桜井茶臼山古墳に異変が? 副室発見か?
承前:桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場
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↑奈良県・桜井市・桜井茶臼山古墳
本日、平成23年(2011)6月13日の帰路、午後六時半ころの車中TVニュース(NHK)で、桜井茶臼山古墳から「生け贄」を埋めた石室が橿原考古学研究所によって発見され、発表されたと言っていた。「生け贄」と、耳が逆立った。古代中国やマヤ・アステカじゃあるまいし、本邦の大王陵に生け贄があったとは、手塚治虫さんの名作にして、はなはだ古典的・史的遺物論に毒された火の鳥くらいしか、よく知らない(笑)。
兵庫の県立考古博物館館長をなさっている石野先生の名前が聞こえてきた。で、どういう根拠で生け贄と? 白骨でも多数出てきたのだろうか? と、自宅に帰ってネットを探したが、気に入った記事が見あたらない。もしかしたらNHKは新聞各社よりも発表が早いのだろうか~
あれこれ考えている内に、産経ニュースで、「奈良・桜井茶臼山古墳に2つの副室 橿考研「中身は不明」」という記事がでた。本来ならこれにリンクすべきだが、ここ数年、リンクはすぐに切れるので(有料化)止めておく。要するに二つの副室が見つかったが中身は分からない、とのことだった。NHKが石野館長の生け贄・生き埋め説を流したのは、もう少し石野先生の話を聞かないと、分からない。橿原考古学研究所は「副室調査は予算に組み込まれていなくて、調査許可を受けていないので、中身は分からない」と言ったようだ。
ともかく、本邦大王陵に生け贄・生き埋めの痕跡が明瞭になると、これは大変なことだな、と思って慌てたが、もう少し様子をみないとよく分からぬ。副室は副葬品を埋める施設とも書いてあるし、あるいは生け贄を閉じこめる施設と考える人がいてもおかしくはない。天皇霊の問題、ヘキジャ(邪を防ぐ)の問題、埋葬主体を守る意味、閉じこめる意味~、大王陵の意味意義は深くて錯綜しておるから、私の推論を越える。
さて、どうなんだろう。しばらく事の推移を待ちましょう。
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コメント
1.生け贄と殉死は異なるもの
2.生け贄の痕跡はこれまで、大王陵で出たのかどうか
3.日本では、殉死は良く聞くが、生け贄の風習は定かならず。
江戸時代の橋梁のための人柱は祖母から聞いたことがあるが、公的な祭祀としてあったのかどうか、秘儀なのか。
*.副室の内容によって、新たな展開があるかもしれない。
投稿: Mu | 2011年6月16日 (木) 07時20分