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2011年6月 5日 (日)

NHK江(21)豊臣の妻:二人の妻

承前:NHK江(20)茶々の恋:人のこころごころ

 なんとも難しい内容が続きます。三姉妹は、両親とともに福井の城で自刃せずに、仇の秀吉に救われたがために、一方で絶大な身分・経済的待遇を受け、他方、考えようによっては地獄の苦しみを味わいます。
 もちろん織田さまの姪御さんであるとは、むしろ織田家跡継ぎの男子たちよりも価値があったのでしょう。それが政略結婚と言えば身も蓋もないのですが、現代風に言えば、この三姉妹は皇族とか摂関家とか名門大名に嫁ぐだけの資格があったわけです。想像ですが、「織田さまの姪御が、我が家に入る」と思っただけ震える武門も多かったはずでしょう。

 さて。今や権勢並ぶもの無き豊臣家の側室になり、子をもうけ、秀吉の正妻からは「私(ねね)は豊臣の家を守る妻。あなたは(茶々)は、豊臣の世継ぎを産み育てる、もう一人の妻」と言われるに至りました。側室となり子をなすことで、茶々には、正妻に匹敵する立場が自動的に与えられたのです。

 他方、末の妹。江。
 江はまだ十代のはずです。おそらく、世間の荒波は、やや年上の茶々や初が防波堤となって防いできたはずです。だからこそ、秀吉に拾われ、秀吉に喰わせてもらい、秀吉に生活全般の面倒を見てもらっている、とそういう感覚は茶々ほどには無かったと思います。にっくき仇の猿面冠者に囲われて、「女」になってしまった姉を許すわけがないです。亡き両親への面目、サルへの不潔感、姉の約束破り~十代の娘さんで、そういうことをすらりと乗り越えられるのは、想像では30%くらいではないでしょうか(笑)。

 まったく、歴史上の史実として、難しい話です。
 その上、後日には、茶々の家(豊臣)と江の家(徳川)が殺しあいをするのですから、歴史は残酷ですね。
 もちろん、そういう予感を込めて、だんだんと江が成長していくのは確実なのでしょう。
 そうそう、ながらく言及しませんでしたが、宮沢りえさんという女優は大昔から気に入っておりました。ここ一ヶ月以上、いまさら失礼ながら、宮沢さんは本当の女優さんだと、思いました。今夜は、その涙が自然でした。やはり、彼女は名優だったのです

↓聚楽第のあったところ
 諸説あるようですが、大体、京都御所の西、二条城の北、となります。
 現代の通りでいうと、東西が{大宮通、千本通}で、南北が{下立売通、一条通}

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↓淀君(茶々)がいた頃の、淀古城跡(現代の、妙教寺あたり)

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参考
 →徳川時代の淀城<解説><CG復元>

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受信: 2011年6月12日 (日) 20時09分

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