小説木幡記:あとになってさらに充実した読後感『異星人の郷』
異星人の郷
以前少し触れたSFだが、ネットで見ると2007年のヒューゴー賞(アメリカ)の最終選考までいって、結局賞はとらなかった。その時に受賞した作品が『レインボーズ・エンド』で未読である。受賞作の紹介をみていると、なんとなく未来のGoogle話のようだ~
さて、受賞作はそれでよいのだが(読むかどうか分からぬ)、『異星人の郷』がなぜ高名なヒューゴー賞を得られなかったかについて、今朝起き抜けに考え出した。
異星人と村の司教との間の会話や中世神学論争や、哲学論争、科学論争が実に面白いのだが、そのおもしろさは娯楽の域を超えていて、ときどき「難しい」と感じるところがある。また、当時の神聖ローマ帝国・皇帝とかフランスに無理矢理移されたローマ教皇とか、選挙(帝)候たちの動きとか、中世ヨーロッパの歴史はある程度その世界の下地がないと、複雑で分かりにくい(余は概略を知るだけなので、理解に難渋した)。そしてまた中世ヨーロッパと現代との重ねあわせは、雰囲気的に過去7割、現在が3割だが、最終章での重ね合わせは印象深く成功しているが、思い返すと「現代のことは、無駄だったな」と感想がこみ上げてきた。
要するに。
実に面白い作品だが、人々を楽しませるサービス精神においては、いささか欠けていた。いや、実はそういうところが充実感を残したのかもしれない。一般に、アメリカ風の、ジェットコースターに乗せられたような急展開作品は、昔ははらはらどきどきして読んだり、ハリウッド・映画化されると楽しんだが、いまとなっては、読後・鑑賞後の興に乏しく、カスカスしい慌て者の創ったっ作品として、興味がまるで湧かない。そういうものを求める読者達も、煩わしいと思うようになった。
だからこそ、『異星人の郷』は、貴重な作品だと、今朝、読んだ直後に加えて再度思った。我が国の小説も、そういう物を探して、読んでみたい。あるだろうか?()
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