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2011年7月31日 (日)

NHK江(29)最悪の夫 :長姉としての淀君

承前:NHK江(28)秀忠に嫁げ :妄執

 少しわかりやすくなりました。歴史的には織田信長の姪で、浅井長政の三姉妹が豊臣、京極、徳川に嫁いだという事実がもとになっているわけですが、その間の女性に光を当てない通史だけだと、常に信長や長政や秀吉や家康や秀忠に目がいって、女性たちの動きをまるで年表の箇条書きのように読み捨てて終わり、というところがあったのです。

 しかし実際には、どれほど戦国の習い、女子の定めと、世間歴史の中で思っても、そんなに簡単に気持ちが収まるわけがありません。今夜も、まず「秀忠」に嫁ぐ気持ち、そして「完:さだ」という一人娘を豊家に残して嫁ぐ気持ち、とひと言ではすまないいろいろがありました。
 そういう微妙な人の心が、一応の成り行きの中で描かれていたのでよく分かったのです。

 途中ですが。
 秀吉の黒子のように立ち回る石田三成の動きも目を離せませんでした。特に、深夜に江を訪ねてきて二人が話し合おうとした場面で、突然淀君が入ってきて、三成が退散していった場面がどうにも、腑に落ちなかったのです。歴史的に、あるいは噂で、江と三成との間になにかの密約があった話は聞いたことがないので、これがどういう伏線なのか、今夜のところはさっぱり分かりません。あるいは、後世、「完」は藤原一門に連なりますから、そのような遠大な婚姻の話だったのか~わかりません。
 このごろ、苦渋に満ちた石田三成さんの動きや表情に目を離せなくなったのです。

 完(さだ)を江から引き離して豊臣の子として育てると言ったのは秀吉でも家康や秀忠でもなく、淀君だったという流れでした。その理由がよくわかりました。つまり、母(お市)が兄の信長を裏切ったことで、三姉妹はものすごい人生に見舞われた。完もそういう激しい人生を歩まぬようにするには、豊臣の血を引く娘として、(仮想敵国)徳川へ連れて行くのは止めた方が良い、という淀君の決心でした。
 もともとは三成の進言としてありましたが、それを淀君が長姉として、大所高所から判断したようです。

 今夜の見どころは。
 勿論秀忠と江との床入りの掛け合いも面白かったのですが、……。
 長い長い伏線の開きとして、家康自らが江に「嫁に来てくれ」「三の姫さんには宝がある」という口説きセリフでしたね。ドラマとしては、江が主役ですから、主役を引き立たせるカリスマ性というか、定められた☆が見えないと、物語が痩せます。今夜は、ちょっと「うん、江はそうだったんだ」と納得できました。

追伸
 それにしても次姉の初さんは、ほっとします。なにかしらユーモラスな役回りですが、関ヶ原前後からは、淀(豊臣)と江(徳川)をはさんで、初(京極)さんの働きがあるのでしょうね。期待しています。

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小説木幡記:一応の評価と真実

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 真実がどこにあるのかはよく知らぬ。知ろうとすれば人生を賭けるほどに勉強したり調査したり哲学したりする必要が生じるだろうから、……。それよりもおっとりと湯船につかっておる方がよい。
 さて。

 日本で一応の名が通った大企業は、戦後~現在にかけて、一応の成功を果たしてきた。この指標は「儲けた」という比較的明確なもので計れる。
 日本の官僚も一応の成功を収めてきた。狭い国土に密集した日本国民をともかく飢えさせずに、戦争も起こさずに、なんとかかんとか官僚主導の道を突き進み、汚職騒ぎとか、やらずぼったくり行政とまではなじられず、やって来た。(年金問題ではネコババ騒動があったなぁ)

 政治が失敗した。
 子供大臣達が子供の屁理屈をこねまわし、日本を泥の子供王国に、たった2年で変えてしまった。子供は純真らしいが野放図な狡さと、自分のことしか見ない自己中だとは、まともな大人なら分かっているはずだ。しかし2年前に子供王国建設に選挙で力を貸したのも、今の成人男女だったのだ。ツケは常にはらわなければならない。
 そして。
 一番の悲劇は、次の首相も次の政党も見あたらないことだな。こういう状況になると、歴史は、身売りを考え出す。要するに、自分達でやっていけなくなると、大国に心身を投げ出すわけだ。日本は中国か米国の属州になる可能性がある。なにしろ、自分達で国を統治出来ない状態になってしまい、「次」が全く見あたらないのだから。
 しかしな。
 中国だと、現在走っている東海道や九州「新幹線」に乗るのは命がけ、水杯(みずさかずき)をかわしての乗車状態になるし、税金逃れに税金以上の付け届けが必要になるしな。太平洋を挟んだ米国だと、アメリカ英語が国語になるだろうし、マクドとケンタとスタバしかなくなるし~。市民も刑事もやたらとピストルをぶっ放すし~ああそうだ、あそこは徴兵制の国だったな。覚醒剤や麻薬は安くなるだろう(邪笑)。
 ともかく、住みにく左派(さは)、さらに進むなぁ。
 諸君、長生きはするものじゃない、ぞ。


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2011年7月30日 (土)

小説木幡記:小松左京さんの死

Amuimg_6134 80歳で亡くなられた。ついさっきなにかの雑誌で語っておられたのを読んだところなのに、はかない。
 余は小松さんの長編を数冊よんでおるから、浅い読者と自認しておるが、その印象や感動や影響力の点では深い作家だった。
 どの作品からも理屈と情感とを味わうことができた。
 『果てしなき流れの果に』、『継ぐのは誰か』、『日本沈没』などが好みだった。他の長編、中編、短編と、こうして書いていると数冊ほどではなかった、けっこう、読んでおった。

 話したこともないし、日常も知らないのに、なぜかものすごい喪失を感じてしまった。
 もう、二度と新作を読めないという諦めや安堵感があった。安堵感は、旧作だけを読んでおればそれで良いという、後退した気安さだが、なんというか、小松左京という世界の中でのオリジナリティなどは味わいたくない、つまりお茶漬けの味を左京世界に求めたとき、奇想天外な新作がもうでてこないというのは、強烈な安心感なのだ。

 一般に若い人や、商売人は、新しいもの、オリジナリティのあるものを求めるが、そんなもの長く生きていると笑止千万な感覚で、すべてはすでにこの世にあって、ときどきそれを掘り出すという楽しみに比べれば、児戯に等しい楽しみ方なのだ。で、おそらく余の許容できる世界観、特に未来観においては、左京さんの中にすべてあるのだから、もうこの上は左京さんだからといって、無闇に新世界観を出されると、余の容量を越えて疲労が激しくなると言うのが余の持論である。

 言ってみれば、すでに左京さんは素晴らしい世界を造られたのだから、そしてその中の見慣れた情景、月次な風景の中で成長した余なのだから、これ以上に付け加える必要はどこにもない。それが左京さんへの弔辞、余の気持ちなのだ。

 小松左京さん。長い間、ありがとうございました。大兄と一緒に河内あたりの山中の古墳を一緒にのぞき込む機会は無かったのですが、いつか一人で大兄を忍びながら、古い日本の山河を歩いてみます。

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2011年7月29日 (金)

小説木幡記:スマホ一週間

0aimg_5166 がむしゃらにこなした一週間だった。気がつくと週末で、まだまだ、いろいろ。よく「にっぱち」とか言って、世間の業界では二月と八月とが暇になるようだが、大学業界ちゅうか大学界では、ニッパチ繁忙となる。

 とまあ、あれこれとニッパチ繁忙の様子を描こうと思ったが、余計に忙しくなるのでそれは止めた。
 「ねじまき少女」上下が終盤にはいったというのに、月曜から波乱の葛野生活で、夜間木幡読書どころではなくなった。
 ~
 というのに、こりないというか、昨夜に学科の納涼会があって、そこへいく途中にジュンク堂という書店があって、ついふらふらとはいったら、眼前の売れ筋書棚に「神器:軍艦「橿原」殺人事件/奥泉光(上下・新潮文庫)」があったので、読む暇もないだろうに、積ん読文庫が一尺(昔風の度量で、約33センチをさす)にもなろうというのに、新潮社や奥泉ちゅう人に儲けさせるのもいまいましいと思ったに、気がついたら札束を握りしめてレジに列んでおった。まるで、あたかも馬券買いのおっちゃんみたいに、文庫本と札束2枚も握って行列をつくるだなんて、ばかばかしい人生だよなぁ。

 と、会場の左近なんとかへ行ったが、だれもきていずに一人ぽつねんと座ったままだった。突然スマホがなり出したので、「あれうれしや、新品スマホに電話があるなんて」と思って、でようとしてが、爆笑珍事が起こってしまった。要するに、どうやっても電話を受信する状態にできなかったのだ。慌てて、かけ直したが、こんどは相手が話し中。
 要するに、余は、スマホでは電話を使えない自分に気付いたのだ。

 で、無事帰還したのは、九時半と速かったが、全身汗まみれになっておった。蒸し暑い夜に比較的長時間、夜の京都を歩き、電話のことで焦ったり、京阪特急に駆け込んだりしたせいだ。シャワーですべてを禊ぎした。

 とまあ、ゆるいというか、ぼけぼけというか、失敗の多い昨今だった。で、某左近店で眼前の先輩教授はすべてを「加齢現象でしょうね」と達観したセリフを吐かれた。
 暑い夏の一夜であった。

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2011年7月24日 (日)

NHK江(28)秀忠に嫁げ :妄執

承前:NHK江(27)秀勝の遺言:江の嘆き

 なんとも描きにくいので、今夜は自習とします。
 殺生関白秀次問題は、秀吉の大きな失政というか、めちゃくちゃな狂乱ですので筆にしたくはありません。あと、利休のこととか、朝鮮侵攻もです。これこそが、はためいわくな老醜というのでしょう。
 では、次週を楽しみに。

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小説木幡記:人に関わる行事

Aadsc00013 「人に関わる行事」とは妙な言い方だが、要するに、懇親会や見学会などを指す。今年になって、諸行事参加が絶えていたが、昨夕からスタートした。

近辺・教え子達の昨今
 昨夕は葛野に勤める教え子3名と一席持った。その者等はいろいろな、紆余曲折のはてに、葛野の住人になった。おそらく葛野に骨を埋めることとなろう。年齢は二人が同時卒業で、一人がややずれていた。話は、懐古となれば授業中のあれこれで、驚く程細かなことをよく覚えておった。近未来といえば、職責、職種、変化への不安、希望など、お勤めする人が誰しも味わう悲哀感や、あるいは安心感、未来設計話だった。余の結論は、万物流転だった。つまり、何事も変わっていくという真理を、余の言葉で話した。代わりに余は、死や定年の恐怖についてぼそぼそ言っておいた。やがて、その者等にも訪れる避けられないイベントである。

ジオラマ見学会
 さて本日は、午前から午後前半にかけて「自由課題:ジオラマ制作」に参加する者の内、日曜もうろうろできる現役学生達6名と、大きなジオラマを見学し、併設店舗で「未来の図書館」のためのパーツを買う行事が入っている。全員が非鉄子なので、ジオラマを見てもおもしろく無かろうが、これから平均して各人が一週間専念するジオラマ制作のイメージ訓練を兼ねての見学会である。巨大なものをみておくと、モジュラー方式で制作する全体像をつかみやすいと思っておる。各人のモジュールは30x60センチだが、これが一ダース以上組み合わされると、ずいぶんな大きさになる。
 ともかく、これから3週間、十数名の参加者は入れ替わり立ち替わり工作室に訪れて、初めての経験をこなしていく。今日はその旗揚げ公演というところか。それにしては初日公演が半数以下とは~入りが少ない。

身近なお付き合い:倶楽部と学科
 今週はさらに二度懇親会があって。
 一つは、葛野図書倶楽部2001の納涼会である。倶楽部最後の年なので感慨もひとしおである。夏の研修旅行は中止なので、倶楽部員たちとの大きな行事はこれ一つである。参加予定者は6名と聞いている。これは例年よりはほんの少し少ないだけだ。
 もう一つは、職場の懇親会で、これは何人くるのかよくわからない。欠席者が数名いると聞いたが、参加は助手さんをいれて二ダース弱だろうか。余もその他大勢組の一人として顔を出しておく。余は昨年入院したので、一泊かける学科の学生研修旅行などをほとんど欠席した。だから、不義理を重ねるのも、ここらが潮時と思ってな(笑)。

オープンキャンパス行事
 そうそう8月には、オープンキャンパス(OC)があって、いろいろな催し物を土日にキャンパスで行う。余も行きがかり上というか、成り行きで、二つのミニ講義をし、司書系学生達に二つの「実演」を頼んでおって、しかもなんとなく展示品には鉄道模型やジオラマを飾ることになっておる。これも結局、今年は葛野図書倶楽部2001が健在なのでそこに任せることができた。さて、来年は~。一人でする羽目になるのう。

 ということで、諸行事は息抜きどころか(笑)、血涙、血の汗がでるよな難行苦行なのかな? それはつまりこうした諸行事の合間に夏期論文も書くから、疲弊する。
 おお、夏こそ繁忙極致、貧乏暇無し。

追伸
 ああそうだ! 期末の採点業務がそろそろ始まることを失念しておった。
 なかなかに、辛いことはすぐに忘れてしまうのうcat

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2011年7月23日 (土)

小説木幡記:スマホ洗礼

Amuimg_6147 遅れた話だが、うまれてはじめてスマホなるものを手にした。頭金はゼロで、ポイントが6000点ほどあったが、総額は小型PCくらいの値段だった。それを24回分割にするらしい(~とひとごとのようだが、店のおねえさんがどのように説明してくれても、相変わらず、小型電話PCなどの価格体系はよく分からない)。

 「若い者らも、こういう買い方なのか?」
 「ええ、はい。二台使っている人もいますよ」
 「あほちゃう?」
 「いえ、それなりに使い方があるそうです」
 「なんだか、馬鹿馬鹿しい世界やね」
 「ふふふ」

 「この3Dちゅうのは、なんや」
 「はい、立体的に見えるのです」
 「ほんまか? SF映画のアバターみたいなんかな」
 「ただし、電池が消耗しますから、普通は2Dがよいです」
 「はぁ? それも、アホな話やな。一体、だれがスマホで3Dつかうんや」
 「さぁ~」

 「お客様は、携帯とスマートフォーンの違いをご理解されていますでしょうか。説明時間も変わりますので」
 「……」
 「では、少し長くなりますが、携帯とスマホの使い方からご説明いたします」
 「ちょ、ちょ、ちょと待った! そんなひまやない。要するに、スマホってPCなんやな?」
 「あら、よくおわかりのようで。はい、携帯できる小型のPCに電話やお財布がついたものです」
 「ほなら、ええわ。わし、実はコンピュータ技術者なんや」
 「はぁ~?」
 「アンドロイドでソフトを造るつもりなんや。電話なんかどっからもかかってこんし、メルも転送受け取りばっかりやし」
 「造るって、難しいでしょう?」
 「いや、iPhoneよりも造りやすいよ」
 「そうですか~、それなら説明はだいぶ省略できます」
 「そうしてくれ。サインはちゃんとするから」
 「はいはい。一番大事なのは、解約条項です」
 (と、ここで、さらにわけの分からない解約条項ちゅうか、利用者にとってはぼったくりみたいな契約の話をきかされた。ここで、もうやめた、というとスマホを入手できないので、はいはいといって、サインした)

 ~
 と、長くなるのでもう書くのを止めておく。
 次に変更するのは、おそらく4~6年後だろう。なんだかなぁ~。それでも今回は田舎で地図なんかをスマートに見られるかもしれない。それが楽しみだが。そうはいっても、以前もっていた携帯はワンセグに欺されて買ったが、結局総時間3時間程度かな、ワンセグみたのは。あはは。TVは家で見た方が落ち着くしな。

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2011年7月22日 (金)

小説木幡記:暴風雨? 一過

0aimg_4828 日本中いたるところで震災や台風被害にみまわれておる。幸にも余に縁のある宇治や京都市右京は、今回、痛手はなかったようだ。しかし大学は一昨日水曜日午前中に休講だった。いろいろ準備していた行事もあっけなく延期というか、ものによっては中止となった。学生あっての物種。学生が休講では、教員だけで踊れるわけもない(笑)。

 さて。
 休講の間なにをしておったかと、思い出してみる。台風の低気圧のせいか、一年ぶりに杖を使った。なにかしら膝頭がかっくんかっくんして階段の上り下り、長距離歩行がぎくしゃくしたのだ。痛み止めで治ったが、それからは苦虫をつぶしていた。痛いというよりも、「またか」という膝落感(しつらくかん:造語)だな。それと、一年以上使わなかった痛めどめによるぼんやり感、だるさ、しんどさだな。

 そこでうろうろするのを諦めてどっかりとPC前に座って、「愚の無・上海」に励んだわけではないaries。おもむろにしかるべきフォルダーを開いてテキストや辞書を呼び出して、作業に入った。一冊の図書から抽出した重要と目される用語が約8000異なりあった。(異なりとは、度数を数えずに、どれくらいの種類の用語があったかを数える)この用語を先回は2000種類まで調べたので、その後、結果的に3000種までチェックした。残りは5000もあるが、ここで慌ててはならない。基本を丁寧に整理しておくと、後が楽なのだ。
 チェックするとは言っても、高度な事ではない。用語の用字が間違っていないか、あるいは用例に変なところはないかどうか、そういうことを目視でチェックするわけだ。もう20年近くやっておるから(笑)、変なところは大体自然に分かってくる。

 欄熟という用語を見ておやっと思って、爛熟と直した。
 或いは、眞篇とあって、おや? と思ってテキストを眺めたら、眞偽だった。
 この程度の事だが、順番に見ていく。
 だから、一昨日は結局これを1000種類眺め終わった。途中会議や打合せや学生対応もいろいろあったが、まずは休講日、有効に使えた昼間だった。

 そこで昨日。
 朝一番から情報サービスという科目の班分けを行った。5人の関係助勤たちも早朝から来てくれて、一切合切滞りなくすませてくれた。これが終わってまたしてもがっくりした。これは失意のがっくりではなく、「山を越えた」ことのほっとしたことへの反動だった。
 この班分けは後期のためのものだが、受講生も助勤(上級生による授業支援者)達も、余もけっこう神経を使い、班分け終了して、全員が一班ずつ島を造って大きな部屋に整列すると、ほっとする。

 そういうわけで、午後に授業が一つあったが、それを終えると脳が白くなって、そそくさそ帰還し、暗くして横臥した。夕食をいただいた記憶はあるが、気付いたら朝だった。信じられないことだろうが、大学の先生が、授業が終わると心身疲弊し、ぐったりするのは、よくあることだ。

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2011年7月19日 (火)

小説木幡記:台風前の夏疲れ

0aimg_5263 今日は授業も会議も学生面談も倶楽部行事もなかったので、休息すれば良かったのだが、細かなことや大きな雑務を思い出して早朝から葛野に出かけた。しかし、大きなことを朝一番にすませてしまうと、急にぐったりした。だから夕方も早めに帰路についた。帰路は嵐の前の不気味な雰囲気だった。そういえば、明日は台風上陸らしいので、おそらく休講になるだろう。だがしかし、それは補講する責務があって、さらに嵐であろうと電車が動いているかぎりは、会議がある、とのメルが入っておった(笑)。まことに、貧乏暇無しの日々であるぞ。

 食欲はあるのだが、夏らしい疲れの中で脳がぼんやりしておる。原田芳雄さんが71歳でなくなった。ついこの前に、新聞で車椅子姿をみたばかりなのに、突然だな。そういえば、余も昔なら死に逝く準備をし出してもおかしくない年齢になってきた。暗いような、不安なような、解放のような、一切責務免除のような。ただ、この世におった余の思念も記憶も一切合切消えて気楽なような。そんなことを考えていた。うむ。あと30年も生きるとなると、ちょっと気が早いなぁ~とも思った。30年を退屈せずに生き抜くには、いろいろ予定を立てて、資金を稼いでと、なかなか忙しい。

 LGBのGゲージは分解しやすかった。シュシュポッポと走行時に蒸気機関車の音をだすのが邪魔くさくて分解したのだ。独語の解説書をみても、さすがに第二外国語のせいか、音消しがなかなかわからなかった。そのうち、シュシュポッポが騒音になってきて、いらついたので、ニッパーで断線しようと思ったが、苛立つ気持ちを抑えて分解しだした。どこかでスピーカー線ごと引き抜こうとおもったからだ。あるいはスピーカーを外そうと思った。

 さすがにドイツというか、余が比較的ドイツ的思考になじみやすい質なのか、分解はスムーズだった。「こうだろうな」と思ってそうすると、そうなったから、分解ストレスがほとんどなかった。日本の車両はどうも、ひっかかりが生じる。日本車輌分解時に、「まさか」と思うような仕組みはつかれるのう。

 ところが。
 LGBベテランなら大笑いするだろう。
 完全に分解し終わったとき、キャビン(運転室)の中にスライド式の小さなスイッチが見つかった。実験すると、モータ停止、騒音(じゃなかったサウンド)停止、サウンド開始の三段階だった。なんのことはない、分解などせずに、まどから指をいれて、スライドを一区切り動かすだけで、蒸気機関車は無音で走り出した。

 あはは。どうせ、どうせ、余のやることなすこと~、余の人生は、こんなもんさeye

 書いている内に、だんだん疲労がましてきたので、そろそろ横臥する。また明日じゃ。ああ、明日は暴風雨なんだな。いやだね。

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2011年7月18日 (月)

小説木幡記:納涼読書

Aadsc00061 20年前に兵庫県の山奥で単身赴任していたときは、金曜日の夕方に山奥を出て、途中のSAで大山牛乳を買って、夕食を木幡でとっていた。ちなみに職場復帰は、木幡を月曜の早朝6時出発で、向こうへは8時半の就業前に悠々たどり着けた。

 で、話は夏期がどうだったか、ということ。
 田舎だった盛夏(ママ)、夏期休暇も潤沢にあったので、10日間程度は木幡にもどったままだった。その間は、ほとんど読書三昧、ビデオ三昧だった。気持ちがよかったし、それで生きる活力を得ていた。喰ったり飲んだりはすぐに満腹になるが、読書やビデオは、頭がぼぉーとするだけで、なかなか満腹しない。

 で、なんてこったぁ。
 近頃は毎週そういう豊かな休日を楽しんでおるではないか。かえって夏期の方が繁忙とは以前のMuBlogで記しておいた。

 この土日に沈没していたのは図書海だった。映像は、最近はDVDで2時間拘束されるのが辛くなったせいかもしれない。読書だったらひっきりなしに珈琲や茶をのんで、随時手洗いに立って、冷水で顔を冷やしたり、居眠りしたり、時々HOゲージのディーゼル機関車を走らせたりと、自由自在なのがよい、脳。

 さて。
 何を読んだのか、読んでおるのか、積んでおるのか。そんなことは個人情報だし、余の勝手だが、そんなこというとblog文化は崩壊するし、MuBlogも無意味になる(そういえば、近頃アクセスがどんどん下降してきた。無意味さが知れ渡ってきたせいなのか? 読者も賢くなったfreedial

 というわけで雰囲気としては一昔前の流行というか、ワンテンポずれた趣向であるよなぁ。いやいやそういうところに滋味があって、江(ママ)も言えぬ恍惚境地に至れり。ariesaries。至福至福。

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2011年7月17日 (日)

NHK江(27)秀勝の遺言:江の嘆き

承前:NHK江(26)母になる時:江の過酷な人生

 江さんの嘆きを解釈したり理解するのは難しいので、今夕は書くことを控えます。
 (人の死は、以前から「諦め」で見てきたせいか、理解できない質になってしまったのです)

 また淀との間にお拾いが生まれたことによる、関白秀次の追い落としも、史上屈指の陰惨なお家騒動なので、これについても筆を費やすことを止めておきます。

 とはいうものの、お江さんの「鬱」による放心状態はリアルでした。
 お初さんも淀さんも、ガラシャさんも、お龍さんも、みなさんお美しいままです。


大きな地図で見る
↑関白秀次が治めた近江八幡

参考
  近江八幡と渡来人(MuBlog)

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小説木幡記:夏が来れば思い出す

Aaimg_0136 先日研究室近くのバルコニーに立って、眼下の日本庭園やテニスコートを眺めておった。地上から離れていないので、キャンパスを歩く者やテニス練習をしている学生が蟻には見えなかった。最近入手したLGB(Lehmann Gross Bahn:レーマンのでっかい鉄道)の1/22程度のフィギュア感があった。つまり、そこそこ大きく見えた。

 LGBの話は別の日にするとして、陽炎がゆらめく夏のキャンパスを眺めている内に、記憶の重層、多層記憶の既視におそわれだした。いつの夏か、あの日の夏か、この年の夏か、前後関係もいつの頃なのかもまるで分からず、ただ「そういうこともあったなぁ」という残像である。キャンパスが無人になったり人で溢れたり、水まきをしている人がいたり、書類を持って歩いている人がいたり、夏の集中授業の夕方、授業終了時なのか学生のかたまりが足早に門に向かっていたり。

 まるでいつのことだったか分からないのだが。
 ふと、高度の人工知能なら、こういう記憶をどんな風にして生育させればよいのか、と思った。高機能ロボットが夢を見れば完成だが、簡単に夢を見させるのは難しいだろう。特に季節感をもった独特の肌触り、蒸し暑さ、日差し、夕立のあとのすがすがしさ、~このような記憶を埋め込ませるのは難しい。

 だが、人もそんな風な、なんの役に立つかも分からないような世界認識の記憶の断片や、五感の肌触り湿り温度、まぶしさ、蝉の鳴き声、そんな意味のない外界情報の断片的記憶によって、ひとりひとりの人がまさにあの人ではなく、この人として立ち居振る舞いしていくのだろう。

 そしてまた、先日の余のバルコニーに立ち尽くしまぶしさに目を細めていた記憶も、余の余たる部分として余の記憶に織り込まれていく。
 ああ、またこの夏も、いろいろあって、取りこぼさぬように、気持ちをひきしめよう、ぞ。

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2011年7月16日 (土)

小説木幡記:対象情報世界の整理整頓

0aimg_5124 ある科目では、夏期休暇を有効に使えるように、七月のうちに仲間をつのってグループを編成する仕組みをとっている。事例では6~7人班を8つ組むので、総数50名以上の学生対象だ。

 この班編制については、様々な工夫を20年間近く経験してきた。最初は名簿の順番に切り分けてきたが、それが拙いことも分かってきた。だから数科目ごとに方法を変えるようになった。極端なのはおみくじである。事前登録制や、こちらで選んだ多様なテーマへのエントリー制や、班代表の事前指名制~。いろいろ経験した。

 で、いろいろやっておくと、学生達も仕方なく(笑)、班に帰属し、がんばろうとしてくれる。その気持ちを上手に消化できない学生は不満をもったまま青春を過ごす。気持ちの動きをどう制御するかも、学生の資質なんだろう。つまり、向くか向かないか、合うか合わないか、~ただそれだけのことだ。教師が諭す必要はない。「ほぉ、そうですか。それは残念」と突き放すのも教師の仕事。

 今年は7月に50数点のレポートから、8つのテーマが選ばれた。関係上級生(葛野図書倶楽部2001の助勤達)5名と余とで合議した結果だ。この合議に至る模様も実況放送すれば、以前どこかの政府であった、予算項目仕分けだったかな、それに似て阿鼻叫喚、怒号とびかい、ちゃぶ台替えしが頻発する激しい論議であったなぁ。

 数日たったあとも余の耳を離れないセリフは異口同音、どの助勤も余に反対するいい口は、
 「センセ、こんなテーマ、学生、誰もついてきませんよ!」
 今後数ヶ月間、6~7名の受講生達が調査し、まとめていくテーマだから、たしかに受講学生の好みに合うのは大切だが、そこで余と上級生達は大抵反目する、意見が異なる。余は極めて学術的なテーマを重くおもうが、その世界に偏りすぎると、最初の段階で挫折する班が多数生まれる、というのが助勤達の意見だった。

 たとえば過去、余が高尚な「邪馬台国問題」を扱ったレポートを選ぶと、歴代助勤達はほとんど反対した(笑)。余が極めて難解アカデミックな「鉄道図書館列車」テーマを選ぶと、全員が反対した。要するに、余が「良し、これは最高に良いテーマレポートだ」と思うものは、ことごとく否決されてきた、長い歴史がある。

 現実でのすりあわせは必要だ。
 お互いが強権をふるってもだめだし、怒声で相手を威圧してもいけない。相互に恨みの残る方法は佳くない。ということで、余が5名の助勤達に妥協したテーマは、以下の8点であった。
 さて、この複雑怪奇な情報群が整理整頓されて、レファレンスブックとなるのは年末年始だ。どんな結果になるのだろうか。

1:ジョジョの奇妙な冒険 第3部についてのレファレンス
  いつ終わるかよくわからない漫画があるそうだ。ジョジョという家系を扱った巨大漫画を、第3部限定でまとめるとのこと。
2:マオリ族の刺青
  ニュージーランド國のネイティブ文化を整理整頓するとのこと。そこでの「刺青」は文化の表れらしい。
3:攻殻機動隊~登場する多様なキャラクターのゴースト~
  甲殻ではなくて、攻殻と書くらしい。機動隊とあるが、警察小説ではない。キャラのゴースト、と言われても~。
4:作家西尾維新の作品について
  幕末維新のことか、あるいは現代関西の政治組織のことか、と思ったが、そういう実在作家がおられるらしい。東野幕末とかいう作家もおるかもしれんのう。
5:蝶と蛾の違いについてのレファレンス
  蝶のような女、蛾のような女、~。そういう話ではなさそうだ。蝶と蛾って、どう区別するのだろうか?
6:日本の海藻について
  海藻シャンプーの事ではなさそうだ。余は海底二万マイルという映画や小説で、海藻好きになった。
7:宇賀神について知りたい!
  古い神さんがおられて、秦氏(はたうじ)とか伏見稲荷とか、まるで銅鐸銅剣の分布と同じで、神さんの分布があるらしい。
8:妖怪について
  どういう妖怪を扱うのかまだよく知らないが、夏休み中には決まるのだろう。

 ということで、今年も、受講生や助勤たちにとっては、暑い夏になりそうだ。屯所には、ジョジョが山積みされて、攻殻のDVDやBDが散乱し、嘘入れ墨がはやって、維新倶楽部ができて、~蝶か蛾のような大明神が長い髪に海藻を巻き付けて妖怪じみた踊りをするのかも~暑くって長い夏だぁ。

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2011年7月15日 (金)

小説木幡記:東西南北を見つめて充実した引きこもり

Amuimg_6175 滅多に旅する身ではない。しかし東西南北のどこか近くへ走ることはよくある。主に自動車RSだが、鉄道もよく使う。まれにしか乗らないのがバスやタクシーだ。バスは路線がわかりにくく時間も定かではない。タクシーは距離に比例するはずの運賃がよく分からない。たとえば停滞に遭うと料金加算があるが、あれはサービスの減少(時間遅れ)だから、むしろ料金を減算すべきだ。で、東は滋賀県の大津市や近江八幡。西はせいぜい神戸が限界、ときどき近くは大山崎あたりまで。南は奈良市、桜井市、飛鳥あたりまで。北は、坂本や高島市や長浜まで。それが余の東西南北だ。

 今夜は八坂神社、祇園祭の宵宵山にあたる15日だが、どうにも今夕の京都市内を想像すると出かける気にはならない。暑さとか疲れとか、そういうこともあるのだが、逆にせっかく京都にいるのだから見ておいた方が良い、とか、ちゃんと出歩いて足腰をきたえて、気を紛らわしたり好奇心を充足させるのが良いと、いろいろ心中はまだ+-正負で拮抗しているのだが、結局、自宅木幡を冷房して暗くしてぼんやりするのを選んでしまっている。

 引きこもりがだめなのは、病的になるからだと勝手に思う。本人達はきっと苦しんでいるはずだ。しかるに余は暗くして寒くすると、うっとりぼんやりしてきて、猫君みたいに横になって目を閉じていく。
 逆にこういった闇に溶け込む時間がないと、イライラが生じ、怒りっぽくなって、いろいろミスも発生する。余がたびたび描く余自身の引きこもり、つまり闇への溶解は、きっと治療の一種なのだろう。

 さて、電気を消そう。

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2011年7月14日 (木)

小説木幡記:島田荘司と京都

0aimg_5256 最近島田荘司の『追憶のカシュガル』を満足して読了したことは、記した。この図書は「タイトル買い」したのが発端だった。何故そうしたかを今から思い出すと、帯だった。そこに「京都大学北門前の珈琲店~」とあって、タイトルの横には<進々堂世界一周>と大きくあって、目を惹いた。

 実は。この喫茶店はお気に入りなのだ。(MuBlog記事

 まず「追憶の」という独特の節回し(笑)、修辞にころりと欺された。それと、カシュガルという名称も、ニューヨークやパリや東京よりも、現在の余を惹きつける。<追憶の東京>だと、あんまり心おどらぬ。
 この、ちょっと気取った書きぶりと分かってはいるが、わかってはいてもついふらふらするのが人のならい。追憶の嵯峨野、追想の嵐山、追想の葛野物語~と、いろいろ将来書いてみたいタイトルじゃないか、君ぃ~。だからこそ島田先生が書かれたことにショックを受けて、ふらふらと買ってしまった。

 タイトル設定は、なかなか大変だと痛感した。
 そういえば、森博嗣先生も新書で、「タイトルを決めるのに数ヶ月かかって、決まるまでは書けない、書かない」という意味のことを書いておられた。

 さて、もちろん次は何で「進々堂?」、という喫茶店だが、もう、こうなると自分の小説を書いた方がよいので、言及はしないでおく。ただ、島田先生の作品は結構何冊も読んでおるが、最初に読んだ占星術で、西京極近辺が舞台になったような(疑)記憶があって、そのとき以来、「島田先生は、京都と縁があるのかな?」と、ずっと頭の片隅で考えてきた。

 それが。
 今回は、おおきく、はっきりと、嵐山まで舞台になっているではないか。カシュガルがなぜ嵐山? それは、あはは、ネタバレになるから書かない、言わない、読んでのお楽しみじゃね。

 ということで、ますます島田荘司と京都の関わりが気になってきた。島荘研究読本でも読めば、あるいは長編を読み返せば回答があるかもしれないが、なにしろ日曜読者なので、そこまで研究体制には入れない。ここは、想像として、たぶん島荘センセは京都がお好きなんだろう、程度にとどめておこう。

 まあ、気にはなるが。

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2011年7月13日 (水)

小説木幡記:滋賀県の諸都市

0aimg_3925 昨日、授業科目の都合で複数科目の関係学生の中から、ある種の役職(つまり役割)を負った学生十数名と、朝から夕方まで面談・面接というか査問(笑)というか、ともかく話すことをした。夕方六時半を過ぎた頃には、どっと、疲労が滲みでた。

 で、隣県の、滋賀県出身者が多いのでときどき、どのあたりから大学に通っているのかを聞くことがある。一応頭の中で地図を浮かべて話しをするのだが、途中で行き詰まってしまう。
 今朝、地図をみてみた。
 すると、ある縮尺にすると、「市」だけが浮かび上がり、それを列挙すると、大体次のようになる。出発地点は大津市にした。方向は湖南である。

                     →(東北)→守山市→野洲市→近江八幡市→東近江市→彦根市
 大津市→(東)→草津市→栗東市→(東南)→湖南市→甲賀市

 これは言葉で記すよりも、地図で見るとよく分かる。

大きな地図で見る

 ただそれだけのことだ。
 しかし地名を聞いたり見たりすると、行ったところ未知のところ織り交ぜて、風景が浮かんできて愉しい。
 隣県だから名神高速道路はよく使うが、鉄道にのらないと見えないところが多い。あるいは徒歩でうろつかないと本当の姿が見えてこない、……。住んでみないことには。と、なってしまうので、元にもどって地図を眺めている。

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2011年7月12日 (火)

小説木幡記:あとになってさらに充実した読後感『異星人の郷』

Mudsc00004 異星人の郷
 以前少し触れたSFだが、ネットで見ると2007年のヒューゴー賞(アメリカ)の最終選考までいって、結局賞はとらなかった。その時に受賞した作品が『レインボーズ・エンド』で未読である。受賞作の紹介をみていると、なんとなく未来のGoogle話のようだ~

 さて、受賞作はそれでよいのだが(読むかどうか分からぬ)、『異星人の郷』がなぜ高名なヒューゴー賞を得られなかったかについて、今朝起き抜けに考え出した。

 異星人と村の司教との間の会話や中世神学論争や、哲学論争、科学論争が実に面白いのだが、そのおもしろさは娯楽の域を超えていて、ときどき「難しい」と感じるところがある。また、当時の神聖ローマ帝国・皇帝とかフランスに無理矢理移されたローマ教皇とか、選挙(帝)候たちの動きとか、中世ヨーロッパの歴史はある程度その世界の下地がないと、複雑で分かりにくい(余は概略を知るだけなので、理解に難渋した)。そしてまた中世ヨーロッパと現代との重ねあわせは、雰囲気的に過去7割、現在が3割だが、最終章での重ね合わせは印象深く成功しているが、思い返すと「現代のことは、無駄だったな」と感想がこみ上げてきた。

 要するに。
 実に面白い作品だが、人々を楽しませるサービス精神においては、いささか欠けていた。いや、実はそういうところが充実感を残したのかもしれない。一般に、アメリカ風の、ジェットコースターに乗せられたような急展開作品は、昔ははらはらどきどきして読んだり、ハリウッド・映画化されると楽しんだが、いまとなっては、読後・鑑賞後の興に乏しく、カスカスしい慌て者の創ったっ作品として、興味がまるで湧かない。そういうものを求める読者達も、煩わしいと思うようになった。

 だからこそ、『異星人の郷』は、貴重な作品だと、今朝、読んだ直後に加えて再度思った。我が国の小説も、そういう物を探して、読んでみたい。あるだろうか?(cat

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2011年7月11日 (月)

小説木幡記:夜間室温31度とは

0aimg_5772 午前4時ころに室温をみたら、31度cだったので、慌ててクーラーをいれて窓を閉めた。熱帯夜は、余はまだ耐えられるが(高齢者の脱水症状が怖いがのう)、ハルキ猫君が寒いノルウェー原産やから、ここ数週間かわいそうでならない。ノルウェーの森なんてきっと夏がなくていつも氷点下世界なんじゃろう。そんな中で女王さまの橇を引っ張っていたというハルキ猫君のご先祖は、耐寒性は高度でも、耐熱性はないと想像しておる。

 とは言ってもここは日本。少しは慣れてもらわないと困るわけやが、それにしても深夜極早朝に30度cを越えるとは、難儀な日本になってしもうた。宇治川が近所なので、その気化熱からしても、もう少し低くてよかろうが、ほとんどの家が深夜にクーラーを稼動させておると、その熱は相当なものとなり、およそ人の住まいするところ近辺は、温度が数度高いのかな。

 ただし。
 余は比較的汗もかかず、暑さも寒さも、口でいうほどこたえてはいない。それが近頃は世間で、体温調整鈍さの証として、危ないといわれておるが、幼少期から冷暖房の洗礼を受けていぬから、四季とはそういうものだ、と身体に刷り込まれているかもしれない。そして、比較的身繕いには無頓着で、夏も冬も不自然な服装は無意識に避けていた。たとえば小泉首相が政界に生まれる前から、夏のネクタイなんて、想像を絶するバカ話だったし、冬はジャンバーを着たまま机にかじりついておった。

 よく、服装で人を鑑定する人が多いが、それは正しい。ただし、余はまるで逆の判定する。真夏のスーツ姿をみると、瞬時に「このバカ」と感じ、次に「そこまでクーラーをガンガンにして身繕いしないと、世間で生きられぬか、ふん、弱い男よ」と、顔には出さず目で語りかけてきた(爆)。
 ただし、例外もある。
 福田恆存(ふくだ つねあり)という文藝評論家が、真夏でも黒っぽいスーツを着ていた姿は、実際にも三輪山で見かけたが、この先生の生き方からすると、それでよし、とうなずいた事例もある。こういう事例は世間に合わせてじゃなくて、ご自身に合わせてとなるから、どうであっても自然よのう。

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2011年7月10日 (日)

NHK江(26)母になる時:江の過酷な人生

承前:NHK江(25)愛の嵐:狂乱の秀吉

 今夕、新婚まもない江の夫・豊臣秀勝が朝鮮で病死しました。江には一人娘が残されました。
 さて、江のこれまでの生涯を思い出してみますと、名門に生まれた故か、あるいは当時としても、名門の娘さんとしては珍しいのか、その前半生は過酷でした。

 生まれ落ちてすぐに父の浅井長政は織田信長と後の養父の秀吉に攻められて、殺されています。十代には母や姉たちと世話になっていた伯父の信長が、本能寺で殺されています。そのすぐあとには、実母の市と義父柴田勝家とが、秀吉に攻められて自刃しています。さらに秀吉の養女になったとたんに、嫁がされ、すぐに秀吉の命令で離縁されています。そして今夕、新しい夫は娘の顔を見る前に、戦病死しています、……。

 いずれも天寿を全うしたとは言えない死であり、江はそれを間近に見て育ちました。物語なので確かではないのですが、心の師と仰いだ千利休も切腹死しています。

 他人事ながら、壮絶な前半生でした。その上まだ、実姉の淀殿は後に、江の甥の豊臣秀頼ともども、大坂城で自刃するわけです。攻めた側の中心人物が義父の家康で、江の夫はその跡継ぎの秀忠でした。~なんとも、すさまじい。

 今夕のみどころは、関白秀次でした。俳優は「北村有起哉:きたむら ゆきや」さん。この関白秀次に関して、これまで俳優という実身には一度も言及しませんでしたが、弟の秀勝の死を、江に知らせに来て、そのままへたり込み泣き出す姿は、良かったです。役者です。というか、NHKの大河ドラマ・配役布陣や、親の意見となすびの蔓は、万に一つの無駄もない、と痛快に味わいました。大河ドラマ参謀本部は、一体どのような高次元・役柄設定・人工知能データベースを背後に隠し持っているのでしょうか(笑)。

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小説木幡記:鉄道模型世界の近況

Amuimg_61700 序論
 最近MuBlogでは、鉄道模型記事が減少しているが、実際には毎日関係雑誌を渉猟、手も動かし、ネット記事も探しておる。ただ、現実の話として、昨年と同じく夏期自由演習の形式でLC
(LC:ラーニング・コミュニティ:アカデミズムとは少しずらしたところで、単位は出ないが、正式な授業を構成し、学部学科学年を問わずに、自由参加する:予算もあって、考えようによっては教員も学生も、もっとも充実した演習となる(笑))
「図書館情景ジオラマの制作:未来の図書館」を主催しているので、その準備に追われておる。また、関係内容はオープンキャンパスでミニ講義もJK達にすることになっていて、それら準備のために、余の実時間の多くが鉄道模型世界にさかれておる。

 ということで心身が鉄道模型世界で一杯になっておると、逆にMuBlog記事が書けなくなると言う皮肉な現象に自笑しておる。この夏は定例の夏期論文『戴冠詩人の御一人者/保田與重郎』や、このジオラマ関係催しや、その他もろもろあって、実は夏休暇が一番繁忙となる皮肉な実情は、以前にもしるした。おお、そうだ。もう一つのミニ講義では、これまたJK達にiPad世界を広めることにもなった。Apple思想が最良とは思わぬが、おそらく常軌を逸した設計理念に振り回されたケッタイな会社と史的には記述されるであろうが、そのよい面だけを抽出するならば、十分に素晴らしい革新性を持ったマシンであった。だからそれを、軽い(屁)理屈とともに講義するのも悪くは無かろう。と、これも単位無しの、正式講義ではない!

 じゃ「Mu先生は、単位の出る正式な授業があるのですか?」と、聞かれる前に言うておく。ある、それが、あるのじゃ。くさるほどある。もう、ええ加減にせいよぉ、と言うほど日々授業に追われておる。あんまり沢山なので、食傷気味というか、講義しながら居眠りするという軽業ができる(嘘)。人間とはだれしも天の邪鬼なところがあって、思いや気持ちや準備時間配分は、かえって、単位も出ない、当然卒業必修単位でもない、ジオラマ制作授業に没頭することになる。これは、いままでの人生でも経験したが(注:PC黎明期の、本務から大きく外れた研究開発~これが後世の本務となってしまった。あはは、とすると、余生は)、不思議な現象じゃのう。

 ああ、またしても長い前振りとなってしまった。余の記事は、どうにも序論が長すぎる。序論97、本論2、まとめ1の割合じゃ脳。

1 本論
1.1 Gゲージ
 線路幅45mmの、ドイツ系のLGB(現在は復興メルクリンの一部門のようだ)社が昔提唱した大型模型で、最近ようやくLGB製品が輸入されるようになった。この数年間は、どこで入手するのかさえ不明瞭だった。
 最近スターターセットを手にしたが、いや、大きい、重い。これだと、模型として、書庫やデスクのわかりやすい図書館列車を造ることも可能だが、どういう風にレイアウトするかは、最小直径が1.3mにもなるから、前途多難である(普通の、80x160cm大机に載らない)

1.2 HOゲージ
 余もだいぶなれてきて、DCC(PC制御)はこの線路幅16.5mmで、縮尺が大体1/80~1/87のHOゲージが主流になってきた。というのも、半径43センチレールの入手や、さらにそういう規格レールと規格レールとを、自由折り曲げレールで接続する方法論も会得したから、レール・レイアウトの自由度が高まったこともある。全部自由レールにするのが本格世界とも考えられているが、規格と自由とを自由接続する自由も、方法論になれると実に気持ち良くなる。
(そういう意味では、KATO+フライシュマン+自由レールとか、次のNゲージでは、TOMIX+KATO+自由レールとか、……自由世界は風通しがよろしい)

1.3 Nゲージ
 レール幅9mmのNゲージが車両やレールを含めて、余の最大実勢力である。また世間でもそうだから、慣れてくると比較的、どんな軽業もできる世界である。ただ、NゲージでのDCC化については、これは投資から外す。数両やってみて、KATOのDD51などは実に簡単にDCC化出来るが、他は、マニアでないと無理が生じる。
 余はマニアに見られがちだが、すべてはまともな素人の目で見て行動してきた(笑)ので、マニア世界とは関係を持ちたくない。
 ただし。
 「図書館情景ジオラマを造る」で学生達を指導しているのは、1/150~1/160スケールの、このNゲージを元にしているので、たとえ非鉄女子がいても、全体構成はNゲージ世界での地域模型を造ることにしている。そこにレールを一本引いても、非鉄女子にたいしては、現実の一要素、としか指導しない。そこをどんな列車が走るとか、そういう話は、できるだけしないようにしておる。
 要するに、地域全体を、モジュラー方式でジオラマにするには、1/150程度が一番造りやすく、建物や樹木などのパーツも入手しやすい。

1.3 Zゲージ
 止まっておる。線路幅6.5mm、スケール1/220は、極精密模型としてもっとも期待するところだが、今はまだまだ時期尚早の感じもする。最近も半径10センチ以下のレールセットを買ったが、そこを走らせるZゲージ列車を入手出来ていない!
 ただし、以前長浜のフィギュア恐竜博物館で見た木枠の中の古代恐竜ジオラマを見た感動が忘れられない。当初はTゲージというもっと小さいものを考えたが、今では、Zゲージが普及し出す様子なので、新・メルクリンや、銀座の天賞堂や、ロクハンという諸メーカーのZゲージ普及促進にかけて、いずれ30センチ立方「木箱図書館風景」を創り滞納。

2 まとめ
 日本で鉄道模型愛好者は、男性が多く、100万人程度はおろうか。
 しかし、その中で、DCC志向やGゲージ志向は、さらに1/1000を下回るだろう。
 余はじっと考えてきたのだが、どうしてDCCやGゲージが進まぬのだろうか。理屈の上では圧倒的によい面が多いのに。

 @DCCを小難しく考えすぎ。列車一台一台を制御するという自然さをもっと知ってもらいたい。
 @特に輸入物が、高額すぎる。それは普及度が低いからという悪循環。
 @GゲージでもHOゲージでも、規格レールが貧弱だな。最小直径が80センチ以内のものが必要。
 @図画工作で、ジオラマ制作の基礎をもっと普及させておく。ジオラマは立体絵画なのだから。

ではまた

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2011年7月 9日 (土)

小説木幡記:心に自由や柔軟さをとりいれたい

0aimg_5978 たとえば今朝、午前4時頃に起床し、書斎の戸を開け、外で待っているハルキ猫君と冷蔵庫前まで行き、鰹節をひとつかみあげて、日課の一つを果たした。バター&蜂蜜トーストやゆで卵をもくもくたべて、茶を飲んで、分けのわからない薬を飲んで、ときどきベッドにもどり部屋をくらくして10分、15分と横臥して、起きて五時を確認し、玄関ドアをあけて新聞を入れて、逆にハルキ猫君が朝風浴(新語:あさかぜよく)をできるように、ドア開放をした。日課の二つ目だった。

 さてそこからが今朝の問題、課題、難題だった。
 余の土曜日は大体責務免除である。要するに横文字カタカナで申すと、オフ日だな。なにをしてもよい。葛野へ行って工作するもよし、たまった校務をさばいてもよし、木幡で横臥してSF三昧もよし、町にでても、遠方へドライブしてもよし、水無瀬神宮、貴船神社、岩屋、久しぶりの天理・石上神宮、あるいは高野山、……。RSは速いからどこへでも行ける。常時昼食用に一万円くらいは財布に入っておる(微笑)。日曜作家してもよし、もちろん日曜評論家、日曜工作者、プログラマー、……。なんでもできる。もう、高齢じゃから、アルバイトも婚活も就活も勉強もせんでよい、この気楽さ。

 ああ、それなのに。
 それなのに。
 おそらく結局、ぼんやりと、TVをみるでもなく読書するでもなく、妄想にひたるでもなく、ドライブするでもなく、ただたそがれて、ぼんやりと横臥して夕方になって、夕風呂にはいって、たぶん、午後9時頃には熟睡しておるじゃろう。

 こういう状態を以前は、単純に「出不精」「じゃまくさがり」と、解釈してきたが。
 今朝思った。
 もしかしたら、余は重度の「引きこもり症」ではなかろうか?
 いや、きっとそうにちがいない。
 ただ、症というからには病の一種なのじゃろうが、これほど落ち着いて、気持ちの良い、気楽な病も他になかろうな。うむ。

 いや。
 これが自由というものなんだろう。

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2011年7月 8日 (金)

小説木幡記:次の気楽さ(笑)

Mudsc00013 長く20代の青年たちと仕事というか、大学で一緒に過ごしてきた。
 そこで最近の感慨だが~。
 ながくにやってきたことだから、随分年季も入って手慣れたところが多い。しかし昨今の大学は教員が教育・研究以外に膨大な責務を抱えているのが実情である。

 ある意味で教職員は、おぼれかけているともいえる。
 話変わって最近も年金の書類をそろえたり書いたりして思ったのだが、これほど複雑怪奇なシステムを一体だれが考えたのか。そいつらは頭がよいというよりも、よほど暇で、することがないから限りなく複雑にしていった、そして人智を越えたバグの応酬に直面し、ますます複雑にせざるをえなかった、と思ったところだ。つまり、そういうシステムを作る者たちを賢明なエリートと思うのは、後進国なんだな。要するに仕事をするために仕事をつくるという、~まあ、よかろう。

 そういうもんだ(呵々大笑)

 最近の大学の教員仕事も、なんとなく年金事務所の複雑怪奇な事務処理をこなし、我々に要求するシステムに似てきているな、と長嘆息した次第である。ああ、我々教員が年金事務システムみたいな教育システムを動かして、対象学生達を間尺に合わないシステム要件~と嘆いておるという、奇妙な感慨である。

 で結論だが。
 なんであれ、余はいずれ、余の未来はそういう複雑怪奇なシステム系から外れて、悠々自適だなんてのは大嘘で、なにか毎日が日曜祝日の、毎日がぼんやり黄昏れた、そんな世界に刻一刻と近づいていくという、深い深い安心感だな。もう、そう、もう二度とバカな複雑系システムにまきこまれるなんてことはない、~それがいつかはまだ予断を許さぬが、次は、ネクストこそは、単純明快なシンプル世界しか残っていないという安心感だ。

 お茶漬けと塩昆布の味わい世界だね。人生の極地なり。

 ああ、それに比較して。
 余の眼前の若者達は来年、あるいは数年後、確実に複雑きわまる社会システムに絡み取られて数十年間は身動きできず、ただ毎月が次の給料日のためにあるような、~おお、おお、素晴らしい新世界がまっておるのじゃ~。

 というわけで、人間(じんかん)、至る所に青山(墓、死に場所)あり、とおもえば、複雑怪奇なシステムも「おもろいゲーム遊び」と考えて、そこで、上等なゲーム作家の造ったゲームのほうが、楽しみがいがあるのう。

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2011年7月 7日 (木)

小説木幡記:書くことも無かったのだが~人生・二重螺旋

Mudsc00008 ただタイトルのような日もあるのだという確認を自ら取っておきたくて、筆とった。

 昨日の悪しき点は、昼食用に買っておいた冷麺がまずかった、399円。どうみても、値段や造りの上からまずいはずはないのだが、劣悪な味だった。おそらくスープが悪かったのだろう、塩辛い冷麺なんて、初めてだった。本来は学食や近所に出かけるべきなのだが、昨日は早朝に2つ詰まった授業があって、返す刀(笑)で午後すぐに重い会議があったのだ。だから、昼食をゆったり外でいただく気力が湧かず、早朝6時半ころに往路のコンビニで買った冷麺だが、おお不味い。

 で、悪しき点をいろいろ思い出したが一杯あって書ききれないし、それに負の人生を記録してもしょうもないことなので、止めておく。

 対験として陽を記すのは後日後世にも役立つので思い出してみる。まず授業では、学生の発表がいくつかあって、それを聞いていてそれなりに調べたり頭を悩ませた様子がわかって、了とした。これは明らかに陽の記憶として印象深い。とくに森博嗣さん独特の作家論・そのニュアンスに、発表学生がそれぞれ自らの解や視点を定めているのが、感心感心。曽野ベストセラーには、学生独自の体験から解釈を深めたり、見方が発表者毎に違っていたのが、うむうむ、よいな。終了後、後期には、別の図書や案件について調べ直したいという意見もあって、ますます余は上機嫌になった。

 午後の会議では、余の案件についてはよい結果が出そうになくて、いささか凹み意気消沈しかかったが、居室にもどりPC画面をしばらく眺め、文科省への提出書類を書き出したとき、大切なことを思い出してきた。余の人生は、失意が多かった(笑)。だがしかし、ほとんどの余の財産(精神的、人生的、もろもろの)は失意の中で、挫折の中で成長した。数え上げてみると、驚く程の失意の充実ぶりで、それと等価に充実の柱が立った。わかりやすくいうと、何事も最初は世間的にはうまく行ったためしがない。だからこそ、おもいもよらぬ他のことが急成長した。

 事例として、余は若年時極端にある種の「お勉強」が苦手だった。社会にでてからもそのコンプレックスは相当に重症だったが、それを補完するようにプログラミング言語にのめり込みだした。20歳前半のことだった。後日、そのことで多くの危機を脱し(笑)、人生も変わっていった。

 まだまだあるが、失意の連鎖と充実の連鎖とは等価の二重螺旋なので、両方合わせるとゼロバランスになり、るるここに記す事もない。ということで、人生、塞翁が馬は、あれは本当なのだなぁ、きっと。sunrainthunderfull

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2011年7月 6日 (水)

小説木幡記:重いSFを好む男

Mu00092906 昨日は葛野から早めに帰路につき、河原町のジュンク堂に寄り道した。しかし新刊書の多くは同一作家の物ばかりとか、原発ものとか、なにかしら薄く感じられた。もともとお笑いや軽いもの薄いものが性にあわぬので、書店の書棚の前で呆然と立ちすくんでしまった。
 たしかに上手で面白いのだろうが、それにしても、軽すぎるな。身過ぎ世過ぎの文藝世界や時事物もここまでお子様向きになりすぎると、暗澹としてくる。いや~余が歳を取りすぎたせいもあろうか、脳。この世界がすべて十代向けにみえてくるのは~bud

 というわけで、現代とれとれ物には背を向けて、誰も近寄らないSFコーナーに立ち寄った。そこで突然ある図書が目について、結局上下文庫を買ってしまった。
 帰りの京阪特急で、訳者後書きだけちょっと読んでみたが、神聖ローマ帝国とか、中世とか、アビニヨンとかストラスブルクとかブランデンブルグ辺境伯とかあ~いかにも重そうな世界が満載で、余は満面に笑みを浮かべたのであった。ともかく辺境伯だなんて、これを日本に当てはめて、ヤマトン中心世界観からながめると、伊達奥州辺境侯爵とか、島津薩摩極辺境伯とか~、神聖日本皇帝とか、なかなか趣があってよろしいな。

 しかし、なんですな。一読して、もしかして軽すぎるSFならこの記事はどうしましょう。それが分かるのは後日のこと。

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2011年7月 5日 (火)

小説木幡記:動物と人間

Ndl20000726 NHKの動物番組をみることがある。アフリカの大草原でライオンなどの肉食獣と、餌になるシマウマなどの草食獣との日常を画面から遠望する。ライオンは毎日狩りをするわけでもないようだ。大抵寝ておる。それと、狩りをするのは牝だな。シマウマなどは群れをなして生きている。不思議なことに、ライオンもシマウマも、服も着ていないし武器を携行してもいない。

 かれらには自動車も家もない。
 ただ草原に寝そべったり、草をはんでおる。
 クーラーもない。ただし時々日陰や水辺をうろつくことがあり、これが外界への対処だとわかる。

 人間は不自由なところが多い。毎日2~3食必要だし、大抵服をきて冷暖房のある家に住まい、税金も払い、子供の内は学校に通い、成年になると会社へ通う。死ぬ年齢になっても、大量の投薬をされたり、胃にチューブを差し込まれて無理矢理食を取らされる。

 ライオンやシマウマや人間は、肉食・草食・雑食という違いはあるが、脊椎動物・ほ乳類ということでは変わりがない。爪ものびるし毛ものびる。垢もでるし空腹にもなる。その点では同じだな。
 人はどこかで服を着だしたり、家に住んだり、原子爆弾や原子炉を造りだした。

 そうそう、死んでしまえば、灰であれなんであれ、みんな大地に溶けてしまう。それは人も獣も同じだ。
 考えると、不思議な光景だ、人々の姿。

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2011年7月 4日 (月)

小説木幡記:月曜日

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近江の弥生遺蹟
 以前MuBlogで近江・守山の伊勢遺跡についてメモを残した(「サークル状に大型祭殿群」滋賀県伊勢遺跡(平成十三年))。このあたりのことをまとめた書籍を昨年入手していた。いまごろになって、ぽつぽつと読み出した。
 邪馬台国近江説/澤井良介.幻冬社(ルネサンス)
 今更ながら、滋賀県は古代史の宝庫だと思った。なぜか他県に比較して話題に上がらないのが不思議なくらいだ。ああそうか、近年、NHK大河ドラマ関連で、滋賀県は長浜・彦根など、戦国・織豊時代に特化しているからかな(笑)。

ビール
 ビールは高級酒だし、余の身体には佳くないことがわかっていても、そして体重が増えるのが自明であっても、毎夕食卓のグラスに注がれると、ついぐびぐびと飲んでしまう。勿論下戸だからコップ1~2杯が限界だが、これほど季節に美味しいものはないなぁと、独り言を言ってしまう。ビールはメソポタミアとかエジプト原産だが、今から数えると5千年も昔の作品だろう。そのころは冷蔵庫も無かったから、冬にうまかったと想像。はてな? メソポタミアにも冬は暖かい?(爆)

葛野の昼食
 春先は、近所の和風食堂で丼物をいただくのが、楽しみだった。要するに下手なダイエットよりも、しっかり食べておくと、夕食まで間食しなくなるのがよくわかり、親子丼、他人丼、木の葉丼、すき焼き丼、カツ丼、天丼などを日々交替で食べてきた。大体700円若だから、法外な昼食でもなかろう。その古典・和風食堂は、さすがに続いているだけあって、「美味しい」。
 ところが、6月下旬からは、宗旨替え、店替えを意図したわけじゃなくて、夏ばてなのかどうしても丼がたべられなくなって、今度は「めしや」という近代食堂に通いだした。いただくのは、そうめん、ざるそば、ひやむぎのどれかと~プラス、天ぷら一切れ、卵焼き~程度かな。これでやはり700円前後になる。
 夏期休暇になったらまた学食に戻るつもりだ。事務の人で、毎夏きまってカウンターで「ざる、2枚」と注文する人がいて、余もいつか言ってみたい(注:ざる、とはざるそばをさし、2枚とは、たぶん大玉、蕎麦二人前、のことだろう)

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2011年7月 3日 (日)

NHK江(25)愛の嵐:狂乱の秀吉

承前:NHK江(24)利休切腹:極小極大の茶

 確かに愛の嵐ではありますが、このタイトルはナチの狂気を描いた映画の翻訳として「愛の嵐」(The night porter)を思い出させますので、少し外れます。

 短時間の間に、利休の死、鶴松の死、関白職を秀次に譲り太閤となる、江と秀勝の結婚を命ずる、朝鮮出兵、……。

 あっという間に時が経ってしまいました。
 ツッコミところはいろいろあるのですが、利休の死が重いので記すのは止めておきます。
 ただ、秀吉のザンバラ髪をふり乱した狂乱ぶりはなかなか、迫真ものでした。対するに石田三成の矮小化は、もしもファンがみたら怒り出しそうなほどに秀逸です。こざかしい、小憎たらしい三成がよくでていました。ただ、そういいきるのは関ヶ原を戦った三成に対してあまりに非礼となるので、この件もこれで止めておきます。

 そうそう、愛シルシの兜だけが見えました。天地人の直江兼嗣を思い出して、懐かしくなりました。秀勝と江とが炭運びにやつして利休屋敷を訪れた時の情景ですね。石田三成の手配で上杉勢3000が利休の屋敷を囲んだのです。勿論、諸大名が利休奪還をもくろむことを阻止するためですね。

 ああ、そういえば井上靖の『本覚坊遺文』は小説で読み、そして映画でも見ました。このときの利休のことは、いろいろな影響を後世にも残したようです。


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↑京都市上京区堀川通り一条の清明神社(利休の屋敷跡とも)

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小説木幡記:日録

Mudsc00021 土曜日は、島田荘司さんの『追憶のカシュガル』を読了、なかなか優れた中編集であった。日曜日は極早朝(5時出発)から大原の里の駅・朝市に行った、盛況ぶりにおどろいた。写真を数枚とっておいたので、後日にまた。

 先ほど、夕方鑑賞予定のNHK江のホームページを事前に眺めたが、ふむふむ、脚本を書くのも大変な難行苦行と思った。今夜はともかく利休さんが切腹し、関白秀次が生まれ、江は再婚するらしい。大河ドラマはたしかに50回近くの長丁場だが、それにしても、主人公の誕生から死までずっと描く縛りは、みていて時々しんどくなる。江さんの場合なら、今の長浜市で誕生し、信長と対面して、茶々と一緒に大坂城に入り、とそこまでを1月中に終わらせて、2月から最終までは、江戸開府時から徳川三代将軍家光の就任までをぐっと、濃密に描いても良かった脳。どれほど面白くても、秀吉や利休時代を延々と描く必要はないと思うが、どうじゃ労農。今後、大河ドラマ脚本枠組みを再構築した方が良かろう。いや、清盛の若い頃、昇殿前をるる描くのは、これは必要じゃ。つまり、場合による。

 このごろGゲージというものに興味を持ちだした。線路幅45mmで、機関車や列車がキログラム単位の大型模型である。これだと、天井を取って、中にレファレンス・カウンターや、書棚、閲覧席をボール紙やアクリルで、それなりに設置でき、わかりやすい田舎・図書館列車ができあがる。たとえば、書棚だと、書斎や研究室の書棚を丁寧にデジカメし、それを縮小して印刷し、貼り込む。現実感はぐっと高まる。ちなみにGゲージの一般的な縮尺は、大体1/20~1/24相当なので、4mの天井高なら、20cm~17cmと、親指幅高ほどのNゲージ(縮尺1/150~1/160)に比べると、巨大である。欠点は場所を取るのと、自作しないと高額になることだろうな。木製車両の場合、これからは指物師(さしものし)の職業学校に行く必要がある。余生もなかなかにせわしないcancer。(森氏のG) 


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2011年7月 2日 (土)

小説木幡記:穏やかな人生の中に時々風雨

Amuimg_6142 余自身のことはもう良かろう(笑)。それよりも、一応ずっと穏やかな仕事生活をしてきたのだが、年に一度ほどは「おや?」と首をかしげる異常事に出会い、それが謎として残ってしまう。余が世間知らずなだけで、ごく普通のことかもしれないが、余がそういうことに気付かぬ事も多く、気付いたときには、ちょっとびっくりする。

1.ある学生の記念樹
 数年前だったか、図書館で学生(当時4年生)が話しかけてきて、「京都市内にある研究所で、事務職の内定をもらいました」と笑顔で言った。目立たない学生なので、内心驚いた。そのころすでに就職は難しい時代だった。
 それに、別学科の所属で、授業も数コマしか一緒にしていない学生で、個人的に話したこともない。余に話しかけてきたのは、よほど内定獲得がうれしかったのだろう、……。

 数ヶ月後に突然数度連続で欠席しだした。おや? と思っていると、その学生のゼミ担当から「某をご存じですね? 実は入院しました。先生の授業を取っておきたいとの希望が強く、頼まれたので、お伝えします」とのことだった。
 そして、数週間後。その学生が入院先で死亡したと、知らせが入った。

 翌春、庭園を歩いていると、新しい小さな記念樹があった。銘板を見ると、その学生の両親が大学に寄贈したものだった。学生の名を読み確認し、余は落涙した。

2.教員達の突然消失
 小さな大学だから、大抵の教員達はそれとなく、所在が分かる。というか、一ヶ月に一度は顔を合わすことが多い。委員会や教授会や、キャンパスや、階段の上り下り、エレベーターで。

 あるとき、突然顔を見なくなった教員がいた。
 余は、日頃はPCやジオラマ維持や、授業や、委員会責務や、要するに自分のことや仕事で頭がいっぱいだから、人のうわさ話が余の耳に入ることは滅多にない。裏返せば冷淡なんじゃ老化? 要するに、人の事はどうでもよろし、という酷薄なところもちょっこしあって、そのせいか、人の去就はまるで耳にしない。いや、していても忘れてしまうのかもしれない。
 そこで。

 学期途中でキャンパスから消えた。定年退職するような高齢者でもない。なにかしら気になって、近所の事務の方にうかがったら、「お辞めになりました」とのことだった。
 それだけのことだ。
 しかし、余はいまだに不審な思いがしている。
 「大学を移ったとも聞かない。みなさんお若いのに、辞めて喰うて行けるのじゃ老化?」

3.いろいろ
 この記事を書きながら、「そういえば、あれもこれも、いろいろ分からぬことが多い」と、思い出すことが増えてきた。しかし、このくらいにしておく。

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2011年7月 1日 (金)

小説木幡記:夏休みにと、ため込んだ予定の洪水

Mudsc00007 ついに2011年、平成23年の7月に入ってしまった。なにかしら感無量の、こみ上げる気持ち。カレンダーで夏の季節に入っただけなのに。小学生の頃には7月1日に、世間では海開き、山開きの祭典があった。山や海へ行くほど豊ではなかったが、心が浮き立った。「夏休み!」と。

 考えて見ると大学を卒業して以来、ずっと大学キャンパスが仕事場だったので、夏季は大抵、回りが閑散となって、独特の味わい、シーンとなって、暑くって、みんな遊びに行って、自分は執務机や図書室や研究室で、ぽつねんと一人仕事していたような、そんなイメージ。そうだ、蝉の鳴く中、汗をかきながら、金田一耕助が岡山県の田舎を歩いているような、そんな感じだったなぁ。

 口に出して言うのが口癖なら、脳で考えるだけなら脳癖とでもいうのだろうか。口癖も脳癖も、「この仕事は、もっと時間のとれる夏休みにしよう。今は手を付けなくてよかろう」だった。そうそう、余にとっては宴会や旧知往来も仕事の一種やから(そう思わないと、捨て置くと、書斎や研究室から一歩も外に出ない)、そういう寄り合いも必然的に7月や8月にたまってくる。勿論、お楽しみ読書も研究読書もすべて夏休みに!

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 となると、必然的に、年間で最大の繁忙期がなんと、皮肉なことに、7~8月になる。これは要するに、怠け者の節句働き、と同じことだな。
 そういうわけで、7月1日、そろそろ夏の忙しさが襲ってくる。それに比べると、これまでの日常は実に牧歌的な、のんびりした季節に思える、脳impact

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