NHK江(22)父母の肖像:敵味方供養
秀忠のひと味違った描き方
徳川竹千代、つまり後の秀忠がドラマの最後に少しだけ登場しました。
意外にも、親父の家康殿に反抗的な、皮肉っぽい青年として描かれています。守(も)り役の本多正信がやきもきしておりました。秀忠をこういう風に前面に扱った作品を私はまだよくしらなかったので、新鮮でした。秀忠の姉(腹違いでしょうか)を(後)北条に嫁がせた家康が、秀吉の命令で北条を攻めるにあたり、事前に離縁させているのですから、秀忠はそこに「いくさ好きの父上が、大手をふって戦える」と皮肉を言うわけです。もちろん、秀忠の兄はすでに秀吉のもとへ人質として養子になっています。後の結城秀康です。秀吉に屈服した家康を「苦労人」と見るよりも、さっさと身内を売りに出す信用出来ない父親と見ています。
さらに、家康長男の信康は、通説として、織田信長の命令によって家康自身が築山殿(信康生母)もろとも処断したのですから、息子の秀忠はそういった実父家康の世渡り、身のほどこしかたに批判的だったのかもしれません。いえ、このドラマでは、秀忠と家康の確執を最初からそのように鮮明に描いているのです。
うぅむ。もし自分の父親がそうであるなら、秀忠の立場として、なかなかに難しいわけです。実父として信用していても、いつなんどき売られるかもしれないのですから。その秀忠が、後の江の亭主になるのですから、なかなかに物語として面白そうですね(笑)。
秀吉の敵味方供養
淀の方が父浅井長政の十七回忌、母お市の七回忌を、秀吉の許しをえて行ったことは、付録場面で、高野山での浅井長政夫婦の追善供養が歴史的に解説されていましたから、虚構ではないようです。石田三成が茶々に注意したように、秀吉にとって仇敵(浅井氏)を、秀吉の正室に等しい淀の方が行うのは、当時の武家の流儀には反したことのようです。それをあえて、秀吉が茶々(淀)の願いをいれて許可したのですから、これは秀吉の寛容さを示した場面だと思いました。そのことによって、茶々は初めて秀吉と夫婦(めおと)になれたと、江や初に話します。
これは一種の敵味方供養に通じるところがあります。
敵味方供養を知ったのは保田先生の『日本の美術史』からでした。中世・南北朝の争いが激しかった頃に、ほぼ自然発生的に敵も味方も供養するための造仏、造塔が始まったようです。争いに双方が倦んだのでしょうか。
秀吉が敵味方供養に通じるような浅井氏追善供養を淀の方に許したのは、淀の気持ちを大切にしたかったのか、あるいは武家の流儀を嫌っていたのか、あるいは宗教や伝統を打破した信長流とは異なるマツリゴトとして、高野山とも仲良くすることの証だったのか~さてまた、徳川の世になって豊家の追善供養をどなたかがなすったのかどうか、北政所さんなのか。いろいろ難しい歴史が出てきそうです。
脇役の人々
三姉妹や秀吉一家や徳川一家以外にも、石田三成とか千利休とか、あるいは三姉妹のそれぞれのお付きの女性達とか、みなさん藝達者な方々だと感心しています。とくに、江のお付きの女性が面白いですね。そのような演出なのでしょうが、ドラマではすでに何度か死地に直面してきた歴史がありますから、味わい深いです。
また来週が楽しみです。
そうそう、秀忠役、なかなかに人気が出そうですね。草刈本多との掛け合いがおもしろそうです。
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