小説木幡記:書くことも無かったのだが~人生・二重螺旋
ただタイトルのような日もあるのだという確認を自ら取っておきたくて、筆とった。
昨日の悪しき点は、昼食用に買っておいた冷麺がまずかった、399円。どうみても、値段や造りの上からまずいはずはないのだが、劣悪な味だった。おそらくスープが悪かったのだろう、塩辛い冷麺なんて、初めてだった。本来は学食や近所に出かけるべきなのだが、昨日は早朝に2つ詰まった授業があって、返す刀(笑)で午後すぐに重い会議があったのだ。だから、昼食をゆったり外でいただく気力が湧かず、早朝6時半ころに往路のコンビニで買った冷麺だが、おお不味い。
で、悪しき点をいろいろ思い出したが一杯あって書ききれないし、それに負の人生を記録してもしょうもないことなので、止めておく。
対験として陽を記すのは後日後世にも役立つので思い出してみる。まず授業では、学生の発表がいくつかあって、それを聞いていてそれなりに調べたり頭を悩ませた様子がわかって、了とした。これは明らかに陽の記憶として印象深い。とくに森博嗣さん独特の作家論・そのニュアンスに、発表学生がそれぞれ自らの解や視点を定めているのが、感心感心。曽野ベストセラーには、学生独自の体験から解釈を深めたり、見方が発表者毎に違っていたのが、うむうむ、よいな。終了後、後期には、別の図書や案件について調べ直したいという意見もあって、ますます余は上機嫌になった。
午後の会議では、余の案件についてはよい結果が出そうになくて、いささか凹み意気消沈しかかったが、居室にもどりPC画面をしばらく眺め、文科省への提出書類を書き出したとき、大切なことを思い出してきた。余の人生は、失意が多かった(笑)。だがしかし、ほとんどの余の財産(精神的、人生的、もろもろの)は失意の中で、挫折の中で成長した。数え上げてみると、驚く程の失意の充実ぶりで、それと等価に充実の柱が立った。わかりやすくいうと、何事も最初は世間的にはうまく行ったためしがない。だからこそ、おもいもよらぬ他のことが急成長した。
事例として、余は若年時極端にある種の「お勉強」が苦手だった。社会にでてからもそのコンプレックスは相当に重症だったが、それを補完するようにプログラミング言語にのめり込みだした。20歳前半のことだった。後日、そのことで多くの危機を脱し(笑)、人生も変わっていった。
まだまだあるが、失意の連鎖と充実の連鎖とは等価の二重螺旋なので、両方合わせるとゼロバランスになり、るるここに記す事もない。ということで、人生、塞翁が馬は、あれは本当なのだなぁ、きっと。。
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