« 小説木幡記:雨が降ると遺蹟が水浸し | トップページ | 小説木幡記:未知の木次線・スイッチバック »

2011年5月12日 (木)

小説木幡記:疲弊の中でDD51北斗星のDCC工作、そして蘇生

Aopimg_3858 加齢による疲労とか体調不良とは思っていない。実によく眠り、体調もよく食も進む。だがしかし、日々の狂乱状態(内容については職務上の秘密なので、はばかり多く、記すあたはず)にはいささか疲れる。木幡研に戻り休憩や食事が終わるとぐったりする。
 そういう中で昨夜、一台のNゲージ動力車両をDCC化し、科学精密模型世界の進展に快哉をあげた。勿論不満も多々あるが、すばらしい世界だと余はあらためて納得した。

 指導教科書は、DCCで楽しむ鉄道模型/松本典久.オーム社、2009
 機関車は、DD51後期耐寒形 北斗星 (KATO Nゲージ)
 DCCのデコーダ(車両に積むCPU)は、DN163K1dといって上記DD51の専用に近いもの。

 車両とDCCのデコーダだけで1万円もする高額商品だが、それだけの値打ちはある。まず、自分では作ることができない。車両を自作する人は伝統的に多いらしいが(真鍮や紙や木やプラスティックで)、手間暇がかかりすぎる。デコーダというものの構造はよく分からないが、車両を一台一台独立したものとして制御出来るようになる。これも電子工作の得意な人なら、作る人もおるだろうが、ものすごいノウハウが必要だと想像できる。教科書も、比較的短期間で対象世界の全貌を理解できる図書は、相当な経験をつまないと、概説+詳細までをコンパクトにまとめることはできない。

 以上、自分にはできないことに、1万円を使うのはそれほど高額とは思えない。ちなみに散髪屋さんとか美容院に行けば1万円くらいかかるようだが、余は20年来、自分の髪は自分のハサミでちょくちょきしてきた。禁煙も毎月2万円もかけることを辞めて、1年以上になる。小説も、世の中のものが面白くなくなれば自分で書く(笑)。自分でまかなえるものはまかなう主義だが、どうにもDCC鉄道模型を1人で作ることが出来ないので、教科書や諸々をお金で買って組み立てて使う。

 DCCとはディジタル指令制御とでも直訳できる。ようするに、車両を一台一台個々に独立させて、走らせたり止めたり、電気を付けたり消したり、あるいはPCで自動運行ができるようにできるシステム全体を指す。ヨーロッパやアメリカでは盛んなようだが、日本では不人気である。ほぼKATOという一社がアメリカのデジトラックス社と提携している。なぜ不人気なのかは、実はよく分からない。DCCを組み込んだ廉価な普及品車両が、原則として日本の会社では販売されていないせいもある。

 アナログ鉄道模型の歴史が日本でも長く、それぞれの世界でのベテランが、DCCの意義を理解したくないか、あるいはそういうベテランにとっては、ロボット列車のようなディジタル制御を好きになれないのか、あるいはメーカー内部でうまく調整がとれないのか、……。

 日常の疲労困憊の中で、昨夜約30分、教科書に従ってディーゼル機関車北斗星をDCC化した。あっけなく成功し、あっけなく動き出した。すばらしい!

 近未来の地域全体に、図書館がある、博物館がある、資料館がある、名所旧跡がある、自然景観がある。その間をトロッコ列車や二階建て図書館列車が走り抜け、それぞれの生涯学習施設をリンク(結合)させていく、……。こういうモデルを作るには、列車自体をスクリプトに従って、つまり物語の中で動かさないと効果がでない。DCCはそれをかなえられそうだ。

 と、夢は枯れ野を駆け巡る(涙)。

|

« 小説木幡記:雨が降ると遺蹟が水浸し | トップページ | 小説木幡記:未知の木次線・スイッチバック »

小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小説木幡記:疲弊の中でDD51北斗星のDCC工作、そして蘇生:

« 小説木幡記:雨が降ると遺蹟が水浸し | トップページ | 小説木幡記:未知の木次線・スイッチバック »