小説木幡記:物欲から遠く離れて
このごろ物欲が薄くなってきた。その代わりに、いわゆる惰眠をむさぼる欲が強くなってきた。惰眠だけじゃなくて、美味しいもの、よい景色、面白い図書や映画~そういうことへの気持ちがとみに高まってきた。もちろん書痴やシネマ耽溺者にとってはそれらを買ったり(図書やDVD)見たりすることが物欲なのかもしれないが、余の場合には、図書は古くからもっているもの、映画は映画ライブラリーが木幡研にあるのと、近頃のBSプレミアムとかいう番組などでまかなっておる。
若い頃はあれが欲しい、これも持っていたい、だけどお金がない~、そういうストレスが相当に強くあって辛かった。よくしたもので、年齢とともに~が欲しいという気持ちが薄れていって、楽になる。この楽な気分の脳素を抽出して、狂える若者達の脳に注射してやったら、彼ら彼女らももうすこし楽な毎日を過ごせるであろうに、脳。
さて。しかし。
毎日、清浄な朝の寺社仏閣を写真に撮りたいと思った写真家は、贅沢にも奈良に居を構えた。贅沢にも三輪山の朝夕を拝みたいと思う余は、纒向あたりに居を構えたいと、思うこともあるが、あそこは発掘現場なので、せいぜい京都市右京区の風致地区で清浄な大覚寺近くに庵を設けたいと、思わぬわけでもないが。いやはや、つまるところ、あの廃線をあるいてみたい、あそこに住んでみたい~してみたい、と思う心が愉しみになるのだろう。物欲は衰えても、生活を快適に美的にしておきたいという気持ちはまだまだある。
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