロボトミー手術)。

 京都の人や、送り火関係者は、かつてのまつろわぬ東北を、封じ込める気持ちが底辺になかろうか。セシウムは怖い。それがたとえば、銀閣寺の裏の通称・大文字山で燃やされると、鎮魂や観光どころか、末代まで放射能が地中に灰とまざって残り、悪評が立つ、とでも考えたのだろう。被災で心もずたずたになっている東北に対して、ものすごく冷淡なことだ。ご当地大切、風評嫌だということで、斯様な仕儀を断行したのは、いかにも京都らしい。もし宗教行事なら、そういう現世の辛さをのりこえて、一緒に背中に負うのが本道だろう。純粋観光だから、嫌だったのだろう。あるいは来年からは、まきをくべたりする送り火裏方に参加しない人が増えるからかな? 

 余は思った。
 そこまであれこれ冷徹にふるまって継承される送り火なんて、地獄の業火と変わらぬ脳。死んでしまえば、みな平等。なのに、京都では弔い送る気持ちさえ、「汚染された東北とはちがう」とでも考えておるのかな? あはは、笑止千万な考えで、京都の五山送り火は今年も来年も継承されるのかい。

 さて、余の近親者には被爆者がおる。
 広島(や長崎)の一木一草にいたるまで、穢れ汚染され、封じ込める対象だったのだろうか。
 おそろしい、魔女狩りだな。
 ああ、日本で狐憑きとか言って村の一部住人や地域を封じ込めた話。きっとその者や土地にはセシウムが蓄積されていたと、村人たちは考えたのだろう。京都の送り火関係者や京都人も、偉い科学者ですなぁ。

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2011年8月11日 (木)

小説木幡記:とりとめもなくブロッグ休みを繰り返しておりました

Adsc00015 おちついて物を考えたり、熟睡したり(最近は分割熟睡睡眠が多い)、物をよくかみしめて味わったり、幾人もの友達のことを深く回想したり、接した物語(小説、映画、芝居、体験など)の数々を想起し、その佳さをなんども思い出そうとするのだが、それを邪魔するように、こちゃこちゃと日々が慌ただしく過ぎ去り、落ち着きのない後半生じゃ脳。
 人生の華やぎは過ぎ去り老境が深く身にしみてきた、このごろじゃ。
 記憶が途切れ、目もかすみ、耳も遠のき、財布も軽くなり、いつもぼんやりしては、回りからせかされて遅い仕事に取り組んでおる。

 最近の成績管理はやたらと遅い。
 最近の会議の内容をほとんど記憶できぬ。
 教員の名前と姿が一致しない。
 学生に同じことを何度も問いただす(名前は? どこから来ている? 何年生?)

 若いもんら(研究者達)が書いた同業論文を殆ど読めぬ(なぜかは、言わぬ)
 学生達の書いたレポートを日本語として判読するのに数秒かかる。
 RSのアクセルを時速60キロ以上に踏み込めなくなった。
 近所のメシヤへ行っても素麺ばかり食べておる。
 卒業生と在学生との区別が付かなくなった。

 そうそう。
 文字はまだ読める。毎晩長大なSFを数頁ずつ読んでおる。
 帰路、宇治川沿いの京阪電車(江戸町付近)を撮している人達を車窓から眺めて(男性3人組。離れたところで女性1人(女性はカバンにでっかいペットボトルを入れておった。無謀な無帽だった))、あの男ら、昼日中から仕事もせずに京阪電車を撮しておるぞ、そんなんいつでも走っておるのに、あほちゃうか、と明晰な判断をくだすだけの客観的知力はまだ残っておる。そういえば、空の鳥もいつも飛んでおるのに、双眼鏡でながめるだなんてぇ~あははは。
 またメシヤでは素麺が三種類あることも正確に弁別し、日々、異なった物を食べておる。

 かくかくしかじか、余は老境なのか、観察眼が鋭すぎるのか、よく分からなくなった。
 さて、今朝も仕事じゃ。
 葛野の冷房は28度Cにしても、よく冷えるのう。寒いぞ。


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↑撮り鉄&鉄子らが京阪電車を撮しておった地点(2011年8月10の午後4時すぎ)

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2011年8月 9日 (火)

小説木幡記:真夏の深夜考・読書考

Amuimg_3726 昨日8日か、あるいは一昨日の8月7日ころを境にして立秋、つまり秋になっていくらしい。これは暑さ寒さも彼岸までの逆で、暑さのピークを迎え、しかるに時の流れでは以後残暑となり、残暑見舞いの季節なのだ。

 しばらく涼しい夏と思っておったが、昨日は肌が焼けるような思いに襲われて、食欲も急に減退した。睡眠だけはそれなりにとっておるが、今朝のように深夜に目覚め、水を飲み、野菜ジュースを飲み、ミルクを飲むと「暑さはこれからだな」と思えた。気持ちの上では大きな行事も終えて、あとは夏期論文や「お役所仕事」だけになった。だからミステリを読み直したり、録画映画を見直したりと、これはまた別の繁忙期に入る(笑)。

 文字を読む習慣が以前に比べて緩やかになったのは、若者達のように買い物に出歩いたり、旅行したり、漫画や映画やライブに浸るからではなくて、じっと物を考えている方が気楽になったからである。文字の小さいのが目に心地悪く、まとまった時間をとろうとすると、うつらうつらしてくるせいなのだ。しかしなお、若者達よりも読み込む量が多いのは、文字を読む事が楽しみの最たることだったことや、漫画や映画にくらべて、詳細だったからだ。特にミステリでは、叙述の仕方によっては犯人が丁寧に隠されて興趣が倍加した。映画だとシルエットで表現しても、声がなかなか難しい。映画の二時間拘束はしんどいが、小説の上中下三日間拘束には、途中食事や入浴もしやすくて快適だ。ところで、詩集は声に出して読むのが良いものも多いが、黙読した方が気楽だな。評論文や研究論文を漫画や映画でみるのは、辛気くさい話しだ。

 とこうおもっておるまに、朝になってきた。
 また眠くなってきた。
 もうひとねむりしょうぞ。
 極楽、ごくらく、……。

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2011年8月 8日 (月)

小説木幡記:夏の葛野日常

Amuimg_4622 夏期に入ってなにをどうしているかの細々しいことは記録に値しない。ただ、先週までの2週間ずっと「未来の図書館ジオラマ制作」を学生16名に授業してきた。そして先日土曜と日曜とは、夏のオープンキャンパス(OC:大学を高校生に公開する祭礼のようなもの)にかり出されておった。今週は盆までずっとジオラマ授業の最終週に入る。
 まことに。
 貧乏暇無し、夏期論文考察はどこへ行った?

 今朝は極早朝に目覚めたが(深夜とも言うらしい)、午前は薬受け取りに医院へ行く。なにか久しぶりの血液検査もあって絶食状態である。(機嫌が悪くなるなぁ)
 昨日、一昨日のOCを思い起こすと、例年とは趣向に変化があって、余は2回のミニ講義(高校生にそれらしい授業風景を体験してもらう)と、学生達主催の体験授業に参加した。合計4つのイベントだったが、~集客がままならなかった。ただ、それぞれの行事に関与した学生達(3~4名)の参加「体験」には寄与できた。

 要するに、集客があってもなくても、泰然として、定められた方法論に従って、気分よく事を進めていった、そういう感想がのこった。
 自分達や、その「先生」のやることなすことに関与して、拍手喝采があるわけでもないし、法外な収入があるわけでもないのに、お祭りの賑わいに溶け込んで、客のこない神社の裏で、もくもくと正しく商いをしているような、そういう哀感漂う妙な明るさを味わった。

 人は、人生に、いつも祭礼の中心で踊ったり御輿を担いだりすることばかりではなく、神社の裏でも店をはって、祭り全体の賑わいを高める経験をすることもある。物事の首尾とは、表だったことだけで判断できるものではない。客の来ないミニ講義は「先生」の至らなさというか、講義内容の人気のなさである。流行の中で現代にそぐわぬことも多くある。しかし必要なことを必要に応じて供給することも大切なのだ~。そういうことを体験することも人生なのだ(苦笑)。

 というわけで、祭りのあとは疲れるのう。日々午睡をたっぷりとって英気を養い、夏を乗り切ろう。午睡の大切さ、健康への影響は、日本ではあまり知られていないようだ。フランスの政治家ド・ゴールの伝記映画で、当時の英国首相・チャーチルが若きド・ゴールに「午睡しないと身体が持たず、判断も誤る」と諭していたのを思い出した。

付記
 午睡と似たことだが、ドライブ中の瞬間睡眠についてひと言。運転中の睡魔はだれにとっても気を付けなければならぬことだ。思い切って車を追突されない場所に止めて、寝ることだ。わずかに、5~10分の睡眠で、人の脳は再生する。恐ろしいほどの判断回復をもたらす。

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2011年8月 7日 (日)

NHK江(30)愛しき人よ :伏見城界隈

承前:NHK江(29)最悪の夫 :長姉としての淀君 

 六歳年上で過去に二度結婚し、娘も一人はいた江と、若い秀忠とがすんなりと本当の夫婦になるには一年かかったようです。なにかと難しい女性や男性の心の綾を、ともかく番組一度ですませてくれたことに深謝(笑)。こういう画面は苦手なのです。

 だれの心も二重三重にからみあっていて、単純なものではありません。仕方ないと思うより他ないのですが、場面設定としては、寝所を深夜抜け出した江が私室で昔の夫の形見に取りすがって泣き濡れて、そのまま寝入ってしまった様子を垣間見た秀忠も、しんどい思いをしたことでしょう。

 さて。
 伏見桃山城跡について、NHKの表現がわかりにくかったです。桃山御陵は明治大帝の墓所なのに、画面もナレーションもひと言も触れておりません。現在、模擬城がありますが、これは伏見桃山城跡ではないのです。そして秀吉時代、徳川初期時代と、伏見桃山城は再建されて規模や位置は異なるわけですが、現在の明治大帝御陵は、伏見桃山城跡に造られています。一番最初の城は、御香宮の南で、宇治川に近いところだったようです。で、結論は歴史の舞台になった伏見桃山城は、明治天皇御陵の位置にそびえていたと考えれば良いわけです。乃木神社はすぐ南ですから、徳川家康屋敷はすぐ近くにあったわけです。そこで、秀忠や江は新婚生活を送ったのでしょう(笑)。


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↑乃木神社、徳川屋敷跡付近

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2011年8月 6日 (土)

小説木幡記:古代と現代

Amuimg_5283 過去は取り戻せないが、過去は人としてある余の脳の中にのみ再現される一つの現実世界なのだ。この現実世界は、眼前にあるもう一つの現実世界とは、いつも異なってきた。どちらが住みよい、気持ち良いかと問われれば、過去の現実世界と即答できるほどに、現実から遠ざかった生を歩いてきた。

 話しが余一身を越えてくると、歴史に片足をかけることになる。歴史と言えば好みに若干の強弱があって、小学生ころから神話時代と人時代の端境に強く惹かれてきた。古代史と言えばわかりやすくなる。その場合、先端の現代人(笑)とは違って、露骨に地名や自然を眼前の現実に合わせるのが通例だった。

 わかりやすい事例だと。
 奈良県桜井市に三輪山があって、その近くから三輪山や西の二上山の風景を眺める。その風景は禽獣の眺める風景ではなくて、古典としての古事記や萬葉集、あるいは正史としての日本書紀によって描かれた風景である。だから一木一草、川、山なみ、すべてに歴史が宿っている。それは、必ず他の何者でもない、抽象的名辞ではなくて、固有の今そこにある三輪山であって、二上山であって、紀に記された大津皇子であって、崇神天皇でなければならなかった。

 そいう幻想幻視じみた体験の上で、初めて現実をみることができて、そして後日にそれを想起することができるようになった。だから、余の世界観は、見たままありのままという姿は金輪際なくて、過去の歴史や物語によって脚色された、実に人間らしい世界視なのである。

 そう思ったとき。
 また、世界の膜がはがれて、別の世界が眼前に立ち現れてきた。幾たびも幾たびも、その変化していく風景を眺めることで、余は生の充実を味わって来たのだ。

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2011年8月 4日 (木)

小説木幡記:狂乱の中でも心丈夫に

Adsc000211.走るチョコレートという表現を最近耳にした。ゴキブリのことだ。これを木幡書斎でも見かけたので、慌ててゴキブリサイナラグッズを部屋の隅にならべて。~ところが。居間の影にも置いたところ、猫ハルキ君が長い手をグニュと伸ばして、ゴキブリサイナラをちょちょちょと、掻き出してきた。あとはどこにおいても、猫ハルキ君が探し回って見つけてくる。まるで、白い大型チョコみたいな猫じゃね。

2.しばらく前にはやったらしいドイツ製の長編ミステリを読み出した。上中下の3巻文庫で、『深海のYrr』というのだ。書店棚には横に同一作家の『LIMIT』というのが列んでいたが、文庫5冊だったので、財布とバランスをとって上中下3巻にした。おもしろい。しかし、おもしろい理由を言ってもしかたないので、止めておく。ついでに、『ねじまき少女』上下も数日前に完読したが、じつにおもしろい。だが、これ以上作者や出版社をもうけさせてもしょうもないので、紹介は止めておく。

3.先月だったか、初秋9月に、第九回の炫火忌(かぎろひき)が京都であると、お知らせ葉書をいただいた。昨日出席の旨、返信した。なにもかもがあっという間の日々であった。何事もなしえなかった年月だが、それでもジオラマをつくるようになったり、写真を過去に倍して写すようになった。人は穏やかに変わっていく。変わらぬものが、炫火忌にはあった。

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2011年8月 3日 (水)

小説木幡記:不自由なのは、老いか気質か、それは分からぬ

Amuimg_6162 昨夕の産経新聞で、鈴木貴博という方の「仲間と自由は大切『ワンピ世代』:人気漫画の影響力」という文化欄記事をながめた。ここで、ワンピというのは、『ONE PIECE』という連載漫画の省略名のようだ。で、鈴木さんの話は、現代の若者が上代の壮年から理解されがたく思われている事情を解き明かす、コツについてであった。

 たとえば40代の人が、<世話になっている会社には勤め続けることが恩返し>、<無能上司でも年長者として一定の尊敬をしなければならない>、<電車内での化粧は他に不快感をもたらすので慎むべき>などと考えるところを、20代のワンピ世代なら、「他人が不快に思うことまでは配慮する必要はない。それよりも自分の考えること、信じることに縛られずに行動することの方が大切なのだ」と、考えているらしい。

 ワンピ世代は上代人からは「コミュニケーション能力の欠如」を言われるが、仲間うちでは実に細やかに通じ合っているらしい。これはケータイやスマホの駆使もある。マナー問題も、人前での化粧に対する節度は知っている。ただし、人前とは、「仲間や知り合いの前」という定義らしい。
 ワンピ世代は組織に属さず、仲間に属している、というのが鈴木さんの解読のわかりやすさだった。

 余は葛野キャンパスという20前後の若者(女子)の中で20年近くすごしてきたので、最近の風潮を、鈴木さんの解釈で読み解くことに、一種の爽快さも味わった。ただし、常に一定の留保はある。

 『ONE PIECE』なる漫画は知らないので、何とも言えないが(たぶん、絵もストーリーも、余の好みではなかろう、というのが長年の昵懇の漫画司書たちの解釈である)、TVなどでみるところでは人生を変えるほどの影響を受けた若者がたくさんいるらしいから、相当にインパクトがあるものと想像する。

 仲間と自由。

 で。
 仲間は大昔からあった。20代の前半とは、仲間との闘争、決裂を経験し、孤独を噛みしめる世代である。それを深く経験しないと、いつまでたってもガキのままの、思慮の浅い、人間にとどまってしまう。仲間内であそぶだなんて、そりゃ十代中頃のことまでだと思っておった。それが余の第一結論。

 自由への希求は大昔からあった。20代の前半とは、特に大学生活の豊かな現代はモラトリアム時代として、もっとも自由を活用できる世代なのである。しかるに、仲間と一緒にいるとか、仲間同士助け合うとか、仲間と密接なコミュニケーションをとるとか、チンケな仲間相手だけにつうじる常識節度に縛られて、自縛しているような、ものすごい不自由な世代だな、と思う。それが余の第二結論。

 ということで、天の邪鬼視点からすると、20代も上代も、不自由邪脳。
 なにかしら、今後は講義中に化粧する受講生が出現しても、冷たく言わないでおこうと思った。ただし、つかつかと寄っていって、「君、化粧が下手だね、あはっは」と自己表現するくらいの余の自由は持とう。あるいは組織人として行動しない若者がいたら、ぬっと顔を突き出して、「就活の面接では、不用意に、この会社で自由に働き、自由に休暇をとって、海外旅行します、だなんて言わない方がよいよ」と、くらいは言ってあげよう。そういう憐憫の情を示す自由は、余も持っていよう、人として(う、けけけ)。

 さて、一番不自由な男は、余であったなぁ、と長嘆息した。
 原因は、老いか気質か、それは分からぬ。

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2011年8月 2日 (火)

小説木幡記:30x60センチの世界:盆栽か箱庭療法か

Adsc00003 先週からジオラマ工作を指導しておる。今週と来週まで続くから、合計で3週間ある。しかし一人一人はその中から90分単位で15回以上、工作に参加すればよい。各人各様、期末なので受講科目の試験数や形態や、バイトや帰郷やその他で、時間をとるのは綱渡りのようだが、なんとかせっせと通ってくる。昨年は13名、今年は15名の参加だった。そのうち4回生の3名は昨年の継続で2度目の参加だった。

 ルールは単純にした。あとで接続して巨大なジオラマに成長させるモジュラー方式をとっておる。30x60センチ(厚さは2.5センチ)の基板上に、厚さ5センチの同型発泡スチロール(ないし、スタイロフォーム)を貼り合わせ、そこに56センチの長さのレールを一本敷く(長面から17センチの位置をレール中心とする)。それだけのルールで、各人が思い思いの未来の図書館や資料館、博物館で賑わう小世界を造る。曰く、海辺の図書館、曰く海底図書館、曰く駅前図書館~。

 全体工程は、地形作り、石膏保護、全体色噴霧、砂や色粉や植樹による整備。これを最短の場合、一日8:50~17:40までかけて、3日間がんばれば、一応の「小世界」が完成するように仕組んである。丁寧な人は倍以上の時間をかける。人、それぞれである。

 今年の工法で余が驚いた特殊なものがいくつかある。これは受講生達が独自に考え、あみだした手法だ。

1.単純さの美(日本文学4年)
 堅めのスタイロフォームに、噴霧タイプの水性アクリル塗料で、茶や黒や緑や他色を自然に混ざるように吹きかけて、それだけで基板完成。後は、色粉と、レール回りの砂による調整や、果樹園。単純さの中に絶妙の風合いがでてきた。

2.発想の逆転(臨床心理学4年)
 全体を5センチ底上げするのではなく、レール幅として5センチ程度の台座だけを通した。いわゆる築堤といえる。そして川や数カ所の色合いを、水性鉛筆で薄めていた。残余は色粉で調整をし、密集した植樹で森を造るらしい。これも単純さの美に通じる。

3.彫刻(日本文学3年)
 町全体を堅めのスタイロフォームから、カッターナイフ一本で彫り出す手法。これには驚いた。建物や水道橋や道路や教会や尖塔や諸々を、すべて掘り出す、発掘するような様式だ。ものすごい時間をかけておる。これがうまく行けば、積み上げ方式の立体化とともに、新しいジオラマ手法が確立される。

4.工作の神が宿る(日本文学3年)
 桟橋を造るのに、普通の紙を3ミリx10ミリくらいの小片にハサミで切って、これを二本の支柱に十数枚並べるのだが~。一枚ずつに紙粘土を薄くぬって、爪楊枝でいかにも「古びた板です」と見えるように筋をつけ、想像も付かない色づけで「木質感」をだした。これを貼り付けていくわけだ(衝撃だな)。

 以上のように、青春の20代前後は一種の天才性を瞬間的に見せることがある。どうやら本人達も気付いていなかったふしがあって、側でみている余は、昨年夏も今夏も、日々衝撃を受けてきた。おそらくそういう特別な才能は、大成することなく社会に、家庭に、日常に埋もれていくだろうが、その瞬間のひらめきを余は垣間見た。青年期とは無尽蔵な才能の浪費。それでよいのだ。

 まさしく、教師冥利に尽きる夏の初めである。

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