小説木幡記:穏やかな人生の中に時々風雨
余自身のことはもう良かろう(笑)。それよりも、一応ずっと穏やかな仕事生活をしてきたのだが、年に一度ほどは「おや?」と首をかしげる異常事に出会い、それが謎として残ってしまう。余が世間知らずなだけで、ごく普通のことかもしれないが、余がそういうことに気付かぬ事も多く、気付いたときには、ちょっとびっくりする。
1.ある学生の記念樹
数年前だったか、図書館で学生(当時4年生)が話しかけてきて、「京都市内にある研究所で、事務職の内定をもらいました」と笑顔で言った。目立たない学生なので、内心驚いた。そのころすでに就職は難しい時代だった。
それに、別学科の所属で、授業も数コマしか一緒にしていない学生で、個人的に話したこともない。余に話しかけてきたのは、よほど内定獲得がうれしかったのだろう、……。
数ヶ月後に突然数度連続で欠席しだした。おや? と思っていると、その学生のゼミ担当から「某をご存じですね? 実は入院しました。先生の授業を取っておきたいとの希望が強く、頼まれたので、お伝えします」とのことだった。
そして、数週間後。その学生が入院先で死亡したと、知らせが入った。
翌春、庭園を歩いていると、新しい小さな記念樹があった。銘板を見ると、その学生の両親が大学に寄贈したものだった。学生の名を読み確認し、余は落涙した。
2.教員達の突然消失
小さな大学だから、大抵の教員達はそれとなく、所在が分かる。というか、一ヶ月に一度は顔を合わすことが多い。委員会や教授会や、キャンパスや、階段の上り下り、エレベーターで。
あるとき、突然顔を見なくなった教員がいた。
余は、日頃はPCやジオラマ維持や、授業や、委員会責務や、要するに自分のことや仕事で頭がいっぱいだから、人のうわさ話が余の耳に入ることは滅多にない。裏返せば冷淡なんじゃ老化? 要するに、人の事はどうでもよろし、という酷薄なところもちょっこしあって、そのせいか、人の去就はまるで耳にしない。いや、していても忘れてしまうのかもしれない。
そこで。
学期途中でキャンパスから消えた。定年退職するような高齢者でもない。なにかしら気になって、近所の事務の方にうかがったら、「お辞めになりました」とのことだった。
それだけのことだ。
しかし、余はいまだに不審な思いがしている。
「大学を移ったとも聞かない。みなさんお若いのに、辞めて喰うて行けるのじゃ老化?」
3.いろいろ
この記事を書きながら、「そういえば、あれもこれも、いろいろ分からぬことが多い」と、思い出すことが増えてきた。しかし、このくらいにしておく。
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