NHK江(23)人質秀忠:利休も黒田官兵衛も、……。
利休が切腹するのは来週ドラマのようですが、今週は脚本家があるていど「利休切腹」の謎を解き明かしています。鍵になる人物は石田三成でした。(後の関白)秀次が言ったように、三成は秀吉への忠義が度を超して、利休の動きに神経質になっていたという筋立てが見えました。特に、小田原攻めに成功したとき、徳川家康が利休のもとへ、秀吉より先に訪れて茶をたしなんでいた様子から、三成の神経質さが秀吉に染みこんでいく様子が伝わってきました。利休は、茶を通して、諸大名と懇意にしすぎである。やがて秀吉をおとしめていく危険性を持つ、とそれが三成の危惧・言い分でした。
これまでの多くの小説やドラマを見ていると、茶々が淀君として子を産んでから、秀吉は高齢のせいもあり、猜疑心や神経質さが目立つようになってきました。徳川家康が人質として出した秀忠の帰参に際し「黒田軍師に会ったか」と問うていましたが、実は軍師黒田官兵衛も名声が高まり、側近の石田三成はなにかと黒田の存在を気にし始めていました。黒田の場合は危険を察したのか、実は小田原攻めの時は隠居老人としての参戦だったようですが、やがて秀吉の前から消えます。
秀吉は、利休が堺に帰りひっそり暮らしたいと言いますが、それをゆるさなかったわけです。黒田官兵衛は秀吉の虎口を脱し、関ヶ原の後も隠居老人として全うしました。
利休と秀吉の関係で、ドラマとして納得できたのは、利休が秀吉からの誘い(小田原への同行)を断ったとき、三成が「信長公の場合も、お断りになったのか?」と、問い詰めます。「信長公の部下であった関白さまを見下しておられぬか」と、さらに三成は利休に舌鋒鋭く迫ります。
今夜の利休の態度は、信長だったなら、おそらく速攻で首が飛んでいたことでしょう。三成はそこを突いたわけです。
肝心の江さんですが。二番目と三番目の亭主とあっけらかんとして三角関係を披露していました。史実をなぞるなら、本当に、信長の姪御として大切にされたとは思いますが、激しい人生だったと想像出来ます。このドラマの鍵は、家康があくまで三の姫として江を大切に思うところでしょうね。二代将軍秀忠の正妻になるのですから、よく分かりませんが、江を徳川に入れたのは家康からの働きかけもあったのではないでしょうか。先が楽しみです。
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↑地図:現代の小田原城
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