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2011年5月24日 (火)

小説木幡記:毎日想うこと:ボンド水溶液、カタカナ。

Sagnojapanho_5360 毎日水で溶いたボンドを刷毛で丁寧に石膏面にぬり、そこに茶色や緑の色粉をさらさらとまいて、時々線路をこすって、皮膜になった飛散ボンド膜をこすり落としておる。毎日7:30~8:20、ずっとやっておる。時間とはこういう風に使うと、安定感が増す。その頃キャンパスは無人ではない。警備の人たち。テニスコートでトレーニングする中高生達。そして用務員の人達。文系の教授連は朝が遅いと言われるが、まず余は早い。他にも8時ころに出会う人もおる。何事も一概には言えぬ。

 昔から感じてきたことだし、近来ますます想うことの一つに、カタカナ・略語言葉がある。最近もよその、某講演会の中身が回覧されてきたので眺めてみたが(心身保護のために、読まない。眺めるだけだ)、中身の80%が意味不明のカタカナだった。こういう人は、自国の歴史、文化文明になんらの自信ももたず、ただ才あるだけで、軽佻浮薄な人生を送ってきたのだろう~と、想像した。自分の言葉を持たないのは奴隷だと想う。要するに、奴隷根性が蔓延しておる。むしろ、現地語(たとえば、米語とかフランス語、中国語など)で話して書いてくれた方が、自信をうかがえて安心できる。明治以来、一つの外来語(戦後ならカタカナ語)が日本語や日本の中に定着するには、なみなみならぬ努力があった。安易に未知の、不明瞭な言葉を文脈抜きで使うのはよくない。余は、カタカナ度によって人格識見を定める。40%を越える人士は、アホや。接触を持つだけで無駄無駄しく、損する。実にかんたんな、りとます試験紙であるな。しかし例外的に、電脳世界は、許しておる(笑)。いまさらMB:マザーボードやSATA3やUSBを伝統的日本語に変換するのは、難しい。余のMuBlog記事にも、時折全編カタカナ、わけのわからない記事がある。何事も一概には言えぬ。

 いつか熱心にまとめて読んでおきたい作家に、北森鴻がいる。2010年に50歳で亡くなった。時々手元の文庫を開いてみるが、蘊蓄あって、あっさりしていて、味わい深くて、上等だ。こういう作家が早く亡くなったのは残念だ。今、余のまくらべにあるのは『触身仏』(新潮文庫)だ。実によい。

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