小説木幡記:電子書籍と電子図書館はPMLで一つのものなのだ
1.昔のことでした
近々葛野で公開講座を受け持っておる。発表内容の調整はすでにできているのだが、当日話す前に、特別にMuBlogで(笑)でさわりをメモしておこう。
むかし、江戸のふうてんさんとPMLという考えについて論議していた。それはシステム名なのだが、プロトタイプを作った記憶がある。しかし、PMLには二人の考えの微妙な違いがあった。ふうてんさんは、Personal Media Laboratoryと考え、余はPersonal Media Libraryだと思い込んでいた。直訳すれば、前者が個人情報研究室で、後者が個人情報図書館となる。
研究室と図書館との違いは、前者は一般に実験器具などの装置を持ち、使用者は比較的限定される。後者は実験設備を持つことは原則ないが、使用者が不特定多数の傾向が強い。
その違いがあるにもかかわらず、ふうてんさんと余との間に話の齟齬が少なかったのは、研究室と図書館とを修飾限定する言葉、Personal Media を持っていたからだと思う。これも直訳すると、個人的なメディア、個人情報となる。もう少し展開すると、Personalとは明らかにPC:Personal Computerからの借用で、media はあらゆるメディアを指し、マルチメディアと考えて良い。ただし、すべての情報をメディア変換して、ディジタル情報に変えた結果を意味している。
つまりイメージとしては、机上の研究室であり図書館を指していた。研究室の実験器具はメディア限定とも言えるし、ディジタルメディアに収束していたとも言える。勿論、図書館の膨大な書籍はディジタル情報に変換されているという前提だった。
2.電子書籍←→電子図書館
この20年間、インターネット情報と電子図書館との違いを、運動場や野原に山積みされた図書雑誌を、決して図書館とは言わない、その論法で説明してきた。インターネット情報とはカオス・混沌世界であるが、図書館情報は整理整頓されたものを指す。
そこで。
昨今の電子書籍およびこの集合を格納したアンドロイド端末(つまり携帯電話機)やiPadやキンドルは、個々の電子書籍が統合されて、整理整頓した状態にあるならば、これはPMLだと言える。そこにクラウド(雲の上情報)機能を有機的に組み込んだ場合、巨大なネット上にある電子図書館と、個人のPMLとに区別がつきにくくなり、折り目無しの平滑スムーズな電子図書館に変貌する。これは20年前に電子図書館研究会で得た結論の一つ「スケーラブル」に合致する。つまり規模の大小を問わない世界が電子図書館の特徴なのだ。
そういう考えを言外にもって、電子書籍元年の昨年から今年のiPad状況を20年前と比べながら、話す予定である。ただし余はiPad2 を持たない貧しい研究者なので、格好は悪いが~ぼろは着てても心の錦なのだぁ。
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