小説木幡記:古代の天皇について質問責めする困った学生
最近非常勤講師の先生方と昼食会があった。情報図書館学も含めて、いろいろな先生方が来られた。余も、むっつり黙っているわけにはいかないので、現代学生と余自身とを比較して、困った学生だったことを(自虐的に)披露した。もちろん、自分自身の過去を思い出せば、現代の、多くの若者達の言動に寛容になれるという、深い深い(笑)意味をもたせての、談話であった。
テーマ:困った学生
事 例:Mu先生の若い頃
余はある社会科学・歴史の授業が終わった後、少し著名なその教授を壇上でひっつかまえて、延々と「日本では、どうして天皇さんが百数十代も続いたのでしょうか」~と、食い下がっていた。
その先生はまるっきりの「進歩派」でもなかったし、究極の「右派」でもなかった。一応中道の雰囲気を漂わせていた。そうそう、余の20代ころは学生運動が盛んだったので、今から思うと、その中道先生は「困った学生やなぁ」と、思ったに違いない。
そのころの余は、だいぶおかしかった(笑)。
宇宙の果てはどうなっているのか? と西欧実存哲学の先生にしつこく質問していたし(いつも、カテゴリが異なります、との回答)。美学の先生や独語の先生にはひっきりなしに細かなシューレ(派・教派など)の異同を質問して、研究室で珈琲を飲ませてもらっていたし(いつも、原書の脚注を読めばわかりますよ、との回答)。肝心の専門の研究室には、先生達の名前も混同するくらい、顔を出さなかったし。
うむ、困った学生だった。
壇上で教授を捕まえて「天皇」の話をするものだから、後ろを通る耳ざとい○青とか革○や○X教の知り合い達が、どうした、どうしたと近寄ってきて、ますます教授が嫌な顔をするのに気がついた。余は学生運動には就いていなかったが、知り合いだけは、極右から極左まで、おまけに宗教まで、全部いた(爆)。~
ということで。
現代学生の困った点は、課題で選ぶテーマに偏りがあり、現代エンターテインメント世界・日常楽しみ世界が殆どなので、それに熱中しすぎて本道を失う場合が多く、余のまじめな情報図書館学の話には聞く耳持たなくなるのが、一番困った実情だ。などと、昼食会で呟いておった。
追伸
本日土曜日は、午後に同僚の先生と二人で、電子書籍や電子図書館の演説をした。後で図書館の人達の協力を得て、参加者のみなさんは古書・復刻版見学(漱石こころの初版や、それからの復刻など、いろいろ)やiPad2実演を行った(葛野の大学図書館には、iPad2がてんこ盛り台数ある!)。みなさん熱心だったのには驚いた。画面を指でこすったりつまんだりするだけで、完全な操作ができるというのは、一種の革命だったのだと、痛感した。それにしては、葛野の大学には余も持っていないiPad2が沢山ある。羨ましい脳。
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