小説木幡記:夏休みにと、ため込んだ予定の洪水
ついに2011年、平成23年の7月に入ってしまった。なにかしら感無量の、こみ上げる気持ち。カレンダーで夏の季節に入っただけなのに。小学生の頃には7月1日に、世間では海開き、山開きの祭典があった。山や海へ行くほど豊ではなかったが、心が浮き立った。「夏休み!」と。
考えて見ると大学を卒業して以来、ずっと大学キャンパスが仕事場だったので、夏季は大抵、回りが閑散となって、独特の味わい、シーンとなって、暑くって、みんな遊びに行って、自分は執務机や図書室や研究室で、ぽつねんと一人仕事していたような、そんなイメージ。そうだ、蝉の鳴く中、汗をかきながら、金田一耕助が岡山県の田舎を歩いているような、そんな感じだったなぁ。
口に出して言うのが口癖なら、脳で考えるだけなら脳癖とでもいうのだろうか。口癖も脳癖も、「この仕事は、もっと時間のとれる夏休みにしよう。今は手を付けなくてよかろう」だった。そうそう、余にとっては宴会や旧知往来も仕事の一種やから(そう思わないと、捨て置くと、書斎や研究室から一歩も外に出ない)、そういう寄り合いも必然的に7月や8月にたまってくる。勿論、お楽しみ読書も研究読書もすべて夏休みに!
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となると、必然的に、年間で最大の繁忙期がなんと、皮肉なことに、7~8月になる。これは要するに、怠け者の節句働き、と同じことだな。
そういうわけで、7月1日、そろそろ夏の忙しさが襲ってくる。それに比べると、これまでの日常は実に牧歌的な、のんびりした季節に思える、脳。
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