小説木幡記:MuBlog作法ABC
島田雅彦という方の『小説作法ABC』を読みかけた。よくあることだが、気分の上でおしりから読み始めた。すると、全11篇の内の第10篇目の(B)に、作家をめざす、五つの動機というところがあって、興味深く読んだ。目次だけ引用すると、次の5つになる。
①「ヒーローになりたい」
②「女にモテたい」/「男に愛されたい」
③「遊んで暮らしたい」
④「愚行の研究」
⑤「恨みを晴らす」
それぞれはそれぞれに含蓄あって、書いてあるのだが、少しわかりにくいところも散見し、なかなか平日作家の気持ちを十全に理解することは難しい。たとえば萬葉集は②に該当するらしいが、これは分かるようで分からない。つまり、勿論恋歌で一杯なのだが、挽歌とか歴史への嘆きなどを少しでも味わってしまうと、萬葉集の作家達がすべからく、男や女の気を惹くために歌の力をつかったとは、~余のようなすね者でも、そうは思えない。いやもちろん、そう思うところが平日作家と日曜作家の違いだと、心から分かるのだが(笑)。
さてとはいうものの、島田さんの筆致は面白く、おしりからぐいぐいと読み進み大半を読み切ってしまった。そこで、小説とは異なるが、我がMuBlogは一体どういう了見で、どんな動機で書き続けているのかと、ふと我に返った。このふと我に返る客観性が大切らしいので、余も2004年3月以来7年間以上も、だてにMuBlogを書いてきたのじゃないと、自覚した、ぞ()。
まずは消去法。MuBlogの動機推論。
①MuBlogはヒーローを目指しているか。いやはや、これは爆笑ものだ。毛頭ないと言っても信じていただけないだろうが。神話英雄は好みだが、現代的英雄はあらゆる点で余は嘲笑してしまう。アンチヒーローでもない。むしろ気弱な文弱が、川に流されないようにつかまる、最後の細い柱として立てたMuBlogにヒーロー願望は探せないな。
②女にもてたくて、MuBlogを毎日書いておるのか(爆)。いやはや、こういう微妙なことは女子大のセンセとしては実に書きにくいので、止めておこう。(鉄道模型の話をして女子にモテるなら、全国の男子は鐵ちゃんになる)
③遊んで暮らすためにMuBlogを書いておるのか。うむむ、~これこそ極北の地に立つ想いじゃ脳。この7年間、MuBlogによって得た稿料は皆無。(こういう恥ずかしいことを告白せざるを得ぬ話題は、今日だけにするゾ)
④愚行の研究。これは一部あたっておる。島田さんは谷崎潤一郎を事例にあげて、潤さんの変態的生涯を愚行求道として描いておられる。しかし愚行が変態と等値ではなくて、他の愚行も一杯ある。してみると、MuBlogもガソリンまき散らして走り回り、幻の邪馬台国を探したり、どこにもあるような写真をとっては悦に入っておるの邪から、これも愚行求道の一つかもしれぬ脳。
⑤恨みを晴らす。これはそういう想いを二十代のころに持ったこともあるから、まんざら的外れでもないが、後年MuBlogを書くようになってからは、恨みというマイナス要因は出来るだけ外す努力をしてまいった。負の想いをまき散らして、あとで読者の余が読み返しても、おもしろいわけがない。気色悪くなるだけじゃから、脳。
MuBlog制作の動機とは
残念ながら現在のMuは多少高齢化時代に入っておるので、島田さんの言うなりに分析しつくすことはできぬ。20代、30代の余ならば、5つのうちの二、三は入っておったが脳。
余の今の気持ちでは。
まず第一に、備忘録。
これはものすごい威力を持っておる。何かのことでふと思い返すとき、googleで{MuBlog 、◎X△}と入力すると、たちどころに自分の◎X△に関係した過去記事が先頭にでる(MuBlogと入れるのやから)。
次に、消息報知。
余は年賀状なども書かぬし、電話をかけることもかかってくることもないし、要するにここ何十年も社会的に孤独な状態におるでのう。しかし旧知、友人はわずかながらおる。その方々にいちいち存命通知を毎日だすのは邪魔くさいから、こうしてMuBlogを書いておる。だから、余が一ヶ月MuBlogに掲載しなくなったら、それが余の瀕死状態か、死亡通知となろう。
原則、余は余の死を伏す。死を隠すのは、象さんも猫君も、余も同じなり。
ということで、島田雅彦さんの小説動機と、余のMuBlog動機は随分違うものだなぁ。
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コメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びにきます。
ありがとうございます!!
投稿: ビジネスマナー | 2011年9月24日 (土) 20時18分