小説木幡記:とりとめもなく:都の右京
閑でもないが、とりとめもなく物事を考えこむ時間が長くなってきた(笑:やはりそれを暇人というのか)。たとえば平安京には桓武天皇さんが「鳴くようぐいす」で、794年にご近所の長岡京から遷ってこられた。8世紀末、9世紀の事だな。和暦だと延暦13年のことらしい。
京都市右京区のこと
それから京の都が発達し出したのだが、どうにも左京ばかりが発展し、余が幼少より住まいし、今は勤め先となっておる右京区の分が悪い。要するに平安京全体からみて、取り残され始めたようだ。その事情をこれまで読んだ本で、思い出せる事だけでまとめると、湿地というか、土地が住むのに適していなかった、という説がある。
左京の外れには鴨川があって、結構あふれたり、死人の捨て場だったり処刑場だったりした割りには、左京方面が発達した、と。右京の外れには、大堰川というか桂川があって、これは流れの大きな河川だから洪水もあったろう。平安京に天皇さんを呼んだ張本人の秦氏は、右京の太秦近くに住んでいたのじゃなかろうか。そして桂川の堰堤を作って治水に務めたはずだ。~それなのに、右京が寂れていった。いつか、どこかで寂れた原因を調べておこう。
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