小説木幡記:わんこにゃんこ
余は昨年から新しい学科に移籍し、今春からその学科用の授業も受け持つようになった。もともと情報図書館学・図書館司書に関係し、いまもそれが主だから、なかなか忙しい脳(笑)。
その一つは二年生のゼミナール、ゼミというか、クラスのような扱いで人数も十数名であり、やや気楽な面がある。いや、本当は面倒事が起こると最後まで世話することになるので、重いクラスなのだが、今のところはよろしい。
もう一つあって、変則的だが30名ほどのゼミ形式だ。それを昨日すませた。
人間存在について発表論議する形式で、共通テーマは「ヒトラー」である。ヒトラーの愛人関係や、生い立ちや、演説手法や、アウシュビッツのことや、様々な角度から発表があった。気になったのはヒトラーには6名ほどの愛人がいて、自殺した女性や、自殺未遂者が何人かおったらしい。余の質問は、言葉にだしたことや、言外のことや、巡回中に他の学生達に聞いたことや、数種類あるのだが、……。要するに「ヒトラーに恋人がいて、それは不思議じゃない。しかし何人も自殺や未遂する人がいた、それが不思議だ」だった。
と思って、昔になにか書いた記憶がよみがえり、MuBlogを探したら、あった。2005年の記事だった。ヒトラーは神だったのだ。しかも象徴のような神ではなくて、非常にリアルな神だったのだ。……。だから、ヒトラーとの愛情関係という個人的な問題であっても、自殺する女性が何名も出てくるわけだ。ヒトラーとの破綻は世界の破綻そのものだったのだ、とおもった。
授業終了時に「現代の、芸能人でも、もつれると自殺するケースがありますよ」と、戸口にいた学生に言われた。「ああ、そうか」と、余は妙な納得をした。
人は、恋愛事で自殺するわけだ。
↑と、以上は長い前振り話。タイトル内容は以下にある。
このごろ方々授業で、巡回などしていると学生達に呼び止められて、ケータイやスマホ写真を見せられることがある。まさか、本人の振り袖写真ではない。
わんこやにゃんこ写真である。
余は、にゃんこ先生に見えるらしい()。
特に、地元写真だが、数匹単位で家に棲み着いている話も多々聞き、「そうか、田舎ではわんこもにゃんこも、まだ生き生きとはしりまわっておるんだぁ」と、感心しきり。片方だけじゃなくて、わんこもにゃんこも両方飼っている事例が多い。
もちろん、余も挨拶代わりというか、返礼に猫ハルキ君の、きりたんぽ手写真を見せる。あはは。
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