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2011年6月14日 (火)

小説木幡記:頼母子講と介護保険料と、それから税金

Mudsc00048 なんだかんだと、税金とか保険料とか~手を変え品を変えて役所・社会は庶民からお金をむしり取る。きちんと目的を充足させていても腹立たしいし、ましてそういうお金を無造作に扱う人達や、組織や、慣習を見ると、憤死したくなる。

 最近突然木幡市(いや、実は架空の市)から、お前は将来のために介護保険料を支払え! と、言うてきた。
 介護って、まだ介護されていないし、長命家系じゃないから必要性が薄いのですがぁ~と、独り言を言ってみたが、説明書を読むと、絶対に支払わなければならぬと、細かく恫喝込みで記してあった。

 困った困った。赤貧洗うがごとき日々を送っておるというのに。睡眠と食事のうまさだけを頼りに日々を生きているというのに、これ以上、保険料なんてびた一文だしたくねぇ~よ。と、また独り言を呟いたが、世間は許してくれぬようだ。

 ガソリン代は高いし、毎年毎年、収入は減っていくし。余が若い頃の東大名誉教授の年金額は、当時一線の助教授(准教授)の年収と変わらなかったとか。柴田翔という昔の芥川賞作家で、東大総長を勤めた方が、雑誌に記していた。時代は変わった、脳。現代の先生方の年金生活って、想像すると瘧(おこり:強い震え)にかかりそうだ。

 などと、怒りにまかせて、あれこれ僻事を書いてはみたが。
 棺桶に年金は持って行けないし。
 そこで、頼母子講(たのもしこう)の話。

 昔、田舎に住んでいる兄に聞いたが、現代でも頼母子講は存在するらしい。(と、世間知らずな)
 しかし、お金を寄せ合って、毎年順番に一人が全額を使うのだから、知り合いでないと難しいだろうな。たとえば、今年は一太郎の家で、娘を京都の大学へ出すのでお金がかかる。みんなが出してくれた500万円を一挙に使えると、入学金や4年間の仕送りが楽になる~。で、来年は与作ドンの息子がイギリスへ留学するから、また金がかかる~、というように持ち回りらしい。講の者が全員受け取って一巡すれば、講は解消するようだ。

 介護保険と講との似ているところと違いはどうなんだろう。
 まず、毎年出す人も多いから、介護を受け取る人も多い。ただし、介護は普通は死亡時まで必要となり、経費も持続的にかかる。介護保険は、沢山の人が、持続的に受け取るわけだ。
 頼母子講だと、介護が必要になったなら、どーんと百万円を一挙にもらう。翌年は、息子かだれかが代理で講を勤める必要があるな。

 介護不要のままに死亡した人は、どうなるのだろう。頼母子講で毎月毎年払っていたのに、受け取る順番が来る前に、頼母子講が解散したようなものだ。ただし、介護をうけぬまま、あの世ぉ~というのは、介護保険料が下りる幸せよりも、もっと幸せなのか。あるいは若死にしすぎなのか。

 年金とか介護とか、先の未知数のためにお金を持ち寄って、積み立てていくという仕組みは、なかなかに人間の知恵の結実かもしれない。不確定要素は、博打みたいなところもあるな。どーんとあたれば、支払った以上に戻ったり、まるっきり投資回収が出来ないこともある。

 となると、政治家とか、厚生労働省官僚になる資格は、一定以上の博才をもった(要するに予知能力)人でないと、良いシステムは組めないように思えてきた。年金とか、保険って、これは博打の一種だな。今になって、ようやく開眼した。(そういえば、資本主義の大原則が賭博にあったことも、やっと気付いた)

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