小説木幡記:未然・未生の楽しみ
小説のことを考えているとき、リルケだったか、よく覚えていないのだが、幼少期のことを思い出せ、というセリフが耳にこびりついている。トーマス・マンだったかもしれない(笑)。
ドイツ系の作家が語ったことだと、思う。
それと前後して、小学校時代に、生竹を築地塀に引きずって、竹の丈がどんどん短くなるのを楽しんで、そして先生に叱られた。嵯峨小学校の正門からすぐの嵯峨野を歩いていた時のことだった。今でも、その塀がどこかは覚えている。
来年のNHK大河ドラマが平清盛なので、今年中に深く嵯峨野を散策しようと思っている。余は混み混みが苦手なのだ。昨年も伏見港の寺田屋近辺は、休日など歩けなくなっていた。来年は嵯峨野・祇王寺のあたりが歩けなくなることだろう。
しかし灯台もと暗し、というが。
小学校の遊び場だった嵯峨野、地図で眺めてみると意外に知らないところが多い。北嵯峨から嵐山まで徒歩で見ていくのは、体力がいる。もちろん嵯峨野は、歩くところであって自動車は似合わない。せいぜい自転車がよい。迷うところである。
小学校の位置関係から、大体釈迦堂から二尊院あたりの道を行き来していた。学校の帰りに家とは逆方向なのだが、近所の友達の家に寄ったり、虫取りに行ったり、探検したり~。いろいろあった。中学生ころには、広沢池、大沢池、大覚寺、釈迦堂(清涼寺)、二尊院、落柿舎、野宮(ののみや)神社、嵐山~と、自転車で気晴らしに走っていた。
いつか、少年期の輝ける好奇心を思い出して、嵯峨野近辺を主人公が走り回る小説を書いてみたい。それはこの十年の長い楽しみだ。いつかいつかと想いながらもまだ始めていないが、それこそいつか書いてみたい。楽しみは未然・未生の中にある、と思った。
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