小説木幡記:暴風雨? 一過
日本中いたるところで震災や台風被害にみまわれておる。幸にも余に縁のある宇治や京都市右京は、今回、痛手はなかったようだ。しかし大学は一昨日水曜日午前中に休講だった。いろいろ準備していた行事もあっけなく延期というか、ものによっては中止となった。学生あっての物種。学生が休講では、教員だけで踊れるわけもない(笑)。
さて。
休講の間なにをしておったかと、思い出してみる。台風の低気圧のせいか、一年ぶりに杖を使った。なにかしら膝頭がかっくんかっくんして階段の上り下り、長距離歩行がぎくしゃくしたのだ。痛み止めで治ったが、それからは苦虫をつぶしていた。痛いというよりも、「またか」という膝落感(しつらくかん:造語)だな。それと、一年以上使わなかった痛めどめによるぼんやり感、だるさ、しんどさだな。
そこでうろうろするのを諦めてどっかりとPC前に座って、「愚の無・上海」に励んだわけではない。おもむろにしかるべきフォルダーを開いてテキストや辞書を呼び出して、作業に入った。一冊の図書から抽出した重要と目される用語が約8000異なりあった。(異なりとは、度数を数えずに、どれくらいの種類の用語があったかを数える)この用語を先回は2000種類まで調べたので、その後、結果的に3000種までチェックした。残りは5000もあるが、ここで慌ててはならない。基本を丁寧に整理しておくと、後が楽なのだ。
チェックするとは言っても、高度な事ではない。用語の用字が間違っていないか、あるいは用例に変なところはないかどうか、そういうことを目視でチェックするわけだ。もう20年近くやっておるから(笑)、変なところは大体自然に分かってくる。
欄熟という用語を見ておやっと思って、爛熟と直した。
或いは、眞篇とあって、おや? と思ってテキストを眺めたら、眞偽だった。
この程度の事だが、順番に見ていく。
だから、一昨日は結局これを1000種類眺め終わった。途中会議や打合せや学生対応もいろいろあったが、まずは休講日、有効に使えた昼間だった。
そこで昨日。
朝一番から情報サービスという科目の班分けを行った。5人の関係助勤たちも早朝から来てくれて、一切合切滞りなくすませてくれた。これが終わってまたしてもがっくりした。これは失意のがっくりではなく、「山を越えた」ことのほっとしたことへの反動だった。
この班分けは後期のためのものだが、受講生も助勤(上級生による授業支援者)達も、余もけっこう神経を使い、班分け終了して、全員が一班ずつ島を造って大きな部屋に整列すると、ほっとする。
そういうわけで、午後に授業が一つあったが、それを終えると脳が白くなって、そそくさそ帰還し、暗くして横臥した。夕食をいただいた記憶はあるが、気付いたら朝だった。信じられないことだろうが、大学の先生が、授業が終わると心身疲弊し、ぐったりするのは、よくあることだ。
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