小説木幡記:台風前の夏疲れ
今日は授業も会議も学生面談も倶楽部行事もなかったので、休息すれば良かったのだが、細かなことや大きな雑務を思い出して早朝から葛野に出かけた。しかし、大きなことを朝一番にすませてしまうと、急にぐったりした。だから夕方も早めに帰路についた。帰路は嵐の前の不気味な雰囲気だった。そういえば、明日は台風上陸らしいので、おそらく休講になるだろう。だがしかし、それは補講する責務があって、さらに嵐であろうと電車が動いているかぎりは、会議がある、とのメルが入っておった(笑)。まことに、貧乏暇無しの日々であるぞ。
食欲はあるのだが、夏らしい疲れの中で脳がぼんやりしておる。原田芳雄さんが71歳でなくなった。ついこの前に、新聞で車椅子姿をみたばかりなのに、突然だな。そういえば、余も昔なら死に逝く準備をし出してもおかしくない年齢になってきた。暗いような、不安なような、解放のような、一切責務免除のような。ただ、この世におった余の思念も記憶も一切合切消えて気楽なような。そんなことを考えていた。うむ。あと30年も生きるとなると、ちょっと気が早いなぁ~とも思った。30年を退屈せずに生き抜くには、いろいろ予定を立てて、資金を稼いでと、なかなか忙しい。
LGBのGゲージは分解しやすかった。シュシュポッポと走行時に蒸気機関車の音をだすのが邪魔くさくて分解したのだ。独語の解説書をみても、さすがに第二外国語のせいか、音消しがなかなかわからなかった。そのうち、シュシュポッポが騒音になってきて、いらついたので、ニッパーで断線しようと思ったが、苛立つ気持ちを抑えて分解しだした。どこかでスピーカー線ごと引き抜こうとおもったからだ。あるいはスピーカーを外そうと思った。
さすがにドイツというか、余が比較的ドイツ的思考になじみやすい質なのか、分解はスムーズだった。「こうだろうな」と思ってそうすると、そうなったから、分解ストレスがほとんどなかった。日本の車両はどうも、ひっかかりが生じる。日本車輌分解時に、「まさか」と思うような仕組みはつかれるのう。
ところが。
LGBベテランなら大笑いするだろう。
完全に分解し終わったとき、キャビン(運転室)の中にスライド式の小さなスイッチが見つかった。実験すると、モータ停止、騒音(じゃなかったサウンド)停止、サウンド開始の三段階だった。なんのことはない、分解などせずに、まどから指をいれて、スライドを一区切り動かすだけで、蒸気機関車は無音で走り出した。
あはは。どうせ、どうせ、余のやることなすこと~、余の人生は、こんなもんさ。
書いている内に、だんだん疲労がましてきたので、そろそろ横臥する。また明日じゃ。ああ、明日は暴風雨なんだな。いやだね。
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