小説木幡記:映画の話
趣味や好み、人生の味わいは年齢にしたがって変化していくのだが、それにしても小説や映画は余の長年の友だった。友だったと言うよりもそういう世界にどっぷり沈み住んできた、というのが現実なのだ。いやいや、余が文学業界や映画業界で喰ってきたわけじゃない。普通のサラリーマンじゃった。ただ、身も心も物語世界に生きてきた、という現実が残った。
20前後には、小説+映画+演劇、だった。なんとなく日の光があたるスポーツとは縁遠い。暗いなぁ、暗くてじめじめした青年時代やった、能。
現在の職業柄、大学生という比較的若い人達の小説や映画話を耳にすることがある。趣味が合致するところと、異世界とが共存していて、なかなか興味深い。
それで映画だが。
世の中のながれに合致するところと、まるで好みの合わないところがあって、いろいろ考え込んでおる。一般的に、お笑いが好きではないので、それだけで対象が狭まってしまう。それと、ハリウッド流の、スピード感のある一気飲み映画はおもしろいが暇つぶし感が強く残って「無駄な時を過ごした」と後悔しがちだ。さらにばかばかしい流行り物は唾棄してしまう。(大勢が喜ぶものに、まともなものはない、という思考枠で生きてきたから)
もともと娯楽は暇つぶしなんじゃろうが、暇つぶしの連続から考えると、味わいがまるで残らないすかすかの映画や小説には、手を出したくなくなる。少しは強烈な印象や、「ああ」というため息の持続するものに接したい。すると、ますます対象が少なくなる。
ああそうだ。実話だが。
じっと横臥して天井を眺めていると、時間がすぐに経ってしまう。それは小説や映画や鉄道模型などよりも、もっと激しい快楽なんじゃ(苦笑)。
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